第14話 婚約破棄された公爵令嬢アクシラの今後
ソファーの前に置かれたローテーブルに紅茶のカップが並ぶ。
アクシラ公爵令嬢は、静かに口をひらいた。
「……わたくしは、バルム王国第三王子エドワール殿下の婚約者でございました。ですが1ヶ月前、わたくしが十七歳となり王立学園を卒業するその日の記念パーティーにて、殿下より大衆の前で婚約破棄を言い渡されました」
「婚約破棄、ですか……」
思わず、声が漏れた。
俺もこの世界に転生し、曲がりなりにもアイザス伯爵家の九男として貴族社会の片隅で生きてきた。だからこそ分かるが、上位貴族ましてや王族が絡む婚約の破棄なんてそうそう簡単に起きるものではない。それは王国に対する信用問題にも発展しかねない大事件だ。
理由を聞くべきかと、少し間を置いていたら彼女は再び口をひらいた。
「わたくしが学園内にてある令嬢に対して、陰湿な嫌がらせや命を脅かすようないじめを繰り返した……というものです。そのような心の醜い者は王家に相応しくない、というのが表向きの理由にございます」
そして第三王子はその場で、そのいじめを受けていたという令嬢と婚約宣言したらしい。
「そんなの……全部真っ赤なデタラメです!」
静かに語るアクシラ公爵令嬢の横で、ちっこいメイドさんが顔を真っ赤にして拳を握りしめ、ポロポロと涙をこぼしながら叫んだ。
「アクシラ様はそんな酷いことしてませんです! ロネはずっとアクシラさまの傍にいたからわかるです! 王子が勝手な事ばかりして……それでもずっと耐えてたのに……酷すぎるです!」
「……ロネ。ブラン様の前です、控えなさい」
アクシラ公爵令嬢に窘められ、メイドのロネは「うぅ……はいです……」と小さくなってソファの隅に縮こまった。
その様子を見届けた後、アクシラ公爵令嬢は再び静かなトーンで言葉を続けた。
「たしかに、身に覚えのない罪でした。おそらくエドワール殿下は、最初からわたくしのことがお気に召さなかったのでしょう。殿下には、他にお心に決めた令嬢の方がいらっしゃいましたから」
それが新たに婚約宣言した令嬢と言うわけか。
彼女は一切表情を変えずに、出された紅茶のカップに口をつけた。
冷静なのか感情を押し殺しているだけなのか、出会ったばかりの俺には分かる由もないが。
にしても……
なんじゃそりゃ。
無茶苦茶な話だな。
貴族同士の婚約なんて恋愛が入り込む余地はあまりない。
上級貴族になればなるほど、その傾向は強くなるだろう。
「……しかし、さすがにそんな杜撰な理由で、周りの大貴族や公爵家が納得したのですか? いくら第三王子殿下とはいえ、我が儘でそこまで好き勝手できるものなのか?」
俺の疑問に、アクシラ公爵令嬢はその綺麗な青い瞳をわずかに伏せた。
「……わたくしは王立学園始まって以来、過去最高の成績を収め続けました」
「ええ、その噂は俺の耳にも届いていましたよ」
「学園でみなさんは、わたくしを天才などと褒め称えてくれました。ですが、それはすべて仮面……そして、それはわたくしの生家であるミルタス公爵邸の中でも、同じです」
アクシラ公爵令嬢の声が、どこか寂しげに響く。
「わたくしは公爵家の正妻の子ではございません。身分の低い側室の母から産まれた子供です。そしてわたくしの母が亡くなると、屋敷内での正妻であるお母様からは疎まれるようになりました。また父親である公爵からも、さして愛されてはおりませんでした。」
ふむ、どこかで聞いたような話だな。
俺は自分の胸が少しばかりチクリと刺されたような感覚を覚えた。
「ただ、わたくしが周囲を圧倒する成績を収め、第三王子との婚約が成立して政治的価値を示したことで、ようやく家の中での立場が落ち着いていたのです。……ですが、今回の婚約破棄ですべてが崩れ去りました」
一拍置いて、アクシラ公爵令嬢は真っ直ぐに俺を見た。
「学園一ということは……同学年であり、婚約者であったエドワール殿下よりも、わたくしの方が優れた成績を修めていた、ということでございます」
なるほど。
「わたくしが時折、殿下にご助言したことも気に障っていたようです」
その言葉で、なんとなく分かった気がする。
王子の嫉妬、プライドの崩壊。自分よりも遥かに優秀で、かつ表情一つ変えない「氷の令嬢」が婚約者として隣にいることが、プライドの高い王子にとっては耐え難い屈辱だったのだろう。だからこそ、自分の言うことを何でも聞いてくれる、都合のいい令嬢に逃げたのかもしれん。まあ俺の勝手な推測に過ぎないが。
「気付けばわたくしには、味方が一人もいませんでした。婚約破棄の報を聞いたお父様は激怒し、王家への不敬だと。そして……どこからかブラン様の情報を聞きつけたお父様は、有無を言わさずアイザス家の当主であるグリンザレス伯爵と話をつけ、この婚約を決めたのです」
建前としては、この地を治める新たな領主への嫁入り。が、その実態は公爵令嬢を二度と王都へ戻ってこられない最果ての僻地へ捨てるための――――――事実上の追放。
「単に少し勉学ができるだけの、世渡りもできない世間知らずな令嬢だったんです」
アクシラ公爵令嬢は最後まで淡々とした口調で締めくくった。
リビングに、重苦しい沈黙が降りる。
俺のうしろで話を聞いていたリナがあまりにも過酷なアクシラ公爵令嬢の境遇に、胸を押さえて俯いていた。
似ている……
事情は違えど……この人は、俺と似ている。
無能で不要の烙印を押され、このド辺境ラスタールへと放り出された哀れな捨て駒。
状況は理解した。
さて、ここで彼女たちを追い返すわけにもいかない。そんなことをすれば、今度こそ魔物の餌食になるかもしれん。
それに俺と同じく、行く当てはここしかないのだろう。
かと言って、俺や彼女をゴミのように捨てた親の言う通りに、はいそうですかと大人しく婚約を受け入れるのもなんだか癪だな。
俺はふぅと小さく息を吐き出し、ソファの背もたれに身体を預けた。
「アクシラ様」
「……何でしょうか、ブラン様。いきなり押しかけて、ご迷惑をお掛けしていることは承知しております。今すぐこの村を出て行けと仰るならば―――」
「いや、そんなことは言いませんよ」
俺は彼女の言葉を遮り、苦笑交じりに続けた。
「知っての通り、ここは魔物だらけのド辺境です。昨日もブラックウルフの群れが襲ってきたばかりだ。俺たちも全力は尽くしていますが、もしかしたら明日には全滅してみんな死んでいるかもしれない。そんな超過酷な場所です」
「……はい。存じております」
「だから―――そんな場所で、これ以上公爵令嬢としての仮面を被って、肩肘張り続けるのはやめにしませんか?」
「え……?」
アクシラ公爵令嬢の青い瞳が、今度こそ明確に大きく揺れ動いた。
「婚約がどうとか、そんなことはいったん全部道端にでも埋めておきましょう。それよりも、まずは目の前の領地経営をしませんか?」
「……お言葉ですが、ブラン様。わたくしはこのような性格ですし女です。わたくしが領地経営に口を出すなど到底許されることではないと、今回の一件で思い知りました」
「そんな学園や王子たちの常識、このエド村では一ミリも通用しませんよ。現に、俺の隣にいるリナだって俺の専属メイドでありながら、この村のご飯事情を完璧にコントロールしてくれている最高の相棒です。彼女の何気ない発言から、物作りのアイデアをもらうこともあります。女だから口出しするな、なんて俺はこれっぽっちも思いません」
「ブラン様ぁ……」
リナが嬉しそうにパッと顔を輝かせる。俺はそれに微笑み返し、再びアクシラ公爵令嬢へと視線を向けた。
「……本当に構わないのですか?」
「構わないどころか、むしろ大歓迎ですよ。アクシラ様は学園始まって以来の超優秀な人なんでしょう? そんな人が傍にいて、意見をもらえるだけでもありがたいです」
俺がニヤリと笑ってみせると、アクシラ公爵令嬢は俺の顔を凝視していた。
長い、長い沈黙の後。
アクシラ様はゆっくりと、本当にゆっくりと、その膝の上で固く握りしめていた拳の力を抜いた。
「……わかりました。ブラン様がそこまで仰るのなら、わたくしの持てる全ての知識をこの村のために捧げましょう。……あと」
「ん? 何ですか?」
「敬語は不要です。それからは……わたくしのことは、どうかアクシラとお呼びください」
「ああ、分かった。よろしくな、アクシラ」
俺が手を差し伸べると、彼女はその白く繊細な手でそっと俺の手を握り返してきた。
気のせいかもしれないが、少しだけアクシラが微笑んだような気がした。
そういえば床暖房の時も、その張り付いた表情が少し揺れてたしな。
つまり氷の公爵令嬢にも快適の魔法は効くってことだ。
これは快適漬けにしがいのある人がやって来たと、ちょっとテンションが上がる俺であった。
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