王女と騎士
――――リシア帝国。この国で女の傷は恥だ。
他国にも似たように傷を厭う文化はあるが、リシアはその中でも随一と言える。
リシアは男は身分、女は美しさがものを言う。
もしも令嬢が傷を負ったならば、それは爵位に関わらず、社交界では死んだも同然の扱いとなるのだ。
好まれるのは深層の佳人。
絹のような長い髪に、透ける白い肌、ささくれのない細く美しい指。
かつてはエルディーテもそれを持っていた。
――――エルディーテは三大公爵家のひとつ、グラウス公爵家の長女。
清廉潔白な父と、厳しくも優しい母。そして三つ下に弟がひとり居る。
グラウス公爵家はリシア帝国には珍しく、実力主義を掲げている異質な貴族だった。
側近となる文官から末端の私兵、使用人に至るまで、民族や爵位に関わらず有能で信頼できる人間が選ばれている。上位貴族からすれば有り得ない事だ。
然るべき身分から登用されるべきと考える名家の人間からすれば当然面白くない。
そのため、影で変わり者とも揶揄されていたが、公爵家という立場と、文武に優れるグラウス公爵の実力を前に、直接物申せる者など居なかった。エルディーテが傷を負うまでは。
当時七歳。社交シーズンのため滞在していた王都のタウンハウスが襲撃を受け、焼け落ちたその日、エルディーテは火傷を負ってしまった。
額の一部と左肩、他にもいくつか爛れている場所がある。
傷は無価値、いやそれ以下の扱いとなる国で、エルディーテの父であるグラウス公爵は言った。
「エルディーテ。女を捨て剣を取るか、弱者の宿命を受け入れるか選べ」
療養のため公爵領へと戻って二月ほどした頃だった。
それは父なりの優しさだったのだろう。
数日前も父と母が固い表情で話しているのを聞いてしまったところだ。
公爵領へ帰ってからというものの、エルディーテに対する婚約の打診が殺到していた。
「今度はハドソン子爵家から縁談の申し入れだ。まだ事件からそう経っていないというのに、どの家もあからさまだ」
「恥知らずな者達ね。我が家が娘の婚姻に難航すると考えているのでしょう……デビュタントもまだ先だというのに。私は理解ある殿方と愛のある結婚をして欲しいわ」
「いや、それは無理だろう。ただでさえ見極めるのは難しい。こうなった以上、エルディーテはこれから男を、いや……男も女も関係ないな。出会う人間を疑い続けなければ身を守れない」
苦し気にエルディーテの将来を案じる二人の会話は色濃く記憶に残っている。
火傷の傷がある以上、良縁は望めない。
それどころか搾取されかねない立場となった。
友人と呼べる人間も出来ないかもしれない。
これからグラウス家はエルディーテの縁談に託けて、足元を見るような提案を次々にされる。
そして仮に断り続ければ悪化するだけだ。
治療を受けながら、幼いながらにそれを理解していたが、しかし二人の生々しい会話はエルディーテの胸を鋭く貫いた。
両親が言うならきっとそうなのだろう。
これから先は人を疑い続けなければ身を守れない。
そして父はその翌日、包帯を巻いたエルディーテに慰めの言葉を零したあと、現実を突きつけたのだ。
「何を選ぶかはお前の自由だ。だが一つ助言をするなら……剣を取ればお前を軽んじる者を捩じ伏せることが出来る」
それは希望のような言葉だった。
父は辛い現実と同時に、エルディーテに騎士という未来を提示した。
エルディーテは涙を堪え、父に与えられた選択肢を前に声を絞り出した。
「剣を……私は騎士になります。惨めに腐っていくなんて、グラウス家の人間ではありません」
言葉は震えていたが、本音だった。
どちらか選べというのなら騎士になる。
死に腐った生き方は家名を汚す。
それに、エルディーテが俯いていては、自分を守って死んだ人間に報いることが出来ない。そう考えたのだ。
当時の火災では死亡者が数名出ていた。
エルディーテも一歩間違えれば、その中の一人となっていたのだ。
『グラウス家の皆さまは、恩人ですから』
そう告げて火の手が回るなか暴漢から守ってくれた騎士が居た。あの人のように、強くなろう。
その日、エルディーテは令嬢として生きることを捨てた。
エルディーテは豊穣の女神と言わしめた緩く癖のある金髪を短く切り、刺繍やピアノに宛てていた時間を捨てグラウス公爵家の私兵に混ざり身体を鍛えた。
男装し、言葉遣いも変えた。
好んで読んだロマンス小説を閉じ、軍略の講義を聞いて、淑女教育でなく騎士道を学ぶ。
そして帝国所属の騎士団の試験に合格し、その後も舐められてはいけないと必死に剣技を磨き、今は王女の護衛を任される立場に収まることが出来た。
とはいえ、それはエルディーテの純粋な実力の賜物というわけではなく、グラウス公爵家という肩書きと、過保護な国王が護衛ですら男を侍らしたくないという思惑と王女の推薦が一致した結果だ。
それでもエルディーテは身に余る光栄だと恭しく任を受けた。
王女サフィアがエルディーテを求めてくれたこと以外は重要なことではなかったからだ。
リシア帝国の王女サフィア・リコスは聡明で心根の優しい人間だ。
エルディーテより四つ歳の離れたサフィアは今年で二十三となる。
帝国の宝玉と呼ばれる美しさは国随一で、真っすぐ落ちる銀髪はダイアモンドのように日差しを吸い込んでは揺れる度に煌めき、蒼い瞳は晴れやかな空の色をしている。
国王に溺愛され結婚適齢期を過ぎてもなお、身を固める意思はないようだったが、しかし一年前、ついに隣国シルフィードに嫁ぐことが決まった。
そして今、長い婚約期間を経て、もうじきサフィアはリシア帝国を出て隣国へ嫁ぐ。
エルディーテは、弟がサフィアに恋い焦がれているのを知っていたため複雑な心境だった。
今まで結婚を拒んでいた王女も、弟と同じ気持ちなのだろうと考えていたが、宰相の地位を賜るグラウス公爵家に権力が集中することを避けるため二人が結ばれることは許されない。
先のない未来にどう折り合いをつけたのか、エルディーテには知る由もなかったが、この日サフィアは言った。
「エルディーテ。私はもうじきシルフィードに嫁ぐでしょう?共に来てくれないかしら。私にとってあなたは姉妹も同然なのよ」
城の庭園を歩きながらサフィアは一歩後ろを歩くエルディーテに告げた。
「嬉しいお言葉ですが、しかし……騎士は連れてゆけない条件だったかと……」
嫁ぎ先にはリシアから連れてゆける侍女の人数が決まっていたが、エルディーテの記憶では騎士の同行は許可されていなかったはずだ。
そのためサフィアが嫁ぐと同時にエルディーテは解任され、帝国所属の末端の騎士に戻る予定となっている。
今後の身の振り方を考えあぐねていた頃合いだったが、サフィアは僅かに口端を持ち上げた。
「侍女とすれば問題ないでしょう。剣を置けとは言わないわ。あなたを連れ出す口実として、ね……シルフィードは我が国よりも開放的な国よ。女性が生き生きとして、見た目をとやかく言うものもいない。爵位に捕らわれず有望な人材を登用する革新的な国なの。あなたも過ごしやすいわ」
流暢に説明するサフィアに呆気に取られ、エルディーテはしばし双眸を瞬いていたが、眉間に皺を深めては睫毛に影を落とす。
「有難いお言葉ですが……同行する侍女は国の顔でもあります。陛下がお許しにならないかと」
見た目や体裁を何より気にする人物だ。
女だから侍女に紛れて連れ出そうなど無茶な要求をいくら愛娘であるサフィアの願いといえど聞くだろうか。
それにサフィアの傍に居られるという提案は魅力的だったが、しかし結局女という立場に逃げるようでエルディーテは気が引けていた。
嬉しい反面、複雑な心境である。
しかしサフィアは表情に陰を落とすエルディーテを敢えて見ないように視線を薔薇へ移しては続ける。
「安心して、エルディーテ。私が説得するのよ。これまで縁談を断ってきた実績を買いかぶられちゃ困るわ」
柔らかな桃色の花弁に触れながら傷の有無を確かめているのか、サフィアは指先に視線を止めたまま悪戯に笑う。
どうやら言葉巧みに要求をのませるつもりらしい。
「だから私の我儘を聞いてちょうだい」
「しかし……」
火傷が残る場所を隠すように片目を覆う金髪を揺らしエルディーテは俯いた。
こんな幸福があって良いのだろうか。
この手を取って、信じていいのか。
「前に私の刺繍を見ていたでしょう?あなたが剣を奮う姿も好きだけれど、一緒に刺繍をしたいわ。共に、息のしやすい国へ行きましょう。そして真にあなたを理解してくれる人と、幸せになって欲しいの」
サフィアは渋るエルディーテに言い募った。
唯一、傷を気にせずエルディーテ自身を見てくれた相手。
何気ない仕草や言葉に気付き、エルディーテの心の内をどこか見透かしている。
信じていい。
エルディーテはそう確信した。
「サフィア様がよろしいのなら……これからもお仕えさせてください」
共に行けるなら至極の喜び。
しかし、この至福は長く続く事はなかった。




