第百二話 レオとヨハン2
(今日は、楽しかったな……)
エリアスとアキ、レオと四人でアキお手製のお弁当を食べたランチタイムからすっかりと日が暮れて――満天の星々の浮かぶ夜、ヨハンは、ひとり魔王城の屋上に上がってその星空を眺めていた。
やわらかく吹き抜ける夜風が肌に気持ちがいい。ひとりで考え事をするには、うってつけの場所だった。
ここから見下ろせる中庭からは、まだかがり火が煌々と燃えていて、その周りで飲めや歌えやしている魔物たちのどんちゃん騒ぎが遠くに聞こえている。
今日は、みんなの努力によって魔王城が無事に復旧したので、死霊を退けた祝勝祝いを兼ねて、中庭で豪華に宴が催されているのだ。
さきほどまでは自分も宴に参加していて、魔物たちがみんな酒瓶を片手に大騒ぎしながら、屋外の簡易かまどで丸焼きした獣の肉を削いで無造作に齧ったりしていて、かがり火にてらてらと照り返される魔物たちの笑顔がとても楽しそうだった。
もちろんエリアスやアキ、レオや魔王、ナコ、サトクリフやギルフォードも参加して、とくに水竜を太陽の女神の力で退けたエリアスは魔物たちから感謝され、魔王の積年のライバルだった勇者が魔物たちに受け入れられている姿を見ることができていた。
(……やはりエリアスは、誰をも惹きつけ、味方につける力を持っているんでしょうね)
敵味方問わずエリアスの周りには自然と人が集まる――その一片を垣間見た気がした。
「僕は……、僕も、エリアスのためになにができるだろう……」
屋上の欄干にそっと両手を乗せて、星空を見上げながらふと呟く。
昼間、みんなで昼食を食べたとき、アキの手作りしたお弁当を食べたエリアスが、「とても美味しいよ」と照れながらも嬉しそうに言って、それを聞いたアキも恥ずかしそうにしながらも涙ぐんでいて、向き合うふたりの姿がとても幸せそうだった。
ヨハンは、その光景を思いだしながら、自分の両手を見つめる。
――僕にできることは、あのふたりの幸せを守ることだ……。
勇者を手中に収めて意のままに操ろうとする『神殿』の魔の手からエリアスを守ること、それが次期教皇の立場にある自分にできることなのだと思う。
おそらく父は、勇者の監視役として遣わした自分が、勇者側に肩入れしていることなどとっくに気づいているだろう。
もしかしたら自分は、すでに『神殿』のなかで裏切り者として、始末や処罰対象になっている可能性もあるのだ。
(父にとって、次期教皇の継承権を持っている僕が勇者の味方につくことは、厄介でしょうからね……)
もしかしたらあの死霊と水竜――あれは、表向きはエリアスと魔王の妨害をするという目的だったけれど、裏切り者の自分を狙って放たれた刺客でもあったかもしれないのだ。
幸い、死霊魔法と融合魔法を施されていた男性教師が理性的な人物で、『神殿』の悪行に疑問を抱き、エリアスの人柄に惚れて自分たちに味方してくれたのもあって致命的な被害は出なかったけれども……。
ヨハンは、いつの間にか小刻みに震えていた腕に気づき、反対側の手でそれを抑える。
(――怖い、のかもしれない……)
本当は、父を敵にまわして戦わなければならない今の自分の状況が、怖いのだ。
父は……あの人は冷酷で、残忍で、邪魔なもの、いらないものはすべて始末する容赦のない人だ。じつの息子である自分だって例外ではないだろう。
エリアスとレオの生まれた村が、無慈悲なほどに壊滅させられてしまったみたいに……。
(それに……)
それに、たとえ自分の命が奪われたとしても、自分の代わりとなって次期教皇としてヨハン・クラレンスを名乗る影武者の子どもは、どこかでひっそりと育てられているのだ。
だから、自分が命を落としたとしても、父はいっこうに困ることはない。だからこそ、父は遠慮なく自分の始末にかかるだろう。
けれど、ここでくじけて逃げ出すわけにはいかないのだ。自分は、エリアスが、レオが、アキが、みんなが大事だから。大切なみんなを傷つける父を、許すことはできないから。
勇者の監視役としてくすぶっていた間者の自分を、みんなは仲間として受け入れてくれて、そして自分自身の意思で立ち上がれるように見守ってくれた。
自分にとって、みんなは誰よりも大切な――父よりも大切な、かけがえのない家族のようなものなのだ。
――だから、みんなのために戦いたい。
自分にできる力すべてで、みんなにご恩を返すために。
「……よし!」
そう決意を固めた途端、いつのまにか体の震えも収まっていて、ヨハンは誰に向けるわけでもなくひそかに苦笑する。
(本当に、みんなのことを考えると勇気が湧いてくる)
みんなのためならどんなことだって、父だって怖くない、そう思えるくらいに。
晴れやかな気持ちでもう一度夜空を見上げた――そのときだった。
かた、と誰かが屋上の出入り口の戸を開く音が聞こえて、はっとしてヨハンが振り返ると――
「よお、ヨハン!」
「レオ……」
なにやら温かそうな飲み物のゴブレットをふたつ持ったレオが、来ちゃった、とばかりにいたずら気な子どものような笑顔で歩み寄ってきた。
自分も、いまはいつも身にまとっている白いローブを脱いでハイネック姿なのだが、レオもまた黒のローブを脱いでタンクトップの出で立ちというラフな格好だった。
レオはヨハンの隣までやってくると、ふたつ持っていたゴブレットの内のひとつをこちらにずいと差し出した。
「ヨハン、ほい、これどうぞ。ホットミルク」
「あ、どうも、ありがとうございます」
ありがたく両手で受け取ろうとしたところで、レオがにやっと笑う。
「これでもう少し背が伸びるといいな」
――はあ?
「余計なお世話です!」
わざと声を荒げて言い放ってから、ゴブレットを受け取って、やけとばかりにごくりと大口で飲み込む。
……う、甘い。
少し砂糖が入れてあるのかもしれない。
甘党らしいレオの味つけだな、とそんなささいなことでも心があったまる。
ヨハンはホットミルクの水面を見つめながら、隣のレオに問いかける。
「……それで、どうして貴方は屋上に来たんです?」
僕の様子でも見にきてくれたんですか、と冗談めかして口もとで笑めば、レオは欄干に背を預けながら自分もホットミルクを口に運んだ。
「そ、正解。お節介かなと思いつつも、おまえのことが気になってな。さっき下で兄貴に会ってさ、城の屋上は星空がよく見えるんだってことと、ヨハンが思いつめた顔でひとりで屋上に行ったようだから、様子を見に行ってやったらどうだって言われてな」
「なるほど……」
ヨハンはゴブレットを両手で包み込むように持ちながら、ふっと顔をほころばせる。
「本当に、貴方たち兄弟はお人よしですねえ」
本当に、レオも魔王も、こんな自分のささいな変化まで気づいてくれて、どこまで底なしに優しいのだろう。
レオだけじゃない、エリアスもアキも、魔王もナコも、ミーナもルイスも、サトクリフもギルフォードも、自分が旅で出会った人たちはみんないい人ばかりだ。
みんなエリアスを通して出会った人ばかりだから、きっと彼の人としての魅力が成せる業なのかもしれない。
レオはちらりとこちらに視線を向ける。
「それで、おまえはなにを思いふけってたんだ? 俺でよければ話くらいなら聞くぜ」
「ふふ、ありがとうございます。レオに心配をおかけしてしまうほど大したことを考えていたわけではないのですが――……エリアスとアキのために、自分はなにができるのだろうかと改めて考えていて……」
「ああ、昼間のふたり、幸せそうだったもんなあ」
レオが、昼食のときにみんなでお弁当を食べた光景を思いだしているのか、楽しげに目を細める。ヨハンはその横顔をほほ笑んで見やってから、顔を上げて夜空に目を向けた。
「ええ。僕は、エリアスとアキ、もちろんレオのこともなんですが、みんなの幸せを守りたいんです。間者として後ろめたい思いを抱えて、ひとりで閉じこもっていた僕を優しく受け入れてくれて、そこから助けてくださったのは他でもないみなさんですから」
ヨハンはそこで言葉を切って、真剣な目でレオに向き直る。
「だから僕は、『神殿』の脅威から絶対に皆さんを守りたいと思っているんです。今回のようなことが二度と起こらないように」
「ああ……、それって、昨日の『神殿』の襲撃のことを言ってんのか?」
「ええ……。あのときの刺客――男性教師や水竜は、主目的はエリアスと魔王の妨害だったと思うのですが、父の方針に背いた僕を始末する意図もあったと思うんです。父にとっては、神殿側ではなく勇者側についた僕は、不要で、かつ厄介でしょうから」
自分がこのままエリアス側についていれば、いずれこうなることはわかっていた。
じつの父と戦うことになると。
それでも自分は、エリアスの力になりたかった。
自分は、幼いころに勇者として『神殿』にやってきたエリアスと学友として一緒に育って、彼のことが友だちとしてとても好きだったからだ。
たとえ勇者の監視役という立場だったとしても、そんな彼の『勇者の神官』として自分が選ばれたときは嬉しかった。エリアスのために、いままで神官として努力してきた自分の力を全部生かして力になろうと思ったのだ。
――だから、エリアスのためなら、なにがあっても頑張れる。
自分は、世界のたったひとりの勇者として厳しい訓練に耐え抜いていたエリアスを、ずっとそばで見てきた。だから、そんな彼のために、『神殿』の次期教皇の立場の自分にしかできないことをやり遂げてみせるのだ。
エリアスの仲間として、『勇者』の神官として、恥ずかしくないように。
決意を固めるようにぐっと口を引き結んでいると、レオがあいかわらず欄干に背を預けた態勢でふっと唇を持ち上げた。
「――俺も、力になるぜ」
「え……?」
「俺だって、エリアスとは幼なじみで、そして、次期『学府』の学長候補だ。それに、エリアスやアキ、んでおまえにも幸せになってほしいって思ってんのは俺だって同じだ。だから、俺が学長になった暁には、『学府』が現教皇じゃなく次期教皇のおまえ側につけるように学府のみんなを説得する。さすがの現教皇だって、『学府』の全勢力がおまえの味方になったら、そうそう強硬手段には出られねぇだろ」
レオが、にやっと笑いながら肩をすくめる。
ヨハンはレオのことをどこかまぶしそうに見つめながら、頭を下げた。
「ありがとうございます。これからも頼りにしています、レオ」
「おう、任せとけ」
向き合って、おたがいの片方の拳をぶつけ合う。
(……そうだ。自分ひとりの力で頑張ろうとするんじゃなく、みんなの力を頼ろう)
――僕はもう、ひとりじゃないのだから。
ヨハンは、胸に片手を当てて誓うように言う。
「レオ、僕は、エリアスとアキがこの世界の命運を背負って戦い続けるように、僕は僕の戦場で戦って必ず勝ち抜いてみせます。どうか僕のことを、見ていてください」
レオはヨハンの言葉を受けると、前髪をかきあげて笑った。
「承知した。俺としては、おまえの勇姿を見守るだけじゃなく、おまえと肩を並べておまえの敵と戦ってやるよ。おまえは俺の戦友で、仲間なんだからな」
そう言って、レオはホットミルクの入っているゴブレットをすっと差し出す。
ヨハンは、差し出されたレオのゴブレットに自分のそれを軽くぶつけた。
「頑張りましょう。なにせ僕たちは、勇者の魔法使いと神官ですからね」
「そうだな。俺たちは、エリアスの一番の剣と盾だからな」
おたがいの友情と決意を確かめるように、ヨハンとレオは力強く笑いあう。
自分たちは、きっとひとりでも十分に強いと思うけれど、その自分たちが力を合わせれば、きっとなににも負けることのない強さになるはずだ。
(それこそ、月の女神にも、僕の父にも打ち勝てるくらいに)
ふたりで並んで、しばらく無言で月を眺めていると、レオがふいにつぶやく。
「とりあえず、おまえはそのホットミルク飲んで、まずは背丈で教皇に勝てよな」
――はあ?
「……っだから、余計なお世話です!」
ヨハンが欄干を手で叩きながら言うと、レオが声を立てておかしそうに笑った。
このお決まりのやり取りも、気心の知れた友人のようでとても心地よかった。
こうして、それぞれの時間を過ごしながら、夜はゆっくりと更けていく――。




