第十章:逃走 ―第一幕:粛清派の始動
王城の一角。
昼間の評議とは異なり、灯りは最小限に落とされている。
長机を囲むのは、数名の貴族だけ。
公式議事録は存在しない。
これは“記録されない会合”だった。
議題はひとつ。
リリアナ。
そして——王子の沈黙。
評議会は分裂していた。
穏健派は言う。
「殿下のご判断を待つべきだ」
王権を尊重する姿勢。
形式は守られている。
だが粛清派は違った。
老侯爵が、ゆっくりと口を開く。
深い皺の刻まれた顔に、揺らぎはない。
「迷いは、空白を生む」
静かな声。
だが部屋の温度が下がる。
「空白は、攪乱を呼ぶ」
誰も反論しない。
侯爵は続ける。
「王子が迷うなら、我々が守るべきは国家だ」
その一言が、線を越えた。
王子の判断を待たない。
それは事実上の先行行動。
机上に置かれた草案が、そっと押し出される。
“予備監視”の拡大解釈。
本来は観察のみ。
だが——
“予防的拘束”は可能ではないか。
名目は整えられていた。
・思想攪乱防止
・王権保全
・学園安定維持
どれも正しい。
どれも反対しづらい。
老侯爵が指先で文書を叩く。
「国家は芽を摘むものだ」
若い貴族が小さく問う。
「だが、正式指定はまだ……」
侯爵は遮る。
「正式である必要はない」
短い沈黙。
それは合意の時間だった。
やがて一人が頷き、もう一人が署名する。
公式命令ではない。
だが内部承認は成立した。
拘束は“事情聴取”の名目で行われる。
短期。
形式は合法。
しかし実質は——
見せしめだ。
会合が終わる。
蝋燭が消される。
闇の中で、侯爵の声が最後に落ちる。
「国家は感情で揺れてはならぬ」
その夜。
王子の署名なき空白を埋めるように、
粛清派は静かに動き出した。




