第八十五話 魔王様の弟君
魔王城にある食事の間――大広間に一本の長机が続き、そこに煌々と照らされたろうそくの明かりのゆらめく場内、魔王はそこに集まったそうそうたる顔ぶれを見渡していた。
晩餐会の主催者席に座る魔王の斜めまえには、ろうそくの光を映しこんでまばゆく輝く金の髪をした、まるで彫像のように美しい勇者エリアスが腰かけている。
そのとなりには勇者の片腕であり彼の恋人でもあるナコの姉――アキが緊張した面持ちで座っており、彼女の奥にはサトクリフが陣取ってあくびをしていた。
その真向いに目をうつせば、まだ本人には知らせていないが自分の最愛の弟であるレオが座り、となりにいるナコに何事かを楽しげに話しかけている。
そんなナコの奥にはヨハンが座り、さきほど自分が告げたレオの素性のことを思いかえしているのか、自分とレオをちらちらと交互に見比べていた。
――ふむ、そろそろ頃合いだろうか……。
魔王は、これから共に最終決戦に挑むこの勇士たちを頼もしく思いながら、両手をぱん、と一度合わせた。
「皆の者、今日はよくぞ集まってくれた。ここで皆に会えたことを、とても嬉しく思う」
魔王の朗々とした声が天井高い広間に反響する。
皆は私語をやめて、こちらへと体を向けた。
魔王はそんな皆を見渡して、形のいい唇の端の持ち上げる。
「今日は、ささやかだが心ばかりの食事を用意させてもらった。各々に食事を楽しみながら、しばしのあいだ、私の昔語りに付き合ってもらいたいと思う。この世界の創世に関わる、正史に隠された真実の物語を語らせてもらいたいのだ。長い話になろうから、肩の力を抜いて耳を傾けてほしい」
そうして魔王が合図とばかりに片手をあげると、あつあつの料理を乗せた盆を持った小姓たちが次々と入室して、長机の純白のテーブルクロスの上にそれを置いていく。
鴨肉に香草を添えたローストや、ソーセージやつめものをして焼いた鶏、ぴりっと辛い香辛料をまぶした揚げ物、シロップ漬けの果実や焼き菓子といった甘いもの――多種多様な料理にエリアスたちは圧倒されたようだったが、こちらの歓迎ぶりが伝わったのか、皆嬉しそうに顔を綻ばせてくれた。
(喜んでもらえそうでなによりだ)
魔王はひそかに胸をなでおろしながら、全員の前にはちみつ酒の入った銀のゴブレットが置かれたのを見計らって、すっと片手をあげて皆を制した。
「では、乾杯のまえにいくつか報告を。――サトクリフ」
「はい」
魔王に指名されてその場で椅子を引いて立ちあがったサトクリフは、しんと静まり返っている皆を見まわして、神妙な面持ちで告げる。
「まずは、オレからひとつ報告です。――勇者殿たちが連れてきた融合魔法を受けたあの男性教師なんだが、なんとか本人と魔物の魂の分離には成功したんだが、どうしても意識が戻らねェ。たぶん、このまま衰弱死をむかえるんじゃねェかと思う。……力が及ばず、申しわけない」
サトクリフがうなだれて頭を下げると、エリアスたちも一様に悲しげな表情を浮かべて顔を伏せる。
……ふむ、やはり、一度かけられた融合魔法を完全に解くことは叶わぬのか……。
魔王もサトクリフに重ねて謝罪しようと口を開きかけたとき、エリアスが皆の代表とばかりに静かに立ちあがった。エリアスは、サトクリフを励ますように、おだやかに微笑んでゆるゆると首をふる。
「いや、サトクリフ、力を尽くしてくれてありがとう。彼の命は助からないかもしれないけれど、彼の魂が魔物と分離して人として天に召されるのなら、彼も、彼を助けた俺たちも救われた気持ちです。だから、頭を上げてください」
「勇者殿……」
彼の魂が安らかに眠ることを祈っています――と敬虔に言うエリアスに、サトクリフは感極まって頬を紅潮させている。
(勇者エリアス――おだやかで優しく、人思いで、器の大きい男だ)
彼のような人格者が英雄となって導くこの世界は、きっと豊かなものになろう。
今日のこの日のように勇者と和解することなく、魔王と勇者という立場で彼と戦い、お互いに深手を負わせるような無益な事態にならなくてよかったと魔王は思う。
エリアスのように優しく気高い男には、血なまぐさい物事は似合わぬし、万一彼を失うような事態になっては、この世界の損失であろう。
成り行きを見守っていたヨハンが、静かに口を開く。
「――……融合魔法の犠牲者については、すべて『神殿』が招いた罪です。いたずらに命を扱う融合魔法の技術――天に代わりて不義を討つの大義のもと、僕が教皇の地位についた暁には、関わっていた者たちを一斉に粛清するつもりです。その際には、ここにいる皆さんに力を貸していただけたらありがたいです」
僕ひとりの力では及ばないかもしれませんので、とヨハンは仲間たちを頼るように頭を下げた。
魔王は驚いて目を見張る。
彼は、あんなにも仲間に気を許すような性格だっただろうか……?
いつもひとりで何事も抱え込んで殻に閉じこもるタイプだったと記憶していたのだが、いつのまにあんなにも仲間に心を開くようになったのだろう。
(めざましい進歩だな……)
エリアス、レオ、ヨハン、アキ――彼らが仲間としてお互いに良い影響を与え合っている証拠だろう。
この最終決戦が終わって世界に平和がおとずれたとき、自分は、真に英雄となったエリアスを世界の平和の象徴として世界の頂きに据えて、それを支える立場として『神聖国』の教皇にヨハンを立たせ、そして『神聖国』と並ぶ強国である『教育先進国』の学長には将来的にレオに就任してもらおうと画策しているのだ。
エリアスとヨハンとレオの三人の人格者たちが為政者となったら、きっとこの世界はより良いものになるだろう。
――それはまた、いずれ時を見て彼らに話してみてもよいだろうな……。
楽しみがまたひとつ増えたな、と緩んでしまう口もとを堪えながら、魔王は改めて皆の顔を見回して片手を上げた。
「さて、突然なのだが、もうひとり我々と共に戦う新たな仲間を紹介させてもらおうと思う。――ギルフォード、入ってくれ」
魔王は食事の間の出入口の扉へ声を投げかける。
そう――……自分は、この晩餐会の参加者として、もうひとり重要な人物に声をかけていたのだ。
それは―――
観音開きの重々しい扉を思わせぶりに開けながら入ってきた人物を目に入れるなり、レオが息を呑んで立ちあがった。
そうしてエリアスたちの誰もが、ぽかんとする名を口にする。
「じっちゃん……!?」
レオに『じっちゃん』と呼ばれたその人物――ギルフォードは、すらりとした手足の長い長身に三白眼の鋭い目つき、短く切りそろえた黒髪の短髪、そして人相を隠すように口もとを覆う包帯をした、じっちゃんと呼ばれるにはまだ若い壮年の男だ。
ギルフォードは、立ちあがったまま硬直しているレオに視線を向けながらも、表情ひとつ変えずにつかつかとこちらに歩み寄ってきた。
育ての親との対面に、レオは口をぱくぱくしながら言う。
「な、な、なっ……、なんでじっちゃんがここにいるんだよ! 俺が『学府』に入学してから姿くらましやがって、俺、ずっと探して……!」
「――大きくなったな、レオ」
混乱してわめきたてるレオの頭に、ギルフォードは、彼の強面からは意外なほどに優しく笑んだ。
レオは力が抜けてへなへなと椅子に座り込む。
細かい理由はなんにせよ、ずっと行方不明だった育ての親に会えてほっとしたのだろう、レオは、なんだよ……、と口のなかでつぶやきながら心なしか涙ぐんでいる。
魔王は一同を見渡して、場をまとめるために一度咳払いをした。
「皆の者、驚かせてすまない。彼はギルフォードといって、サトクリフと同様に魔族の者だ。最終決戦に備え、ギルフォード――ギルも、我々の戦力として参加する。どうか、よろしくしてやってほしい」
「ギルフォードだ。各々の反応を見るに、俺がレオの育ての親であり、魔法の師であることは知っているようだな。ならば話が早くて助かるが、不肖の息子が世話になった」
一歩前に出たギルフォードが、レオの頭に手をやって彼に頭を下げさせながら自分も頭を下げる。
師弟らしいやり取りに思わず皆が笑んでいると、レオが声を上げた。
「おいじっちゃん、魔族ってどういうことだよ! そんなこと一言も聞いてねぇぞ! それじゃ、俺は魔族に育てられたってことに――」
いったいどういうことだと混乱しているレオに、ギルフォードはそれがなにか問題か、とでも言いたげに肩をすくめてみせる。
「なにをそんなに驚くことがある。おまえは魔王様の弟君なのだから、魔族である俺が手塩にかけて育てるのはあたりまえのことだろう」
ギルフォードの何気ない一言に、レオが片眉を跳ね上げる。
「―――……は?」
……っあ!
「ギル、それはまだ――」
レオには言っていないのだ、と魔王はあわあわと顔の前で両手を振る。
けれども時すでに遅し、まるで怖いものでも見るように魔王がちらっとレオの顔を盗み見ると――レオは、顔を凍りつかせたままぴくりとも動けずにいるようだった。
うっかりやっちゃったっ、というのはこういうときに使うのだろうか。
レオには頃合いを見て自分との関係を話そうと思っていたのだが――もはや、こうなってはごまかしもきくまい。
……うん、やっちゃったっ。
魔王が、間を持たせるために、てへ、とでも言いたげな笑いを浮かべていると、アキが皆の疑問を代弁するように言った。
「え……、ええっ、レオって魔王の弟さん……なんですか?」
魔王は、ごほん、とわざとらしく咳払いをする。
「……うむ、そうだ。レオ、あとで詳しく説明しようと思うが、おまえはとある事情により、私の魔力をその身体に宿しているのだ。その影響で、おまえは私に匹敵するほどの多大な魔力を保持している。いわば、私の分身のような存在なのだ」
「ぶ、分身っ!?」
気色悪いこと言うな、とレオが青ざめて自分の体を両手でさすっている。
気色悪いとは失礼なっ!
魔王はレオにドン引きされていることには構わず、まるで生き別れの兄弟に再会した感動に打ち震えるかのように、テーブルに両手をついて身を乗りだした。
「つまり、ある意味レオと私は血を分けた兄弟、私の弟というわけだ。だから――」
そこまでいって、魔王はレオにこの話をしたときにかならずいおうと思っていたことをぶちまける。
「だからレオ、おまえは今日から私のことを、――お兄ちゃん、と呼びなさい!」
カッと目を見開いて宣言してみたところ、ものすごく寒々しい空気が場内を吹きぬけていく。
……あれ、私はなにか間違ったことを言っただろうか……?
言うにこと欠いてそれか、というなんともいえない空気が仲間たちの――とくにヨハンとサトクリフあたりから漂ってくるなか、それを聞いたレオ本人はたかぶる気持ちを抑えるようにわなわなと手を震わせる。そうして彼の人生最大の突っ込みといわんばかりに絶叫した。
「――なにがお兄ちゃんだふざけんなああああああっ!」
……まずい。
これは、大変な事態になりそうだった……。




