【幕間:筋肉と知性と、優しい眼差し】
アイゼンベルク辺境伯邸の裏手に広がる修練場。
そこでは、邸に仕える男たちと、一人の少年による「男の談義」が白熱していた。
「いいかカイル! 漢を語るなら、まずはこの広背筋だ! 筋肉こそが全てを解決し、筋肉こそが女を惚れさせる最強の武器なんだぜ!!」
上半身を脱ぎ捨て、黄金に輝く筋肉を誇示するのは、人間の姿をしたゴルドだ。普段のオーガキングとしての巨躯ではないが、その体は鋼を練り上げたような威圧感を放っている。
「は、はあ……。筋肉ですか……。でも俺、あんまりムキムキになりすぎると、動きが鈍くなるんじゃ……」
「馬鹿言え! 圧倒的な質量は速度をも凌駕する! ほら、この上腕二頭筋を触ってみろ、岩より硬いぜッ!」
ぐいぐいと迫るゴルドの圧に、カイルは苦笑いしながら後ずさる。
そんな光景に、冷静な、けれどどこか棘のある声が割って入った。
「……やれやれ、これだから脳まで筋肉でできている方は困ります。ゴルド殿、貴殿の理論は前時代的もいいところですな」
端正な眼鏡を指先で上げながら現れたのは、知的な青年の姿をしたゼクスだ。
「なんだとゼクス! テメェ、俺様の自慢の筋肉にケチつける気か!?」
「ケチではなく、客観的な事実を述べているのです。近年のトレンド、特に女子ウケを考慮するならば、今は『知的男子』の時代。膨れ上がった筋肉よりも、洗練された知識と、眼鏡の奥から覗く冷徹なまでに冷静な瞳……。これこそが、女性の心を射止める魔法なのですよ」
ゼクスは手にした魔導書をパタンと閉じ、カイルに向かって言い放つ。
「カイル殿、強くなりたいのなら、筋肉を鍛える前に計算式を覚えなさい。敵の重心を瞬時に演算し、最小限の力で最大効率の打撃を与える。……それこそが、スマートでモテる男の戦い方です」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ! 二人とも、俺にどうしろって言うんですか!」
「筋肉だ!」「知性です!」と、カイルを挟んで言い合いを始める二人。
カイルは左右から飛んでくる極端なアドバイスに目を回し、助けを求めるように、少し離れた場所で丸太に腰掛けている人物を振り返った。
「お兄さん! 二人が無茶苦茶言うんですけど……助けてください!」
呼ばれたアルドは、その光景を腕組みしながら、なんとも幸せそうな微笑みを浮かべて見つめていた。
「ははは、賑やかでいいじゃないか、カイル。二人とも、君のことを思って言ってくれてるんだよ」
「いや、そうなんですけど……お兄さんは、どっちがいいと思いますか!?」
アルドは少し考え、立ち上がるとカイルの隣まで歩いてきた。
そして、少年の細いながらも引き締まった肩に、優しく手を置く。
「そうだね。……俺は、どっちも大事だと思うけど、一番大切なのは『誰かを守りたい』っていう気持ちじゃないかな。重い薪を運ぶためには力が必要だし、美味しい料理を皆に食べてもらうためには、どのくらい火を熾せばいいか考える知恵が必要だ」
アルドは、いつもの村人としての、けれど誰よりも深く「人」を愛する瞳で語りかける。
「カイルが一生懸命誰かのために頑張っているなら、筋肉があってもなくても、眼鏡をかけていてもいなくても、きっとその姿は格好いいと思うよ。俺は、今のカイルのままでも十分立派だと思ってるけどね」
「お兄さん……」
カイルの胸に、すとんと温かいものが落ちる。
筋肉でも知性でもなく、ただ「君はそのままでいい」と肯定してくれる存在。
その言葉が、少年にとって何よりの勇気となる。
それまで言い合っていたゴルドとゼクスも、アルドの言葉に毒気を抜かれたように顔を見合わせた。
「……ケッ。アルド殿にそう言われちゃ、俺様の筋肉自慢も形無しだぜ」
「……左様ですな。アルド殿の仰る通り、『誰がために振るう力か』。それが抜けておりました」
三人の猛者が、一人の村人の言葉に納得し、頷き合う。
その様子は、世界最強の戦士たちとは思えないほど、穏やかで馬鹿馬鹿しく、そして尊いものだった。
「よし、じゃあカイル。修行の続きの前に、おやつにしよう。今日はミラさんがお菓子作りを頑張ってるみたいだからね」
その瞬間、ゼクスの眼鏡が鋭く光った。
いや、正確にはその奥の瞳が、恐怖に激しく揺れ動いた。
「……け、計算外だ……。ミラ様が、調理器具を手に取るなどという事象は、私の予測モデルに含まれておりませんぞ……。あの方の料理は、理の外側にあるもの……。素材の性質を完全に無視し、未知の暗黒物質へと昇華させてしまう……ッ!」
ゼクスは額の汗(?)を拭い、灰色の頭脳をフル回転させ始めた。
「……待て、落ち着くのですゼクス。生存確率は……コンマ以下。いかにしてこの胃袋の崩壊を回避しつつ、ミラ様の機嫌を損ねずに切り抜ければ……。致死量を分散させるためにゴルド殿の皿へ転送するか? いえ、ミラ様の眼力からは逃げられない。くっ、これこそが今日最大の試練……!」
知性派を自称するゼクスが、かつてない必死さで「撤退ルート」を模索している横で、何も知らないアルドは「楽しみだね」とのんびり微笑んでいる。
「えっ! ミラ様が!? ……お、お兄さん、それは色んな意味で覚悟が必要かも……」
「ガハハ! それこそ筋肉で胃袋を鍛えとくしかねぇな!」
笑い飛ばすゴルド、絶望に脳を回すゼクス、そして戦々恐々とするカイル。
男たちの絆は、ミラの「愛の爆弾(お菓子)」という最大の危機を前に、図らずもより一層深まっていくのだった。
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