レニー・レイヴン公爵令息
「地道に努力したところで、オルディス……お前の場合は無駄だがな」
レイヴンの言葉を静かに受け止めたオルディスだったが、しかし女性騎士を諦めたわけではなかった。
「彼女を連れて行くのはやめてください」
去ってゆくレイヴンらを引き留めようと追いかけ横に並ぶ。
すると眇めた視線を鋭く向けたレイヴンは立ち止まりオルディスを殴りつけた。
「鬱陶しい」
苛々とした口調で告げるレイヴンにオルディスは片膝を立て静かに立ち上がる。
その雰囲気は刺々しく、キレているのだとエルディーテは肝を冷やした。
「あなたは下品だ。騎士にふさわしくない」
言ってオルディスはレイヴンに掴みかかった。
しかし……――――「スナイプ!!」
声の主をエルディーテが振り返ると、中隊長の腕章をつけた男が居た。
「話がある。来い」
「しかし……」
「今すぐに、だ」
厳しい声で叱りつけ促され、オルディスは掴んでいたレイヴンの胸元を払うと苛立ち交じりに溜息を零す。
嘲笑を小さく零すレイヴンの口許を睨みつけたオルディスだったが、しかし礼儀を重んじるであろう彼は上官の呼び止めに応じた。
「……分かりました」
踵を返し二人はレイヴンらとは反対の廊下を歩んでゆく。
その後をエルディーテはついて行った。
どうやら二人は知り合いらしい。
オルディスの顔の痣に苦々しく視線を向けた男は、歩きながらオルディスの頭に手をやり髪を掻き乱した。
「すまん」
「なぜ止めたんですか……」
「近習騎士から聞いた。乱闘騒ぎを起こすつもりか?」
「乱闘だなんて、殴ろうとしたのは私だけですよ……」
瞳に影を落としながらオルディスは答える。
「お前を慕う近習騎士らは多い」
「そうですかね……」
「お前はいいやつだ。だが行動に慎みを持て。正義感があるのはいい事だが感情で動くな」
暫く進んで立ち止まると、上官の男はオルディスを見て言った。
「我々のような下級貴族は上手くやらなければ弾かれるだけだ。特にお前はレイヴンに目をつけられている。せめて最初の三年だけでも大人しくしとけ。いずれ機会は巡ってくる」
この男の言っている事は騎士として正しいことでないが、組織内での立ち回りとしては真っ当なことだった。
素行の悪さを見つけても、不満があっても、力をつけるまでは大人しくすべきだと。
それは戦略として間違っていない。
自らを下級貴族と言ってオルディスに同情を向けた男は、きっとそうやって中隊長の腕章を手に入れたのだろう。
だがその彼でもレイヴンを咎める事は出来ない。
「――私は間違ったことを指摘しているだけです」
「それが良くない。相手は公爵家だろ」
「……中隊長まで?軍部内で指揮系統が優先されるならレイヴンとも対等です……そうあるべきです。常日頃から互いを尊重し合うのが騎士団の本来あるべき姿のはずでは?」
「世知辛いな……」
上官の男は溜息を零す。
しんと静まり返った廊下に二人の力ない声は音をよく伝えた。
「……この国で切っても切り離せないのが家格というものだ。俺はお前を評価してるからこそ言ってる。釘を刺すが、身の程を弁えて上手くやれ。でないと庇いきれなくなる」
言ってオルディスは肩を叩かれていた。
頼むぞと念を押す男はその後、去ってゆく。
立ちすくむオルディスは納得していない様子で呟いていた。
「なぜだ……」
その姿を見て、エルディーテは胸が苦しくなる。
オルディスはまだ若い。
折り合いをつけるには時間がかかるだろう。
騎士団に入団して歳を重ねたエルディーテは慣れたつもりだったが、先ほどの彼らのやり取りを見て歯がゆい感情を思い出した。
騎士団内で今の立ち位置を獲得するまで、エルディーテは様々な奇異の視線や言葉に嫌な思いをしてきた。
あの女性騎士やオルディスと違ってエルディーテには公爵家という後ろ盾に守られてはいたが、しかし精神的にはギリギリを生きてきた。
では公爵家の傷もの令嬢として人生を選んでいれば良かったかというと、それはおそらく違うだろう。
茶会やパーティーに出ても影で笑いものにされるだけだ。
そもそも理由をつけて呼ばれることすらないかもしれない。家格の高いこちらから呼べば強制的に集めることは可能化もしれないが、噂のネタにされると想像がつく。
そんな社交がままならぬ令嬢に価値はない。
だからこそ選んだ道は正しい。
剣はエルディーテにとって魂の叫びであり尊厳だ。
騎士という道は公爵家出身という家柄込みで、ようやくマシな人生だと思わせてくれた。
ただし今でこそ同僚の騎士らと渡り合っているが、レイヴンとオルディスらのやり取りのように騎士団内部もまた独特の価値観に支配されており気持ちのいい場所ではない。
あのように同性であってもオルディスの如く正義に純粋な者は悔しい思いをする。
エルディーテを守っている爵位という壁は、オルディスにとってはきっと切り崩したい疎ましいものだろう。
境遇は違うのに、まるで自分を見ているような気がした。
自室に戻ってゆくオルディスを追ってゆくと部屋を入った瞬間また景色が変わった。
今度は最初に見た邸の玄関だった。
話し声が聞こえる。少し開いた扉の奥だった。
戸惑ったオルディスの声と、トーンの高い女性の声だ。
「私の心はあなたの気持ちに応えられないのです」
「なぜなんだ……私に不満があるなら教えてくれ」
隙間から覗くと二人がなにやら話し込んでいた。
立ち上がったオルディスが俯く令嬢に対し困った表情を浮かべていた。
そしてエルディーテは気付く。さきほど見た姿よりも、随分と背が伸びていることに。
身体の厚みも増して、貴族の青年という細身の体躯から逞しい体つきになっていた。
「申し訳ありません……」
令嬢は首を静かに横に振った。
「頼む、ハンナ。婚約破棄だなんて、理由が知りたい……でなければこんな一方的なこと納得できない」
オルディスは食い下がるように跪き、そしてハンナと呼んだ令嬢の手を取った。
会話の内容からして二人は婚約者同士。しかしそれが白紙に戻された、といったところだ。
「――あなたの隊内の境遇に私達の未来が危ぶまれるからです」
暫くの間を置いてハンナは答えた。
「父も同意しています。あなたを婿に迎えるのは爆弾を抱えるようなものだと……今日、父らを連れず伺わせていただいたのは、これまでの付き合いを私なりに重く受け止めているからです」
ハンナの言った”私達”にはオルディスは入っていなかったようだ。
「爆弾……?何を言ってるんだ。私は真面目に勤務している普通の騎士だ」
エルディーテが見てきたオルディスは清廉潔白で曲がったことが嫌いという印象だ。
彼はあれから騎士団でもその姿勢を貫いたのだろうか。
眉尻を下げ視線を逸らしたハンナは言いにくそうに告げた。
「何度もレイヴン様に歯向かって規律を乱しているのでしょう?」
「は?」
「あなたのせいで何度も乱闘が起きたと聞いています。あなたからはいつも変わりないと文をいただきますが、レニー様は私達セプター家のことを憂い、打ち明けてくださいました」
「……レニー・レイヴンが……そのようなことを?ハンナ、君が聞いた話には事情が……」
「事情?私は何度もオルディス様を心配してきました。それなのに今になってそのようなことを?」
押し問答するオルディスは明らかに困惑の色を深めていた。
「――迎えに上がりました。ハンナ嬢」
突如、背後に気配を感じ振り返る。するとレイヴンの姿があった。
その姿に固まってエルディーテは動けない。
そしてレイヴンはエルディーテの身体を突き抜けて部屋に入ってゆく。
レニー・レイヴン……団長の名だ。




