第百一話 つかの間の休息
「んーっ、いい天気だなあ!」
頭上には青々と晴れ渡った空、足もとにはもえるような緑の芝生。
小鳥たちが楽しげにさえずりながら飛んでいくのどかな景色のなかで、アキは清々しい空気を胸いっぱいに吸いこんでいた。
水竜や死霊を倒してから一夜が明けて――自分たちは、おたがいに協力して、破損してしまった魔王城の修復や、怪我を負ってしまった魔物たちの手当てに当たっていた。
自分は、使用人の魔物たちと一緒に食事係に任命してもらって、城のあちこちで忙しそうに力仕事をしている男性陣に食事を届ける役割を担っていた。
作業をしながらでも食べやすいように、今日のお昼は塩漬け肉をねり粉のパンで挟んだサンドイッチと、チーズとドライフルーツの盛り合わせだ。
(僭越ながら、私も不器用なりに手伝わせてもらったんだけど――)
上手にできたかな、とアキは手もとに小分けに持っている小袋に目をやる。
中には、自分お手製のサンドイッチと、チーズとドライフルーツが入っている。
もうすぐお昼になるから、この小袋をエリアスとレオ、ヨハンに渡して、もしみんなに時間がありそうだったら一緒に食べようと誘ってみるつもりなのだ。
(みんなそれぞれの持ち場にいるはずだから、まずは――)
アキは、現在地の中庭できょろきょろと周囲を見渡し、講堂に目を留める。
講堂では、たしかヨハンが治癒魔法による手当てを行っているはずだ。
(……よし!)
アキはふんと気合いを入れると、両手に小袋を下げて講堂に向かった――。
講堂の観音開きの扉をくぐると、あらかた手当ても終わったみたいで、魔物たちががやがやとくつろいでいた。
大勢の魔物たちが思い思いに雑談している一角に、銀色の髪がちらりと揺れているのが見える。
(ヨハン、いた……!)
アキは小袋の紐をぎゅっと握って手に持っていることを確かめると、いそいそとヨハンのところまで早足で駆け寄る。
「ヨハン、おつかれさまです!」
魔物の女性が腕に負っていた傷を治癒していたヨハンが、向かい側から声をかけたアキに、はっと顔を上げてほほ笑む。
「ああ、アキ、お疲れさまです。――はい、これで大丈夫です。傷の表面を治癒しただけですので、あまり腕に負荷をかけないようにお願いしますね」
ヨハンが綺麗な口もとを綻ばせて、そっと魔物の女性の腕を離すと、彼女は傍目にもわかるくらいに顔を真っ赤に染める。
「は、はい……! ありがとうございます、ヨハン先生!」
「はい、お大事に」
――ヨハン先生っ……!
スマートに対応するヨハンに、魔物の女性は「きゃーっ」とひそかに黄色い声をあげながら、他の女性の魔物たちの待つ輪に戻っていく。
アキがそちらの方向に聞き耳を立てていると――
「ねえ、ヨハン先生にお手当てしていただいちゃった!」
「素敵よねえ、ヨハン先生。お優しいし、治癒魔法はお上手だし、お顔立ちはとても綺麗でいらっしゃるし」
「ヨハン先生、次期『神殿』の教皇様になられるのですって!」
「まあ! じゃあ、ヨハン先生なら魔物や魔族に理解があられるから、これからは私たちと『神殿』が良好な関係を築いていけるかもしれないわね!」
素敵、と魔物の女性たちがうっとりと悩ましいため息をついている。
(さ、さすがだなあ、ヨハン……)
どこにいてもモテるというのは、エリアスの専売特許というわけでもなく、ヨハンやレオにも当てはまるのかもしれない。
当のヨハンはというと、魔物の女性たちの反応にはまったく気づいていない様子で、額にうっすらと滲んでいる汗を腕で拭っている。
さすがのヨハンも、治癒魔法を連続で使って少し疲れているのかもしれない。
アキはスーツの内ポケットからハンカチを取り出して、それをヨハンに差し出す。
「ヨハン、お疲れさまです。よかったらなんですけど、これから一緒にお昼でもどうですか?」
ヨハンは、ありがとうございます、とほほ笑んでハンカチを受け取ると、アキが両手に下げている小袋に目をやってうなずく。
「ああ、もうそんな時間でしたか。そうですね、手当てもあらかた終わりましたので、ご一緒させていただきます。後片付けだけしたら向かいますので、先に行っていてもらってもいいですか?」
「やった、ありがとうございます! 中庭で食べようと思ってるので、落ち着いたら来てください! 私、エリアスとレオにも声かけてきますねっ」
うきうきしながらヨハンに手を振ると、ヨハンにくすりと小さく笑われた。
「アキは、なんというか、そういう素直なところが可愛いですよね。エリアスとレオが貴方を好きになるのもうなずけます」
――へ?
「き、急になに言ってるんですかっ!」
びっくりした、と思わずぼんと顔を赤くすると、ヨハンはいよいよくすくすと可笑しそうに破顔した。
「いえ、僕も貴方のそういった真っ直ぐなところ、とても好きですよとお伝えしたかったんです。――では、後片付けしてきますので」
さらっと輝くような笑顔で言って、ヨハンは踵を返して歩いていってしまう。
(び、び、びっくりしたあ……!)
ヨハンってなかなか自分のことを褒めてくれないから、あんなふうに思ってくれていたんだな、とわかって嬉しかった。
(ヨハンって、実は結構プレイボーイなのかも……)
彼は自分自身の容姿にも能力にも無頓着そうだから、無自覚なのかもしれない。
――天然たらしって、エリアスだけじゃなかったのかもなあ……。
ヨハンからのいきなりの不意打ちだったからか、まだどきどきしている胸を必死で抑えながら、アキはエリアスとレオを探して講堂を後にした。
(エリアス、エリアスはーっと……)
中庭を抜けて、魔王城の正門あたりまで足を運んでみる。
たしかエリアスはお城の修繕を担当していて、とくに被害のひどかった魔王城の入り口付近のお手伝いをしていたはず――……。
足を止めてきょろきょろしていると、前方から、ただでさえ重そうな石材を何段も重ねて持ち、さながら巨大な塔のようになっている異様な人物が歩いてくるのに気づく。
(あ、あれきっとエリアスですよね……?)
あんな人間離れした力業ができるのは、きっと彼しかいない。
アキは、エリアスがその重量級の石材を目的のところに置いたのを見計らってから、足早に彼に駆け寄った。
「エリアス、お疲れさまです!」
にこにこと声をかけると、振り返ったエリアスが嬉しそうに顔をほころばせる。
「ああ、アキ、お疲れさま。あれから体調はどう? 変わりない?」
エリアスは、水竜との一戦で自分が溺れかけたのを気にしてくれているんだろう。
あの一件から、万が一あのときのように水の中に落ちても、ちゃんと自力で浮上できるようにしなきゃなあと思い始めていた。
(そのためにはどうしたらいいんだろう……。エリアスに泳ぎを教えてもらうとか、なにか水中で守ってくれる魔法道具を身に着けるとか……?)
魔法道具ならレオが詳しそうだ。
あとでレオに聞いてみよう、と考えながら、おかげさまで大丈夫です、とエリアスに答える。
エリアスは、よかった、とほほ笑んでから、アキの両腕に下がっている小袋を見て首を傾げた。
「ところでアキ、それ、もしかして昼食?」
「あ、ああっ、そうでした! エリアス、もしひと段落できそうだったら、レオやヨハンとみんなでお昼ごはんを一緒にどうかなって思って!」
「ああ、そういうこと。うん、みんなで外で食べようか。屋外で食べるのって、旅の途中の野宿みたいで楽しいよね」
野宿といえば、思いだされるのは原野でのはじめての野宿のことだ。
あのときは、みんなで風よけの布を張ったり、エリアスが大きな獣を捕ってきてくれたり、レオたちが交代で夜番をしてくれたり、楽しかった。
降るような夜空の下でみんなで火を囲んで食べる夕食は、美味しかった。
本当に、もうずいぶんと長いあいだ、みんなと冒険してきたんだなあってしみじみ思う。
「じゃあ、残りの石材を運んだら行くよ。どこに行けばいい?」
「あ、中庭で食べようと思うので、布敷いて待ってます。それで、じつはこのお弁当、私がその、つ、作ったので、楽しみにしててくださいねっ」
うわあ、自分で言ってて恥ずかしいっ……!
顔が熱くて、恥ずかしすぎてエリアスの顔がまともに見られなくて、アキはそのままくるりと踵を返すと、脱皮のごとく逃げてしまった。
――す、好きな人に自分の手料理を食べてもらえるって、恥ずかしいけど、嬉しいな。
エリアスに美味しいって喜んでもらえるといいな、そんなことを思ってじんわりと胸を熱くしながら、アキは次にレオの姿を探して歩調を速めた。
レオは城の裏手のあたりにいると、すれ違った魔物の男性から聞いたアキは、城の外壁に沿って造られている裏庭へとやってきていた。
無造作に緑の下生えの生えている裏庭は、中庭のように生垣が整備されているわけでもなく、草花や砂利が好き勝手に伸びたり敷かれたりしている空き地だった。
その一角――魔王城のちょうど裏手にあたる石壁に、片手を突いて何事かを熱心に唱えているレオの姿があった。
石壁に添えられている彼の手からは、紫に光る魔法陣が展開していて、それが壁に映り込んでいる。
レオがぶつぶつと口を動かしてから両目を開けると、魔法陣がひと際明るい光を放って、それがそのまま石壁に吸い込まれていった。
「……ふう、まあこれでよしとするか」
自分の仕事ぶりに満足して腕を腰に当てているレオに、アキはその場で大きく手を振って声をかける。
「レオーっ、お疲れさまです!」
「お、アキか。なんだおまえ、さっそくさぼってんじゃねぇだろうな?」
にやにやとからかうように言うレオに、アキは憤慨しながら大股で歩み寄る。
「さぼってませんってば! もう、そんなこと言うなら、レオにお弁当あげませんからね!」
「弁当?」
アキの手もとの小袋に視線をやって、レオが満面で笑む。
「ああ、もうそんな時間なのか! おまえ食事係だったよな、もしかしてそれ作ってくれたのか?」
えらく嬉しそうに聞かれたものだから、なんだか妙にどぎまぎしてしまう。
レオ、そんなに嬉しい、のかな……?
「つ、作った……というか、切って挟んだくらいなんですけど、私が作ったといえば、そうなのかな……」
実際に形にしたのは自分だから、エリアスに言ったように、お手製弁当で間違っていない……ような気がする。
気恥ずかしくなってきて、うつむきながら上目遣いにレオの顔をうかがうと、やっぱり彼はとても嬉しそうに、そして幸せそうに笑って言った。
「いいっていいって! おまえの手料理ってはじめてじゃねぇか? いいねえ、疲れも吹っ飛ぶだろうな」
「疲れ、って、そういえばレオはなにしてたんですか?」
魔法を唱えていたようだけど、魔法の心得のない自分ではなにをしていたのかさっぱりわからない。
聞くと、レオはそばの石壁に片手を当てて、それを見つめる。
「ああ、魔王城の壁に硬化の魔法をかけてんだよ。気休めかもしんねぇが、またなにかに襲撃されたときに、簡単に崩れないようにな。ただでさえ魔王城は老朽化してんだから、本来は兄貴がもっとまめにメンテナンスしねぇといけないんだよ」
ったく兄貴ってそういうとこ無頓着だよなあ、とレオがぼやいている。
すっかり魔王の兄弟として定着しているレオの姿を見ると、魔王のことが好きなんだなってことが伝わってきて、なんだかほっこりしてしまう。
「それでレオ、ひと段落したら、エリアスやヨハンとみんなで中庭でお昼を食べようって約束してるんです。よかったらレオも一緒にどうですか?」
「お、いいねえ。んじゃ、このへんは硬化の魔法も一通りかけ終わったから、おまえと一緒に行くわ。魔法使いすぎて腹も減ったし」
ぐーっと伸びをするレオと並んで、アキは中庭に向けて歩き出す。
「……ところでアキ、おまえのその弁当、ちゃんと食えるもんなんだろうな? 腹壊したらシャレになんねぇんだけど」
「ち、ちょっと、さっきあんなに嬉しそうにしといてその言い草はひどくないですかっ」
レオと歩きながら憤慨すると、彼に声をたてて笑われた。
「冗談だって! まあ、衝撃の味でもおまえが作ったもんなら全部食べるから安心しろ」
嬉しそうな満面の笑顔で、ぽん、と頭に手を乗せられる。
(おまえが作ったものなら全部って――)
レオの優しさと愛情を感じて、彼に翻弄されながらも、アキはどうにもどきどきが止まらないのだった。
そうして、仕事を終えてやってきたエリアスとヨハンと中庭で合流して――アキたちは、久しぶりに四人で芝生に腰を下ろしてお昼の時間をむかえた。




