第9話:勇者の誓い
賢者の石があった聖域のさらに奥。
底の見えない巨大な縦穴からは、ユグドラシルの悲鳴のような、湿った風が絶えず吹き上がっていた。
アルドの圧倒的な一撃で散らされたはずの闇は、深層に潜む「本体」と繋がり、再び迷宮を侵食し始めている。
「……お兄さん、少し休もう。お兄さんも、さっきのは疲れたでしょ?」
リナが心配そうにアルドの顔を覗き込む。
アルドは「少し肩が凝ったかな」といつものように笑ったが、その瞳の奥には、邪神が潜む深淵への鋭い視線が残っていた。
一行は聖域の隅に魔法の灯火を灯し、一時の休息を取ることにした。
「……クソッ!!」
静寂の中、カイルの罵声が響いた。
彼は壁を拳で叩き、自らの愛剣『黒曜』を床に投げ出した。
「何が勇者だ……何が『お兄さんを守る』だ! あんな泥みたいな奴に剣を絡め取られて、リナを守るどころか、自分の剣すら引き抜けなかった……!」
カイルの肩が激しく震えている。
彼は、アルドが見せた「黄金の瞳」の威圧を忘れることができなかった。
あれは、自分が一生かけても届かないような高み。
お兄さんはあんなにも遠い場所にいるのに、自分は足元で震えているだけだった。
「カイル。……己の未熟を嘆くのは、死力を尽くした者のみに許される特権。貴殿は、まだその剣の『真価』を引き出していない」
シオンが静かに歩み寄り、投げ出された『黒曜』を拾い上げた。
「この剣は、初代領主様とマスター以外に使い手がいなかった、魂を喰らう黒鋼。……貴殿が『お兄さんに守られたい』と願っているうちは、この剣はただの重い鉄塊に過ぎんぞ」
「先生……っ、分かってるよ! でも、どうすればいいんだよ! お兄さんみたいに、あんな風に……」
「俺みたいになる必要はないよ、カイル」
いつの間にか背後に立っていたアルドが、カイルの隣に腰を下ろした。
「カイルは、俺の代わりになろうとしなくていい。……俺は、薪を割ったり、悪い虫を追い払うのは得意だけど。……誰かの『希望』になることはできないんだ。それは、真っ直ぐな心を持っているカイルにしかできないことなんだよ」
アルドは、カイルの手をそっと取り、その掌に刻まれた剣のマメを見つめた。
「カイルの剣は、誰かを傷つけるためのものじゃない。大切な人を守り、導くための光なんだ。……俺がこの木の『病気』を診ている間、隣でリナを、シオンさんを、そして俺の背中を守ってくれるかい?」
「お兄さん……」
カイルの瞳に、再び火が灯った。
アルドの言葉は、魔法のような力を持っていた。
劣等感という闇を、温かな期待という光で塗り替えていく。
「……分かった。俺、もう迷わない。お兄さんが戦いに集中できるように、俺が……俺が、絶対にお兄さんの後ろは通らせない!」
カイルが『黒曜』を握り直すと、これまでにないほど強く、閃光のような光が刀身を駆け抜けた。
それは剣が、ようやくカイルを「真の主」として認め始めた兆しだった。
一方、地上では――。
王宮の地下通路を、ミラと四天王たちが音もなく進んでいた。
「ミラ様、あちらです。……長老たちの影に隠れ、邪神に栄養を送っていたネズミたちの巣窟が」
ベラドンナが、壁に隠された秘密の扉を指差す。
「ええ、片付けますわよ。……アルド様が下で、未来の義弟を導いていらっしゃるのですもの。ワタクシも、姉(?)として恥ずかしくない働きをしませんと」
「……計算によれば、敵の数は三十八。……ミラ様、お手を汚すまでもありません。ゴルド殿と二人で、三秒で終わらせます」
ゼクスが冷酷なまでに整った魔力計算を終える。
「ガハハ! 三秒もいらねえよ! アルド殿に『地上は平和だよ』って報告するのが、今の俺様の最大の任務だからな!」
ゴルドが扉を蹴り破り、中に潜んでいた教団の残党たちへ、文字通りの嵐となって突っ込んでいった。
地上の闇が四天王によって着々と「お掃除」される中。
地下では、カイルという名の新たな光を得た一行が、ついにユグドラシルの深層――『アビス』へと、第一歩を踏み出そうとしていた。
「よし。……みんな、行こうか。……この木の、一番深いところまで」
アルドのその言葉と共に、迷宮の奥から、邪神の嘲笑を掻き消すような力強い足音が響き渡った。
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