警告
レニー・レイヴン。
レイヴン公爵家の三男であり、のちに帝国騎士団の頂点に立つ存在。
まさにレイヴンはエルディーテの知っている団長その本人だった。
エルディーテの知る団長は五十代前半の独身で、一見穏やかで紳士的だが階級意識が異常に強い人間だ。
思い返せばオルディスを蔑むレイヴンの言動には一致するものが多々ある。
特に分かりやすいのが、エルディーテに対する態度だ。彼は公爵家出身ということが女であること以上に価値があると見ている節がある。それが理由なのだろうが、王女付きの護衛騎士の就任を後押したのも彼の手腕だった。反対どころか推薦までしたのだ。
そして宿舎という共同体の中で、エルディーテに色目や喧嘩を吹っ掛ける連中を仲裁する手段として、決闘を提案したのもレイヴンである。
その結果として、負けなしのエルディーテは強さを誇示することが出来た。
だから良い人間かと言うとそうではない。
階級主義という彼の価値観から生じた副産物によってエルディーテ自身が益を得たことはあるが、レイヴンは厳粛であらねばならないはずの騎士団内部の風紀を乱し、軍律よりも家格を優先する組織の癌だ。
組織に所属するため言葉にすることは憚れるが、実力主義のグラウスとは真っ向から考えが異なる。
それが団長であるレイヴンに対するエルディーテの印象だ。
その彼の……過去なのか?
それとも邸が見せている根拠ない幻覚なのか。
定かでないがエルディーテが見ている現場はとにかく胸糞の悪い場面だった。
「――君にそそのかされ、ハンナ嬢が丸め込まれるのではないか心配でね。幼馴染想いの優しい女性だから」
スナイプ家はレイヴンが現れることを知っていたのか止めることなく二人が話していた応接室への侵入を許可していた。
レイヴンの背後にはスナイプ男爵家の当主と夫人、そして兄らしき人物らが居る。
「レニー様……ありがとうございます」
ハンナはレイヴンが現れると瞳を輝かせて立ち上がり、オルディスの手を退け彼らの後ろへと控えた。
その頬がほんのりと赤らんでいる。
「どういう事ですか……」
オルディスは信じられないものを見る目をしていた。
そしてエルディーテもまた、同じ瞳を向ける。
「――オルディス。レニー殿は我が愚息の暴走がのちにスナイプ家を破滅すると忠告してくださったんだ」
「破滅?何を馬鹿なことを仰るんですか。きっと彼に何か吹き込まれたのですよね」
家族の顔色を気にしながらオルディスが問う。
すると夫人は視線を逸らし、父親や兄らは表情を険しくさせた。
「失礼な発言は止めろ。お前の騎士団内の評判を旧友から確認したが、酷いものだったぞ。婚約が破談になるのも無理はない」
「兄さんまで……」
「お前は何をしに騎士になった?意見の食い違いで暴力をふるうなど騎士道にあるまじき行為を繰り返すとは信じられない。失望したぞ」
「待ってください。なぜ彼を信じるのですか……私は家族でしょう!?」
スナイプ家は家族であるはずのオルディスを責めていた。それも本人の言い訳も聞かずに。
「証言まである。家族なら家を第一に考えろ。レイヴン公爵からも釘をさされたんだぞ。恥をかかせないでくれオルディス。これを機会に態度を改めろ」
父親が言った。おそらくは本心からレニー・レイヴンを信用しているわけではないのだろう。
社交界で評判は死活問題だ。
スナイプ家としてオルディスを擁護するには公爵家は相手が悪い。
このレニーの気を諫めるには迎合するしかない、といったところか。
その事はおそらくオルディス自身も気付いているだろう。
視線を落としたままオルディスは考えあぐねるように黙り込んでいた。
しかし……――――
「私はこんなことを言われるために、休暇を取って帰ってきたわけではありません……」
オルディスの口から出た言葉は、折れるつもりがないという意思の表れだった。
――なにをやっているんだ。感情と思考を分けろ、オルディス。
エルディーテは呆れともどかしさから唇を噛みしめ、事の成り行きから目を離せない。
形だけでいいから自分が間違っていたと言わなければオルディスはこの先、実家からも冷遇されることになるだろう。
そんなオルディスの発言にレニーはふっと笑った。
そして父親は失望した瞳をオルディスに向けた。
「……そうか。今回の破談の件といい、反抗的な態度といい、お前の我慢のきかない面は目に余る。いくら剣技や軍略に秀でていようが組織に馴染む努力を怠る人間は使い物にならない」
父親は白髪の混じる髪を掻き乱しながら太い眉尻を下げると溜息を零した。
「ちなみに今回、レニー殿が当家に来ているのはお前から受けた暴力に対する示談のためでもある」
「は……なんのことですか?この期に及んで」
訳が分からないといった様子でオルディスの瞳が揺れた。
「二月ほど前、部屋に押し込みレニー殿を殴りつけただろう。上層部に報告はしていないそうだが、対応によっては考えると言われている」
瞬間、オルディスは鋭い視線をレニーに向けた。
「騎士団内で起きたことを、わざわざ実家に言いつけたということですか?私を罰したいなら上層部に報告すればいいものを」
「酷いな。これは騒ぎを大きくしないための配慮だというのに」
レニーは呆れた口調で言って、それからオルディスの家族とハンナをみた。
「先日お話した通りです。やはり未だにオルディス殿は妊娠した近習騎士の父親を私だと嘯いて折れる気がないらしい。実際のところ父親は彼自身だと思うのですが、それを指摘すると激高するのですよ」
近習騎士という言葉にエルディーテは前回見たやり取りを思い出していた。
あの時、オルディスは宿舎の廊下で座り込む女性を庇っていた。
「いい加減なことを言うな……」
「この通りです。そもそも、ハンナ嬢という存在がありながら、いつも彼女の傍についていたのは君だと言うのに」
これまでエルディーテが見たオルディスは正義感の強い人間だった。その彼のことだ、きっとあの後も気にかけていたのだろうと想像がついたが、しかし令嬢のハンナはレニーの言葉にショック受けている様子だった。
「……辛そうな仲間を放っておけなかっただけだ。いいかレイヴン、君がしたことを私は知っている……彼女には止められていたがもう我慢ならない!帰って報告する」
オルディスは声を荒げると憤る脚でレニーの横を過ぎる。そして部屋を出ようとしたが父親の声がそれを止めた。
「オルディス!!」
厳しい口調で呼び止め、オルディスが忌々しげに振り返る。
刹那の沈黙に緊張が張り詰めた。
その空気に響いた吐息は誰のものだったのだろう。
オルディスの父親は、眉間に皺を刻んだのち告げる。
「これ以上、問題を起こすなら勘当も視野に入れている。そうなれば騎士ではいられんぞ」
その言葉に反応し、オルディスは胡乱な瞳を父親に向けた。
この瞬間、明らかにこの親子の間に亀裂が出来たのをエルディーテは感じていた。
傍ではレイヴンが二人のやり取りを満足そうに眺めていた。
しかし婚約破棄も身内からの警告もまだ序章に過ぎない。
オルディス・スナイプという正義感溢れる騎士は、レニー・レイヴンの異常な執着によって、転がり落ちるように人生が破滅に向かっていく。
それをエルディーテもオルディス自身もまだ知らない。




