春の夜会で
「これ以上、問題を起こすなら勘当も視野に入れている」
スナイプ公爵の言葉はオルディスを完全に立ち止まらせた。
その表情には戸惑いと落胆の色が現れている。
しかしこればかりは仕方ない。スナイプ公爵の本音がどこにあるか、これはエルディーテの推測でしかならないが公爵の言葉はオルディスを守るためのものだ。
仮にレイヴン公爵家を敵に回した場合、オルディスとの絆は守られるが、失うものの方が多い。
極端な話、あらぬ噂による社交界からの追放や、軍事や経済的な制裁、冤罪による身分剥奪などといった様々なことが可能なのだ。
この国の歪な階級社会で生きるなら、そこまで想定する必要がある。
レニーの心ひとつで、オルディスだけでなくスナイプ家自体が咎められるのだから、今は服従の姿勢を見せることでレニーの気を静めることが何より重要だ。
それが巡り巡ってオルディスを守ることにも繋がる。
つまり、スナイプ公爵の言動は必要悪であったといえる。
エルディーテはそう考えたが、しかしスナイプ公爵は危機回避は出来てもかなり配慮に欠ける人間だった。
あの後、レニーとハンナが二人で出て行く姿を見送ることとなったのだが、彼らが去ったあとオルディスへ言葉をかけることなく出て行ってしまった。
母親の方はオルディスの肩を抱き寄せ「分かってちょうだい。あなたのためなのよ」と訴えたが、それを払ってオルディスは自室へと行ってしまう。
きっと欲しかったのは父からの言葉だ。彼もまた焦っていただろうが、息子を気に掛けるべきだった。
エルディーテは後を追いかけたが、しかしオルディスの部屋に入ることは叶わなかった。
――――オルディスの部屋の扉を開いた瞬間、また場面が変わった。
目の前に広がるのは金を誂えた豪奢な装飾の邸。
そこに貴族らが集い、音楽が流れている。
ピアノの音色は軽快で、その曲でこれが豊穣際の時期に行われるものだと分かった。
数日に渡り執り行われるもので、この夜会を皮切りに社交シーズンは始まる。大事な催しだ。
市井では稲穂で作られた腕輪や冠が用いられるが、貴族らはそれを生花や宝石で模したものを身に着けている。独身の者はそれらを開催期間中に婚約者や恋人に贈るという風習もあった。
視線を彷徨わせていれば、壁際にオルディスが居た。
やはり彼が何かヒントになるのだろう。
ここまで連続して出くわせば間違いないといっても過言でないはずだ。
彼は少しやつれた顔をしており、傍らには同じ髪色をした女性がいた。
女性の方がオルディスの腕を組み捕まえているように見える。
エルディーテは人を掻き分けて近づいて行った。
相変わらずエルディーテの姿は誰にも見えていない。
近付くと、オルディスの傍らに居た相手の女性は他家の令嬢ではなく、姉だということが分かった。
そして二人は小声であったが揉めていた。
「――嘘はよくない」
オルディスの瞳は咎めるように苛立ちを孕んでいたが、しかし姉の方は怯むどころか唇を僅かに尖らせている。
「そうでもしないと出てこないでしょう?」
「夫が不在だからエスコートして欲しいと言ったのに、こんな騙し討ちをされたら今後は姉さんの言葉を疑うことになる」
「だったら自分で相手を見つけられるの?」
「それは……」
どうやら、姉はオルディスを憂い他家の令嬢と引き合わせようとしていたらしい。
姉はオルディスに対し憤りをみせていた。
つい先ほど姉が引き合わせた令嬢に対しオルディスは冷たい態度を取っていたらしい。俯き去ってしまった令嬢を追いかけるようオルディスは諭されている。
「身を固めるために動き出すべきよ。一年も待ったのだもの、自粛は十分よ……」
「自粛していたわけじゃない。興味がないだけだ」
「それはまだ彼女を想っているから?てっきり私はハンナ様の一方的な想いかと……」
「ハンナ嬢は関係ない。誰も信用できないだけだ」
「じゃあ、一生独身のままで居るつもり?帝国騎士団で昇進するには他家との婚姻も必要なのでしょう?」
姉の言葉に瞳を揺らし反応したオルディスは言葉を詰まらせていた。
明らかに動揺し、そしてかなり憔悴していた。
婚約破棄以降、レニーや騎士団内で何があったのかはエルディーテには分からない。
しかし試験の日に出会った整然として堂々としたオルディスの姿はなかった。
夜会のために新調されたであろうハリのある燕尾服に身を包んでいるが、袖を通すその身体の所作一つ一つに疲れが滲み出ている。
エルディーテがやるせなさを感じ二人を見つめていると、会場が突如ざわめきに揺れた。
皆が高揚し噂している。その視線の先に居たのは、レニー・レイヴン。
そして連れ立って現れたのはオルディスを振った相手、ハンナだった。
「見て、レニー様よ……今日も素敵」
「最近は中隊長になられたとか」
「やはりハンナ様は恋人なのかしら……」
「違うわよ。今日だけエスコートされているに決まっているわ」
「まだ身を固めないのかしら。きっと団長になる方よ、ぜひ娘を輿入れさせたいわ」
口々に思惑や色目をレニーに向けていた。
将来が約束された公爵家の三男と縁戚になりたい者は多いだろう。
彼らの口ぶりからしてハンナは正式な婚約者ではないうえに、エルディーテの知るレニーもまだ独身。彼らが結ばれることはないのだろうが、しかしオルディスにとって耐え難い構図であることは間違いない。
二人は階段を降りて行きながらオルディスを見ては何か囁いていた。
そしてハンナが目を細めた瞬間、オルディスは姉の腕を解き外へ向かって歩き出す。
「オルディス、帰らないで」
姉が慌てて追いかける。
するとオルディスは振り返り告げる。
「外の空気にあたるだけです。姉さんは他の方々に挨拶があるでしょう」
その表情は冷え切っており、姉は立ち止まったままそれ以上追いかけようとはしなかった。
あんなものを見て、来てくもない場所へ連れられて、大丈夫だろうか。
エルディーテはオルディスの後を追った。
向かった先は庭園だった。
バルコニーからの灯りから遠ざかるようにして月明りを頼りに庭園をひとり歩いていた。
その足取りからは明らかな憤りを感じる。
何か声をかけてやりたいという衝動に駆られたが、しかしエルディーテの姿は誰の目にも映らない。
暫くして立ち止まったオルディスの背をエルディーテは見つめる。
激情の籠った吐息が零れ、気を静めようとしているのが分かった。
やはり大丈夫じゃなさそうだ。
やりきれない思いという点でエルディーテは立場が違えど似た感情を知っている。
もどかしい。
「誰だ……?」
唐突にオルディスが振り返った。
無意識に背後を確認したが、誰もいない。
明かに訝しむ視線は自分に向けられていた。
「見えているのか……」
呟くように出た言葉は自分の思考を整理するためのものだった。
「あなたは……――まさか、エルディーテ様ですか?」
幽霊でも見ているような警戒の視線が向けられたが無理もない。
「……なぜここへ?何者ですか?あなたは帝国騎士団の所属じゃなかった……五年前と同じ姿で……これはどういうことですか、私は頭がおかしくなったんだろうか……」
矢継ぎ早に問われエルディーテ自身もどう説明すればよいか考えあぐねてしまう。
オルディスがエルディーテを覚えているのは試験日とその翌日の出来事を跨いだ時に分かっていたが、あれから視認されることはなかった。
オルディスにとってエルディーテは不審者でしかないだろう。
しかし狼狽えているが警備の人間を呼びつける意思はないようだ。
「――オルディス。変な話をしていいかな」
エルディーテは恐る恐る口を開いた。
常識では考えられないこの現象は受け入れられないだろう。
しかしオルディスが試練のヒントという可能性が高まっただけでなんの糸口も掴めていないのが現状だ。そしてなにより、オルディスを励ましたいと感じている自分に気付いてしまったのだ。
適当な作り話をするよりもありのままを話そう。
他人を励ますには信用を得てからではないと響かない。
そう決めてエルディーテは慎重に息をつく。
「……――――つまり地上が冥界と繋がっていて、私がケルベロスの試練を達成するためのヒントになっていると?」
「あぁ」
「信じられない……」
「そうだろうな。だが私は君の人生を垣間見た」
エルディーテは自分が見たオルディスの姿を語った。
すると険しかった表情は次第に憂いを帯びたものに変化してゆく。
「試練の内容は教えられないんですよね……しかしなぜ私が?私はただの騎士ですよ。どこにでもいるような」
オルディスが困った様子でエルディーテを見る。
その言葉には自嘲が含まれていていた。
「どこにでも、ではないだろう。君は高潔で心が綺麗な騎士だ。ところで、今日の夜会は来るつもりじゃなかったんだろう?」
「……えぇ、あなたが見た通り騙されてここに。休みを取るとだいだいこうです。いい事がない」
だから休みを取るのが怖い。そう続けた。
オルディスはエルディーテが彼の時代の人間でないからか、心の内を話してくれた。
もしくは、見られているのならいずれエルディーテも知ることだろうと考えているのかもしれない。
オルディスの話ではレニーの嫌がらせは入団試験から始まり今なお続いているらしい。
良かれと思って行動したことが全て裏目に出ており、レニーを警戒しているものの隙あらばオルディスを貶めるための噂や偽装が施されるという。
始めこそ小さな嫌がらせだったため気にする方が無駄だと考えたらしいが、返ってレニーを煽ってしまったようだ。小さな嫌がらせも積もれば影響は大きくなる。
情報を共有してもらえないという事柄から始まり、昇進試験時の細工や試験監督の買収による不当な評価、オルディスを慕う騎士らへの恐喝。
加えて中隊長まで昇進しているレニーは着実に隊内での発言力を肥大させ、オルディスを帝国騎士団から追い出そうとしていた。
オルディスは、自分は我慢がきかないため追い出されるのも時間の問題だという。
間違ったことを見つけると黙っていられないらしい。
それが良くないのだと後から痛感するが、もはや差が開ききった相手に今から上手く立ち回ることは困難だと笑う。
婚約破棄にまで発展し、家族の忠告を受け大人しくレニーの嫌がらせに耐えながら今の立場に甘んじているが、近いうちに追放されるかもしれないと言う。
「――こんな無様な人間があなたの問題のヒントになるはずがないですよ」
オルディスはエルディーテに荒んだ瞳を向けた。
「オルディス。自分で無様なんて言っちゃ駄目だ」
「自分の立ち位置すらろくに守れないんですよ……」
「だが私は君を騎士として尊敬するよ。だからこそ、自分を大切にして欲しい」
心の底からの言葉だった。
オルディスはエルディーテが言えないことを言える人間だ。
我慢がきかないというのはその通りだろうが、こういう人間が帝国騎士団に必要で、純粋に憧れる。
「……ありがとうございます」
「本心だからな」
「分かっていますよ。あなたの途方もない話を聞かされたら少し落ち着きました。私もあなたが模索しているように、もう少し冷静に対処してみます……」
「そうか。……妄言のような話を真面目に聞いてくれてありがとう」
二人きりの庭園を照らす月明かりは雲間によって徐々に暗闇に溶けてゆく。
「これを」
オルディスはふと、胸元に飾っていた黄色の花をエルディーテへ差し出した。
「受け取ってください。誰かに渡しておかないと後で姉がうるさいでしょうから」
「そういうことなら」
エルディーテは花を受け取った。
その瞬間、視界が歪む。
そして次にエルディーテが見たのはオルディスが騎士団から追放される現場だった。




