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第三十八話 接触

 ヨハンは、転移魔法用の魔力を貯めきった手鏡を座卓の上に置き、長く息をはきながら長椅子に寝転がった。


(ふう、なんとか目的は達成できましたね……)


 魔力を貯めるまでに一日は要すると思っていたのだが、レオの驚異的な魔力回復力と、自分の父親譲りの才に恵まれた魔力量のおかげで、半日足らずで転移魔法を発動するだけの魔力を詰め込むことができた。


 普通ならば、手練れの魔法使いと神官が数人がかりで成し遂げることを、たったの二人でやり遂げたのだ。達成感もひとしおである。


「……これで僕も、少しはエリアスたちの役に立てたでしょうか……」


 ぐったりと重い体を感じながら、ヨハンはぼんやりと天井を見つめて小さく呟いた。


 『神殿』からの間者である自分は、常に彼らに対して罪悪感を抱くことしかできなかった。だから自分は、彼らのために役に立てることがあれば、少しでも力を尽くしたいと思っていたのだ。


……自己満足でもいい。わずかでもいいから、自分を仲間として迎え入れてくれた彼らに報いたかった。


 ヨハンは長椅子に仰向けになったまま、さきほどレオと交わしたやり取りを思いだす。


 二人で手鏡に魔力を溜め終わったあと――まだまだ体力も気力もあり余っているレオが、エリアスたちを呼び戻しに行くと言いだしてくれて、ただいま単身で冒険者ギルドに向かってくれている。


 エリアスが、アキと出かけるときにギルドを見学に行くと言っていたから、ひとまずそこから当たってみようということになったのだ。無事に合流できているといいのだが……。


 対して、レオとは真逆に体力も魔力も限界の自分は、レオがエリアスたちを連れて戻るまで宿屋で休ませてもらう手筈になっていた。


 そんな自分の面倒を見るためにナコも宿に残ってくれていて、その彼女はさきほどから部屋を整理したり軽食を作ったりと甲斐甲斐しく動いてくれている。


 ――ナコはきっと、良いお嫁さんになってくれそうですね。


 そんなことがぼんやりと頭をよぎって、ヨハンは自分の恥ずかしい思考に頭を抱えた。


(いやいやいや、なにを考えているんだ僕は……!)


 彼女のことをそんな目で見ているつもりはなかった。きっと自分はひどく疲れているのだろう。そうだ、そうに違いない。


 それにしても頭ががんがんする……とヨハンが額に片手を乗せながら眉をひそめていると、突然真上からナコが顔を覗き込んできた。


「ヨハンさん、体調は大丈夫ですか?」


「う、うわっ! ナコ!」


 大きな茶色の瞳で至近距離で見つめられて、ヨハンは思わず顔を赤くして後ずさる……いや、後ずさりたかったのだがあいにく寝転んでいるせいで身動きがとれない。


 冷や汗がこぼれ落ちそうなほどに焦っていると、ナコはこちらの動揺など気づいていない様子で、その体勢のまま首をかしげた。


「本当に大丈夫ですか? ヨハンさん、顔赤い? 熱があるのかな」


「あ、ありません、気のせいです!」


 顔が赤いのは気のせいではないと思うのだが、悟られるわけにはいかない。


 顔の前で手を振ってごまかしていると、ナコはまだ疑っているような素振りでかわいらしく眉根を寄せた。


「そうですか? 無理しないでくださいね。ヨハンさん、強がりだから」


「そんなことは……」


「そんなことありますよ! 強がりだし、負けず嫌いだから、すぐ我慢しちゃうでしょう」


 ――う……。


 言い当てられて、ヨハンはごもっとも、と呟きながら小さく笑った。


 まだナコとは数時間しか会っていないのに、彼女は自分のことをとても理解してくれている、とヨハンは思う。彼女といるとほっとする。気を張らずに済むのだ。


 正直に認めてしまえば、自分は異性として彼女に惹かれ始めているのだと思う。けれど、これといってなにか行動を起こす気はなかった。彼女には、魔王がいるのだから。


 彼女が魔王のことを大切に思っていることは本人の言動から明白であるし、彼女が魔王に怯えていない様子から、魔王も彼女のことを大切にしているのだということもわかっていた。ナコと魔王は、おそらく相思相愛なのだ。


(それに……)


 ヨハンは、ナコに悟られないようにさみしげに目を細める。


 教皇の息子である自分は、将来の伴侶を自分の好きに選ぶことなどできないのだ。父親が選んだ相手を、無条件で迎えることになるのだから。


 ――僕には、なにかを自分で選ぶような自由なんかないんだ……。


 小さいころから父親の言いなりのままに生きてきた。そうする道しか、用意されていなかったから。


 黙り込んだヨハンを心配したのか、ナコはヨハンから離れて踵を返すと、ぴょんぴょんと軽快な足取りで台所へと向かっていった。


 ヨハンがそれを目で追っていると、ナコは氷の入った飲み水のグラスを持って戻ってくる。


「ヨハンさん、お水でもどうですか? 水分を摂ると少し楽になるかも」


 相変わらず気を利かせてくれるナコに、ヨハンは心の内で感謝しながら上体を起こした。


 彼女から受け取った水を口に含むと、冷えた水が体中をめぐって疲れが引いていくようで、ほっと息をはきだした。


 よくよく自分の手を見やれば、グラスを持つ手に上手く力が入らず、かたかたと小刻みに震えている。これは、自分が思っているよりも、相当魔力の枯渇が体に堪えているかもしれない。


 ヨハンはグラスを座卓の上に乗せると、それを挟んで自分の真向いに座っているナコをじっと見つめた。


 長椅子に浅く腰かけている彼女は、どこを見ているのかわからない視線のまま、ぱたぱたと足を動かしている。


 どうも彼女を見ていると年齢よりも無垢であどけない印象を受けるのだが、それは、同時にどこか危うさや得体の知れない妖しさを感じさせるのだ。


(魔王の片腕か……)


 それに選ばれた彼女だからこそ、そんな謎めいた異質な雰囲気を身にまとっているのだろうか……。


 ヨハンはナコから顔をそらし、手もとで組んでいる両手へ視線を落とす。


 ヨハンの所属する『神殿』からは、魔王の片腕であるナコは要注意人物として注意勧告が出されていた。勇者を支援する『神殿』にとっては、勇者と敵対する魔王勢力は憂慮すべき相手なのだ。


 本来のヨハンの役目からすれば、ナコをこの場で補足し、『神殿』にその身柄を渡さなければならないのだが――。


(できるわけがない……)


 魔王と勇者の和解を申し入れるためにやってきた彼女は、数々の事情で身動きの取れない自分を庇ってくれた優しい女性だ。それに、アキの大切な妹でもある。自分や仲間の気持ちを裏切ってまで、『神殿』の意向に従うような気は毛頭なかった。


 そうは思っていても、なかなか自分を『神殿』の支配下から切り離すことができないのは、自分が教皇の血縁者であるからなのだ。


 いずれ自分が次代の神聖国統治者になる――その立場を負った責任もまた、自分を縛りつけていた。


(我ながら矛盾してますよね……)


 こんな中途半端な立ち位置でいては、いつかエリアスも神殿も、両方を裏切るような結果を招くのではないだろうか。


 このままでは駄目だということはわかっている。けれど、どちらかに味方をすればどちらかと敵対するという、その板挟みの状況に耐える覚悟がないから、自分は思いきった一歩を踏み出せないでいるのだ。


 情けない……、とそんな自分にため息をはいていると、ナコが気にかけるようにこちらに顔を向けた。


「ヨハンさん、どうかしましたか?」


 ヨハンはナコを見返すと、なんでもない、と伝えるように首を振った。とてもじゃないが、当事者の彼女に相談するわけにはいかない。


 話を変えようと思って、ヨハンは、そういえば、と口を開く。


「ナコ、レオのことなんですが……、以前、彼は魔王によく似ていると言っていましたよね?」


 自分にとって、レオと魔王の事実関係については警戒するべき事項だった。


なぜなら、もし仮にレオが魔王側の関係者だとして、その上で勇者エリアスのパーティに加入しているとなると、それは勇者の円滑な旅を害する危険因子という取扱いになるのだ。だから、もしそのような事実が発覚した場合は、『神殿』へ報告しなければならない。


 けれど、レオのことを報告するということは、彼が『神殿』にとって排除対象になってしまうということになる。それは、彼の身を危険にさらすことになるのだ。


 自分は、やさしさと明るさ、そして知性を兼ね備えたレオのことが仲間としてとても好きで、そして、憧れていた。


 だから、自分のせいで彼を追い込むことだけはしたくはなかった。だからこそ、『神殿』側に嗅ぎつけられる前に、自分がそのあたりの事情をつかんでおきたかったのだが……。


 ナコは、確証を得ない様子でぽつぽつと言葉を口にする。


「そうですね……。そっくりってわけじゃないんですが、なんとなく雰囲気が似てる気がするんです。くっきりした目鼻立ちも似てるような……?」


「そうですか。ですが、魔王に血縁者はいないですよね。いや、血縁者がいること自体が有り得ない」


「はい……。ヨハンさんの言うことはわかります。魔王様は、女神様に造られた人工生命、ですもんね」


 ヨハンはわずかに目を見開く。


 やはり、ナコも魔王から勇者と魔王の使命についての話を聞いているのだろう。


 彼らはこの世界の象徴として生まれるが、ただ生死を賭けて戦い、英雄譚を残すわけではない。彼らはこの世界の血脈である創造エネルギーを補完するために女神に造られ、そして命を落としたほうが世界の贄になるルールに沿って生まれてくるのだ。


 その彼らに、血縁者がいるはずがない。


 けれど、確たる情報がないこの状況で憶測で話していても答えは出ないのかもしれない。


 ヨハンは、話を終わらせようと自分の膝に軽く手を置く。


「ナコ、突然質問してすみませんでした。この件は、一旦保留にしましょう。またなにか情報があったら――」


 顔を上げたヨハンは、言葉を言いかけたまま表情を強張らせた。


 突如、ナコが頭を抱えるようにして、椅子の上で上体を手折ったからだ。


「ナコ? どうしたんですか!?」


 突然の異変に、ヨハンは驚いて立ち上がる。


 ナコは苦しそうに呻きながら椅子を滑り落ち、地面にうずくまった。必死に両手で額を押さえている。額がひどく痛むのだろうか。


 ヨハンがナコに駆け寄ろうとすると、それを制するように、ナコが一度顔を上げて強くヨハンを怒鳴りつけた。


「逃げてくださいっ、ヨハンさんっ……!」


「なにを、言って――」


 ヨハンはナコの顔を捉えるなり、驚愕から大きく目を見開いた。


 顔を上げたナコの額には、肌に滲むように赤黒い紋様が浮かび上がっていたのだ。


 満月に似た円形を三日月が抱え込んだ特徴的な紋章。


 ヨハンにはひどく見覚えのあるものだった。


(あれは、『創世記』に書かれていた月を司る紋章――?)


 自分が幼いころに、父に言われて『神殿』で何度も読まされていた『創世記』。


 それは、『神殿』のみが管理を許されている、この世界を創造したとされる創造主が書き留めた創世記時代の神話が書かれている古文書だ。


 現在ナコの額に体現しているのは、その創世記に描かれていた創世の女神を象徴する神の印の一つだ。創世記には、それは女神の額に刻まれていたと書かれていた。


 そんな伝説の代物が、なぜナコの額に体現している――!?


「ヨハンさんっ、早くっ……!」


 まるで自分の理性をぎりぎり繋ぎ止めているかのようなナコの怒鳴り声に、ヨハンは混乱している思考を引き戻される。


 さきほどのナコは、自分に「逃げろ」と指示していた。それは、ナコと自分の身に危険が迫っているということだろう。

 

 ヨハンは弾かれたように室内の壁へ駆け寄ると、そこに立てかけてあった杖を素早くつかみ取り、眼前に構える。


 臨戦態勢で睨みつけた視界の先、片手を額に押しつけた体勢で、ふらふらとナコが立ち上がった。彼女は、今にも泣き出しそうなほどの苦しげな表情でこちらを見つめる。


「……ヨハンさん、ケルちゃん、ごめんなさっ……」


 謝罪するような一言を最後に、ナコは苦しそうに身をよじったあと、両手をだらりと床に降ろした。首もまた、がくりと力なく下がる。彼女の表情が見えなくなり、ヨハンはただただ固唾を呑んでナコの動きを凝視した。


(いったい、なにがっ……)


 ――これからなにが起こるのだろう。なにが、自分の目の前に現れるのだろう。


 張りつめるような空気の中、ナコの両腕が一度びくりと震えた。そう思うと、天井から見えない糸に引っ張られているかのように、幽鬼のごとくゆらりと顔を上げる。


 その青白い表情を見て、ヨハンは目を瞠った。ナコの両目は光を失い、能面のように暗く沈んでいたのだ。まるで生気を失ってしまったかのように。


 ナコは自分の体を検分するように眺め、体をほぐすように軽く首を回した。


「……忌々しい魔王の魔力が届かなくなって、やっと表に出てこられたわ。この身体も悪くはないわね」


 飽き飽きしたように言って、ナコが栗色の髪を背に流す。冷ややかな口調。ナコとはまったくの別人のようだった。


 構えた杖の先に豹変したナコの姿を捉え、ヨハンは頬を伝う冷や汗をそのままに、緊張から腰を低く落とす。杖を強く掴む両手が汗で滑り、ずべりと小さな音を立てた。


ナコの額には変わらず創世の女神の紋章が刻まれ、こちらを萎縮させるほどの赤黒い光を放っている。


挿絵(By みてみん)


 ――動けない。


 逃げなければならないと、自分の感覚が警笛を告げる。それでも、あまりの畏怖に身体が動かないのだ。


 ナコは、縫いとめられたようにその場を動かないヨハンに視線を当て、興味深そうに艶やかな唇を持ち上げた。


「――あら。貴方、懐かしい気配がするわ。『神殿』の中心人物の血統を継いでいるでしょう」


「どうして、それを……」


 彼女の一言は、自分が教皇の息子であることを言い当てているのだろうか。


 問い返してみたけれど、答える気などないのか、ナコは嘲るように鼻で笑い返した。


 ヨハンは唇をかみしめ、低く問いかける。


「――貴方は、誰だ」

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