第百三話 恋人たちの時間
(どこか、変なところないかなあ……)
姿見の鏡の前に立って、アキは、着替えたばかりの小花柄の丈の長い寝間着の胸もとについた、小さなリボンを整えていた。
(――よし、おかしなところはなさそう)
自分の姿をもう一度じっと眺めて再確認したアキは、着替えのために部屋を仕切っている衝立の裏から、そっと居室のほうを覗き込んだ。
居間の窓に向かって置かれている長椅子には、エリアスがこちらに背を向けて座っている。なにか読み物を読んでいるのか、じっと手もとに視線を落としてるようだった。
アキは、エリアスの邪魔をしちゃいけないかなと思いつつも、いそいそと衝立の裏から出て彼に歩み寄る。
「エリアス、なに読んでるんですか……?」
長椅子の後ろからそっと彼の手もとを覗き込むと、彼が座ったまま肩越しにこちらを仰ぎ見て、整った目もとを優しく細めてほほ笑んだ。
「ああ、この島の地図だよ。ここが魔王城で、ここがレオの転移魔法で俺たちが転移した地点。さっき魔王が貸してくださったんだ」
「へえ、この島ってこういう作りになってたんですね」
嬉々として指をさしながら説明してくれるエリアスに、アキはふんふんとうなずく。
(男の子って、冒険の地図とか見るの好きだよね)
なんて、嬉しそうなエリアスを見ているとかわいいなって思う。
彼のそういう面を見るたびに、勇者として誰よりも強く立派であろうとふるまっている彼の普通の男の子の部分を見られた気がして、嬉しくて心がくすぐったくなるのだ。
すっかり夜も更けている今は――魔王城復旧の作業をした一日が終わろうとしているところだ。晩餐として魔王が城をあげての宴を開いてくれて、自分たちはそれに出席させてもらって飲んだり食べたりしてにぎやかに楽しんだあと、湯浴みを済ませて、自分の部屋に戻ってきたところである。
(エリアスがお肉料理ばっかり食べて見ているほうが胃もたれしそうだったり、レオが甘いお菓子ばっかり食べて魔王に過保護なくらい心配されてたり、ヨハンが野菜しか食べなくて周りの魔物のみなさんにお肉料理を無理やり口に突っ込まれそうになってたり――なんだか楽しかったな)
宴でのどんちゃん騒ぎの光景を思いだしてくすりと笑っていると、エリアスが不思議そうに小首を傾げてこちらを見返した。
そんな楽しい晩餐の時間を過ごしてから――今は、燭台に灯された蝋燭の明かりが橙色のあたたかい光で部屋を照らすなか、エリアスとおたがいに寝間着に着替えて、さあ明日に備えて寝よう、としていたところとなっている。
(そういえば、エリアスとふたりで同じ部屋で寝るのって初めてかも……?)
いままで宿屋に泊まったことはあったけれど別々の部屋だったし、野宿のときはみんなと一緒だった。
そう思うと、これから何かあるわけでもないのに妙にどきどきと緊張してきてしまう。
(こ、恋人同士なんだし、同じ部屋で寝ても、問題ない、よね……?)
じわじわと顔が赤くなってしまいながら、ちらっとエリアスの顔を見上げると、彼と目が合って、彼も気恥ずかしそうに視線を逸らした。
「アキ、その服――……」
「ふ、服? どこか変でしたか!?」
やっぱりこんな可愛らしい服、似合ってなかったかな……?
気持ちがしおしおとしおれながら、慌てて全身を見おろすアキに、エリアスはそうじゃないと首を振る。
「そ、そうじゃなくて、その、とても似合ってるなって、かわいいなって、思っ――」
――へっ!?
「エ、エリアスっ、そんな、恥ずかしいこと言わないでくださいぃいい!」
エリアスがあまりにも不意打ちで恥ずかしいことを言うものだから、彼がみなまで言い終わるまえに、彼の背中を思いっきりばしっと叩いてしまう。
あ、強く叩きすぎたかも……!
と思ったけれど、勇者様はこちらの攻撃などまったくヒットポイントことHPにダメージを受けていない様子で、驚いた顔だけしている。
「い、痛っ!? いや、恥ずかしいことというか、本当にそう思ったから――」
「だ、だからっ、その台詞がもう恥ずかしいんですっ……!」
なんでそう、エリアスって言葉がまっすぐなんだろう……っ。
いっぱいいっぱいになりながらも、エリアスに褒めてもらえたことが嬉しくて、恥ずかしいけれど頑張って着てよかったと思えて、アキは真っ赤な顔を両手で覆ったままその場にうずくまる。
好きな人にかわいいって言ってもらえると、本当に、舞い上がるほど嬉しい。
いつだってど直球な勇者様らしい言葉は、素直で、心にストレートに伝わってくる。
(エリアス、本当に大好き……!)
彼への気持ちを再確認して、胸がいっぱいであふれそうになる。
本当に、奇跡みたいな出来事でこの世界に召喚されて、偶然とも運命ともいえるもので勇者様の彼と出会って……。彼はあまりにも強くて、美男子で、この世界でみんなに愛される英雄で――雲の上の人みたいに思っていた彼が、いつのまにか自分の中で一番大切な人になってくれていた。
彼と、相思相愛の関係になれるなんて思ってもいなかった。
彼に恋をしているって気づいたときも、彼と自分とでは英雄と凡人という身分違いで、そもそも自分たちは住む世界が違って、結ばれることはないだろうって思っていたのに。
(だから、いまこうして彼と一緒にいることが、奇跡みたいに思える……)
彼の恋人として、こうして彼の一番近くにいられるなんて、夢みたいで。
――私が守らなきゃ。
誰よりも気高くて、誰よりも脆いところもある、私を好きになってくれたこの人を。
うずくまったままそんなことを考えていると、エリアスが長椅子を立ってこちらに歩み寄ってくる気配がして――顔を上げようとした途端、背中と膝の後ろに彼の腕が差し入れられて、ひょいと軽々と抱きかかえられた。
「わあっ、エ、エリアスっ!?」
彼の綺麗な顔がすぐ近くにあってどぎまぎするアキに、彼は澄んだ翠色の瞳を向ける。
「ああ、やっと君がこっちを見てくれた。驚かせてしまって、ごめんね」
エリアスは、小首を傾げて、にこ、と笑うと、アキを抱えたまま長椅子に腰かけた。
つまり、自分はエリアスの膝の上にいるわけで――って、これはこれで恥ずかしい……!
ここでじたばたもがくのもエリアスの迷惑になっちゃうかな、とアキが真っ赤な顔のまま俯いてじっとしていると、頭の上からエリアスの声が降ってきた。
「――……アキ、あのときはありがとうね」
あの時……?
「あの時って、もしかして、水竜との戦いのときのことですか……?」
なんとなくそう思ってエリアスの顔を見上げると、彼が、うん、とうなずいた。
「あのとき、太陽の女神の力を――……また自我を失ってみんなを傷つけてしまうんじゃないかと恐れていたあの力を、あの場で使おうと決意できたのは、君がいてくれたからなんだ。君がいてくれればきっと俺は大丈夫だって思えたから、俺は、あの力を使って戦うことができた。ずっと、そのお礼を言いたくて」
エリアスは膝上にいるアキを見おろすと、照れくさそうにはにかんだ。
(……ううん、お礼を言いたいのは私のほうだ)
あのとき、エリアスが自分を頼ってくれて嬉しかった。
自分の力が彼の役に立てるんだって思ったら、体中から力が湧き上がってくるようで、自分の持てる力全部で彼のことを支えたいって思ったのだ。
もう二度と、彼を太陽の女神様に奪われないように、全身全霊で守るんだって思えた。
(エリアスは――……エリアスは、私のものだから)
誰にも、渡したくない。たとえ、この世界の女神様であっても。
急に芽生えた独占欲に、アキは自分自身でびっくりしてしまう。
(……エリアスが好き。彼のことで、気持ちがいっぱいになってしまうくらいに)
けれど、この世界の勇者様である彼を、独り占めするなんてことはできないから――。
だから自分は、勇者の片腕として彼の一番近くにいることが許されているから、その使命をまっとうして、彼のことを何者からも守ってみせよう。
そして、彼の安らげる場所になれたらいいなって、思う。
いつも張りつめたように生きている彼が、ほっと気を抜いて、少年のような彼らしい自分でいられる場所になれたらいいなって思う。
アキはそんなじんわりとしたあたたかい気持ちになりながら、エリアスのことを見上げると、腕を伸ばして、満面の笑みで彼の頭をよしよしとなでた。
「エリアス、あのときはよく頑張りました! えらい、えらい!」
彼にお礼を言われたことがくすぐったくて、照れ隠しにわざとおどけてみせると、エリアスが恥ずかしそうにしながらも、少し拗ねたように頬を膨らませた。
「どうして子ども扱いするの、アキ?」
――だって。
「だって、天下の勇者様を子ども扱いできるのは、恋人の特権じゃないですか!」
えへへ、と幸せいっぱいに笑ってみせると、エリアスが、ふは、と楽しそうにふきだした。
「そうだね。そのとおりだ。俺の頭をなでてくれるのは、君しかいないよ」
「ふふふ、そうでしょうそうでしょう!」
なんだか楽しくなってきて声を立てて笑っていると、エリアスがふとおだやかな、それでいて熱を帯びてきらめく瞳でアキのことを見つめる。
「アキ、好きだよ。いまも、これからも、ずっと」
アキも、そんなエリアスの目をまっすぐに見返して、うなずいた。
「私も、エリアスが大好き。ずっと、一緒にいてね――……っ」
言葉を言い終わるかどうかというところで、顔を寄せた彼に、言葉ごと唇を塞がれる。
大好きなエリアス。
これからも、あなたを愛して、どこまでもずっとあなたについていく。
たとえどんな戦いが、私たちを待ち受けていたとしても――。




