第5話
朝六時。
山の上のマンションに、朝の光が差し込んでいた。
私は管理人室の小さな窓を開けた。
「今日は、いい天気になりそうですね」
山から吹いてくる風は少し冷たい。
昨日の雨で濡れていた木々も、朝の光を受けて静かに輝いている。
私は時計を確認すると、いつもの仕事を始めた。
まずはエントランス。
床を掃き、ガラスを拭く。
掲示板を確認し、昨日貼ったお知らせが雨で剥がれていないかを見る。
「問題なし」
次はゴミ置き場。
分別されているかを確認して、周囲を簡単に掃除する。
これも問題なし。
マンションの管理というのは、派手な仕事ではない。
壊れてから直すより、壊れる前に気づく。
汚れてから掃除するより、汚れる前に手を入れる。
その繰り返しだ。
七時を少し過ぎた頃、エントランスに住人が降りてきた。
「おはようございます、うさぎさん」
「おはようございます」
会社へ向かう男性。
学校へ向かう子ども。
犬を連れた住人。
朝のマンションは、それぞれの一日へ向かう人たちで少しずつ賑やかになっていく。
「いってらっしゃいませ」
私は一人ずつ声をかける。
やがて、エントランスが静かになった。
私は時計を見る。
「そろそろ、ですね」
エレベーターの前へ向かう。
しばらくすると、扉が開いた。
そこから出てきたのは、瞳さんだった。
「おはようございます、うさぎさん」
「おはようございます、瞳さん」
今日は薄い色の上着を羽織っている。
「昨日はありがとうございました」
「こちらこそ、紅茶をご馳走になりまして」
「あら。雨宿りをしただけでしょう?」
「私にとっては、ありがたい雨宿りでした」
瞳さんが小さく笑う。
「今日はどちらへ?」
「庭を少し見て回ります。そのあと、一階の花壇を」
「まあ。朝から大変ですね」
「瞳さんこそ、今日はお出かけですか?」
「今日は家にいます」
「それはよかった」
「どうしてです?」
「昨日の雨で、少し冷えたでしょうから」
瞳さんは少し驚いたような顔をして、それから笑った。
「いなばさんは、本当に管理人さんですね」
「そうでしょうか」
「ええ」
瞳さんはエレベーターの前で立ち止まった。
「それでは、また」
「はい。何かございましたら、いつでもお声をかけてください」
扉が閉まる。
私はしばらく、その場に立っていた。
そして、花壇へ向かう。
昨日の雨で、土は十分に湿っている。
花の葉についた水滴を眺めながら、私は小さく息を吐いた。
このマンションには、たくさんの住人がいる。
毎日顔を合わせる人もいれば、数日に一度しか会わない人もいる。
それぞれに生活があり、それぞれに事情がある。
私は、それを少しだけ手伝う。
それが管理人の仕事だ。
花壇の隅に伸びた雑草を一本抜く。
「さて、今日も始めましょうか」
山の上には、青い空が広がっていた。
今日もきっと、穏やかな一日になる。
そんな気がしていた。




