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月の騎士、エルディーテの失意

この日、リシア帝国の王城では王女サフィアの誕生日を祝う盛大なパーティーが開かれていた。


サフィアがシルフィードに嫁ぐ前の自国で迎える最後の誕生日ということもり、両陛下らが会場の準備に力を入れている事は誰もが知っている。

これまでになく豪奢な飾り付けと料理の品々、そして楽団から踊り子まで全てにおいて一級品が揃えられていた。


今宵のサフィアは特に美しく、その姿を見つけた時にエルディーテは息を呑んだ。


サフィアをエスコートするのは、シルフィードの王子ベニトア。

まだ正式に婚姻を結んでいないが、未来の妻の誕生日を祝うため招待されている。


ベニトアの瞳と同じ深い蒼のドレスに身を包むサフィアは、朗らかな笑みを浮かべ、二つ年上の兄である王太子アズライルから祝いの言葉を貰っている。


それをエルディーテは壁際に直立し見ていた。



そう、今、サフィアの身辺警護のため傍に控えているのはエルディーテではない。



サフィア達の一歩後ろに控えるのは、帝国騎士団の団長が推薦した家格の高いボルダー家の令息である。

これは最初にエルディーテが王女付きの護衛騎士となった時からの慣例だ。


他国の人間が顔を出す公の場では、エルディーテはサフィアの身辺警護から外れなければならない。


国内での茶会やパーティーでは護衛を任されているが、他国の人間にはエルディーテを見せたくない、というのが陛下の意向だった。


今夜はシルフィードの王子が居るため、エルディーテは他の騎士らと同様の扱いとなり、例によって会場内を監視していた。


不満はない、といえば嘘になるが、リシア帝国に生まれた以上、いかなる時もサフィアに付き従いたいというのは過分な望みというものだ。


その点をエルディーテは弁えていた。

一線を越えなければ、騎士団に収まっていられるのだと理解することこそが生存戦略。


愛し愛される婚姻こそ幸せだと憧れていた少女はもういない。

令嬢としての人生を捨て騎士を選んだ以上、尊厳は守りながらも上手く立ち回っていかなければならないと常に頭に入れている。


だがリシアでの苦労ももうじき終わるだろう。

サフィアはエルディーテをシルフィードへ連れてゆくと言った。


弟には申し訳ないが、王女との絆は手放せない。

それほどにエルディーテはサフィアの人格に心酔している。


少し浮き立つ気持ちを沈めながら、広い会場に監視の目を光らせていた。



そんなエルディーテの視界の端に、ちらちらと熱い視線が混じる。


令嬢達のものだった。


「はぁ……今日もなんて麗しいの。月の騎士様……私も侍らせてみたいわ」


「あなた観劇に影響され過ぎよ。でも凛としてらっしゃるのに、少し影のある感じが素敵よね……」


「背だって他の殿方と殆ど変わらないのよ。額に傷があるなんて気付かない程に美しいわ……あの方が男性ならよかったのに」


「実は私、月のお方の瞳と同じ色でハンカチに刺繍しましたのよ。出来上がったらお渡ししたいわ」


今やエルディーテは、数多の令嬢に恋文を渡される男装の麗人――月の騎士とまで噂されるほどになっている。


さすがに今夜のパーティーで彼女らが直接エルディーテの目の前にやってくることはなかったが、少し離れた場所で扇を立て好き放題会話していた。


隠しているつもりだろうが、残念ながら丸聞こえだった。いや、もしかすると敢えて聞かせているのかもしれない。


実際、反応を窺うような視線が時折りエルディーテの肌を舐めていた。


「あら、もう先を越されていてよ」

「どういう意味かしら」


「フランツ侯爵家のティアローゼ様よ。月の騎士様の前で手袋を落としたらしいわ」


つい最近の出来事だ。

気付けば無意識に眉間に皺が深まっていた。


「――月の騎士殿、今宵はいつにも増して熱い視線を集めてるな?」


不意に隣から嫌味の篭った声が聞こえた。

同じく壁際に配備されている騎士、バロンのものだ。


「無駄口を叩かないでくれないか。気が散る」


エルディーテが会場に視線を止めたまま嗜めると少し離れた反対側から失笑が漏れる。


男社会に身を投じたが、選民意識の高いリシア帝国では女というだけで舐められる。


剣を取れば捩じ伏せられると父は言ったが、確かに暴漢や理不尽を強いようとする男から身を守ることは出来ても社会はエルディーテを拒絶していた。


バロンはその象徴だ。

入団試験の時から何かにつけてエルディーテに嫌みたらしく絡んでくる同期である。


「つれないな。褒めているんだぜ。ティアローゼ嬢の件、婚約者のランスはまだ怒り心頭だとさ。俺はあの小僧が嫌いだからな、よくやってくれたって感じだ」


ランスはエルディーテやバロンよりも年下の十七になる侯爵家の令息だ。


自分の婚約者が年上の女騎士を相手に両方の手袋を落としたため、年若いランスは火がついたようにエルディーテを罵倒していった。

当然、このとき傍には護衛対象のサフィアが居た。


「くだらない戯れで茶会に水を差したことが?どうかしている」


婚約者同伴が許されていた茶会、サフィアの友人にあたる令嬢が主催した場で起きたこの出来事は小さな騒ぎとなった。


「ま、俺も婚約者に同じことをされたら苛立つが……所詮は傷物女が騎士ごっこしてるだけのことなのにな。狭量なランスがみっともなくて笑えるよ」


バロンは鼻で笑った。

自分より家格の高いランスを嘲笑うような言い方をしているが、エルディーテへの悪意の方が強い。


嫌味にはもう慣れてしまったが、持ち場が近いため執拗に絡んでくるその態度は任務の邪魔にしかならない。


一言、エルディーテは短く告げた。


「会場から目を離すな」


しかしバロンはエルディーテにだけ伝わる声で言う。


「……なぁ、行き遅れて辛いだろ?サフィア王女も嫁ぐんじゃ、お前は帝国騎士団に居場所もない」


あからさまな嗾けに乗るようなエルディーテではないため沈黙し会場の様子を注意深く監視していたが、バロンは愉しげに続けた。


「無視するなよ、エルディーテ。団長達はお前を高く評価しているが、グラウス宰相の目があるからだと忘れるな。俺という友人がいなければ話す相手もいない、肩身が狭いなぁ」


一瞬、無意識に片眉が上がりエルディーテは咳払いした。


「お前を友人などと思った事はない」


これだけは今はっきりと訂正しておかねば後々も吹聴して回る可能性が十二分にあったからだ。

するとバロンは気を引けたことに喜ぶかの如くエルディーテの横顔に視線を向ける。


「そう強がるな。このまま騎士を続けるのは女にはキツいだろ。お前いくつになった?」


エルディーテは内心で舌打ちした。

二十七になるエルディーテだが婚姻に希望など持っていない。


リシア帝国の貴族令嬢ならばとっくに婚期を逃し泣き寝入りしている頃だろうが、サフィアを守る立場にいられればそれで良かった。

エルディーテは押し黙ったまま口の達者な悪辣男の言葉を待った。


「仮に婚約者探しをすりゃ、せいぜい老いぼれの爺さんしか相手にしないだろうな……」


攻撃しているつもりだろうが、バロンもまた未婚。

以前は婚約者が居たようだが相手の事情でいつの間にか解消していた。


エルディーテに向けた言葉はそのまま自分に返っていると気付いていないのだろうか。

飽き飽きしていた頃、バロンは歪な笑みを孕んだ吐息を溢して言った。


「……なぁ、エルディーテ。俺が貰ってやろうか?」


嫌悪の感情が胸に落ちる。

よくもサフィアの祝いの場で言えたものだ。


しかし怒りは直ぐに鎮まり、腹立たしさを通り越して関心すら覚える。

エルディーテは声を潜め、一度だけバロンに鋭い視線を向けた。


「舌を切り落とされたいか。決闘なら受けてやるが」


実際、これまで邪な感情を一方的に抱き、舐めた口を聞いてきた人間にはもれなく決闘を挑み、エルディーテはその全てに勝利している。


「は……冗談だろうが……」


エルディーテの本気を感じ取ったのか、バロンは吐き捨てた。


「しかし堅物まで加われば死ぬまで独り身確定だな。女を騎士になんてさせて、グラウス家はどうかしてる」


それはプライドを折られた男がエルディーテに言う定番の台詞だった。


顔を見なくても分かる。

斜に構えた物言いで揶揄したつもりだったのだろうが、今のバロンは顔を赤くしている。


「黙るなよ。やはり厄介払いなのか?だが残念だなぁ、お前は帝国騎士団に居場所はない。騎士の名を汚す迷惑な存在なんだよ」


流暢に舌を回すほどに恥を上塗りしていることに気付いていないのか。

今夜のバロンは一層エルディーテに踏み込んできた。


鬱陶しい。

エルディーテは一度双眸を伏せ瞬いたあと、静かに告げた。


「……汚れといえば臭うぞ、バロン。薄汚い男の臭いが私のすぐ傍から」


瞬間、直立を崩したバロンの影が揺れる。


「お前……っ」


「持参金狙いの誘いは腐るほど受けたが……お前の悪臭漂う口説き文句は記録を更新したな。過去最悪の糞以下だ」


「っ……」


冷ややかな声音で告げる。

するとバロンはそれ以上何も言わなくなった。


ようやく腰を据えて会場警備が出来る。

これまで以上に多くの人間がひしめく会場内は社交に熱心な者の声で賑やかだ。


シルフィードの王子ベニトアと歓談する王太子アズライルの姿を捉えながらエルディーテは吐息を溢した。

しかしふと、サフィアを見た直後に違和感を覚える。


「――おかしい……おい、バロン。王女の護衛騎士が姿を消した」


焦りが滲む声を抑えながら、すぐ傍に居る同期に声をかけたが、バロンは先ほどの応酬を引き摺っているのかまともに取り合おうとしない。


「……そんなわけないだろう」

「先ほどまでサフィア様の直ぐ後ろに控えていたはずだ……なぜ居ない」


「お前、公の場じゃ警護させてもらえないからって仲間の怠慢を疑う気かよ」


「そうじゃない!」


瞳を揺らしエルディーテはサフィア達の周囲を見遣る。しかし一瞬目を離した後には護衛騎士の姿がなく、嫌な予感が胸をどくどくと打つ。


「……怠慢じゃない。バロン!サフィア様の元へ行く、周囲の警戒を……っ!!」


エルディーテは足早にサフィアの元へ向かう。


「おい、勝手に持ち場を離れるな!」


バロンが声を荒げたが、エルディーテの視線はサフィアに注がれており、当然聞く耳など持っていなかった。


人を交わしながらサフィアの元へ急ぐ。


しかし、それは一瞬だった。


サフィアの元へ副団長がにこやかに現れ、背後から薄い身体を剣で貫いたのだ。

赤い血がドレスを濡らし、黒いしみが広がってゆく。


「リシアの宝石は守られた!王女は身を汚すことなくリシアに眠り続ける!リシア万歳っ!」


副団長は大声で叫び、血濡れた剣を天に向かって掲げる。

刹那の出来事に周囲は唖然として固まった。


「どうかしている、っ……」


時が止まったかに思えた場は数拍の間を置き空気が割れたように叫び声が上がる。


ざわめく会場は混乱し、人の流れと逆に走り出したエルディーテは副団長目掛けて剣を振い、そして無我夢中で取り押さえた。


「早く!医者を呼んでくれ!サフィア王女を……早くっ!」


絨毯に副団長を押さえつけながらエルディーテは必死に叫んだ。


しかしサフィアは即死。


この日、隣国シルフィードとの和平の証でもあった婚姻に反対する派閥であった帝国騎士団副団長にサフィアは襲撃され、エルディーテは拠り所を失った。

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