第二話:副部長の嫌味?
ヴァルフォルク王立学院の広い敷地の一角に建つ、プチ宮殿といってもいいようなゴージャスな建物。
これが新聞部の部室だ。
いや建物全部が新聞部のものなので『部宮殿』?
ユーラ先輩が学園長にかけあって新しく建てたらしい。
さすが次期侯爵のご令嬢。
やることの桁が違う。
私が新しく配属された『婚約破棄特集号・専用編集室』は、このプチ宮殿の一角にある。
お値段の高い物しかない豪華な部屋の片隅に置かれているのは古ぼけた机と椅子。
私専用だ。
編集室の内装のお値段が高すぎて、まったく落ち着けない。
なので机と椅子だけはワガママを言わせてもらった。
ガタガタ、キシキシ鳴るこの机と椅子は、私の心の安定剤にもなっている。
今、その机に向かって書いているのは婚約破棄・特集号を出すお知らせの手紙と一緒に送る、婚約破棄小説の書評と解説だ。
ユーラ先輩が言うには、無料で書評をつければ、その御礼という形で特集号の予約をしてもらえる確率が上がるらしい。
その上、書評を読んで小説を読みたくなったご婦人方には、小説本の注文も受け付けて本の配達サービスもするという。
そのあたりのことはユーラ先輩の家がやっている出版社と連携することになっているらしい。
さすがユーラ先輩。抜け目がない。
私も小説本の注文が殺到するように、気を抜かずに書評と解説を書かないといけない。
責任重大だ。
それぞれの小説の良さをちゃんと伝えようと気合を入れて書いていると、トントンとドアをノックする音が聞こえた。
誰だろう? 今日はユーラ先輩は印刷所との打ち合わせに行っているはずだし、他の部員は私の執筆を邪魔しないように、この部屋に来ることはほとんどない。
「はい、どうぞー」
執筆をしながら声をかけると、ドアが静かに開いた。
「失礼するよ」
聞き慣れない男の人の声に、私はペンを持ったまま顔を上げた。
入ってきたのは、見たことのない男子学生だった。
最初に目に入ったのは、銀色の髪だ。
窓から差し込む光を受けて、さらりと細い糸のように光っている。
整った顔立ちなのに、冷たい感じはしない。
むしろ、こちらを安心させるような穏やかな笑みを浮かべている。
私は思わず、こう思ってしまった。
この人は、ゴージャスな銀色の狐みたいだ。
決して人には懐かず、うっかり触ったら、それだけでパンを山のように請求されそうな狐。
いや、狐はパンを食べないか……。
もっとも、このヴァルフォルク王国では、狐は神の使いとされている。
王家の記章にも銀狐が描かれていて、知恵と高潔さの象徴だ。
つまり、銀狐みたいという感想は失礼ではない。
失礼ではないはず。
たぶん、本人に言わなければ。
それにしても、制服は同じはずなのに、どうしてこうも違って見えるのだろうか。
襟元も袖口もきちんと整えられ、着崩していない。普通に制服を着ているだけだ。
余分な装飾も施されていない。宝石もなし。
なのに立っているだけで、この豪華な編集室の空気にしっくりと馴染んでいる。
私みたいに、古ぼけた机にしがみついて心の安定を保っている人間とは、住んでいる世界が違う。
「君がリュシー・ジラード嬢かな?」
「は、はい。そうですけど……」
どうして私の名前を知っているのだろう。
私が警戒していると、男子学生がこちらへ歩いてきた。
歩き方まで上品だ。
床に敷かれた高そうな絨毯が、踏まれて喜んでいるように見える。
私の前まで来た彼の瞳の色が分かった。
冬の朝の空みたいな青灰色だった。
「きれいな色……」
「ん? なにか言った?」
「いえ……」
ここで気がついた。
冬の朝の空みたいな青灰色の瞳。この言い回しは使える!
詩的だし、令嬢や貴婦人たちが好みそう。
婚約破棄を宣言する男性の瞳の色や、衣装の色にぴったりだ。
忘れないうちに書き留めておこう。
猛然とペンを走らせ始めた私に、男子学生が慌てたように声をかけてくる。
「えっと……君はなにをしてるのかな?」
「思いついたことを書き留めているところです。――冬の朝の空みたいな青灰色の瞳で見つめられると……いや、ちょっと違うな……んんー」
ふと、男子学生を見ると、驚いたような顔をしている。
なにか私に用でもあるのだろうか?
「あの、なにか御用がおありで?」
「あ、ああ。僕はフリード・アイスピア。新聞部の副部長をしている」
「副部長……?」
私は思わず、間抜けな声を出してしまった。
新聞部に副部長がいることは知っているし、名前も知っている。
ただし、私はまだ会ったことがなかった。
フリード・アイスピア先輩。
アイスピア公爵家の嫡男で、代々この国の外交を担ってきた名門の跡取りだ。
春から三か月ほど、ヴァルフォルク王国の学生親善使節として隣国の王立学院に滞在していた人でもある。
つまり、私にとっては名簿でしか見たことのない偉い先輩なのだ。
その偉い先輩、次期公爵様が、今、私の目の前にいる。
しかも、私の古ぼけた机を興味深そうに見ているではないか。
「君が、この机を選んだのかい?」
最初の質問がそれですか。
「はい。高そうな机だと、落ち着かないので」
私が正直に答えると、フリード先輩は少しだけ目を細めた。
「なるほど。面白い理由だね」
面白い?
公爵家の嫡男様が、私の机の趣味を面白がっている。
これは嫌味だろうか。
少なくとも褒められている気はしない。
締め切りもあるし、ここは早めに出ていってもらおう。
「あの、締め切りが近いので、この辺で……」
「君の書いた婚約破棄の記事、読ませてもらったよ」
「えっ!?」
今度こそ、ペンを落としそうになった。
「面白かったよ。読者がどこで胸を痛め、どこで怒り、どこで続きを読みたくなるか、よく分かっている」
「あ、ありがとう……ございます?」
褒められている? いや、これは嫌味の前ふりなのかな?
上げて落とす。そうなのか?
ああ、もう! はっきりしなくてイライラしてくる!
フリード先輩の表情は穏やかなままだ。
にこにこしているのに、こちらの反応を1つも見落とさないような目をしている。
確かアイスピア公爵家は、外交一家だったはず。外交官というのは、みんなこう、分かりにくいのだろうか。
「正直、男爵家の令嬢が、ここまで社交界の流れを読めるとは思わなかった」
……ふむ、なるほど。
今のは落ちこぼれ貴族令嬢の私にも分かったぞ。
これは、褒め言葉の服を着た嫌味というやつだ。
男爵家だから馬鹿にしてる?
私はペン先を紙から離し、フリード先輩をキッと見上げた。
「男爵家の令嬢でも、文字は書けますし、人の気持ちも分かりますが、なにか?」
私がそう言うと、フリード先輩は分かりやすく目を瞬かせた。
どうやら、下賤な下位貴族、しかも田舎の貧乏男爵令嬢が、正面から言い返したのでびっくりしているらしい。
フリード先輩は、自分の言葉を思い返したのだろう。気まずそうに目を伏せた。
「――ああ、すまない。そういう意味ではなかったんだ」
「そういう意味に聞こえましたが? むしろ、そういう意味にしか聞こえませんでした」
あああああ! しまったぁー!
思わず思ったことを、そのまま口にしてしまったじゃない。
相手は公爵家の嫡男様。新聞部の副部長でもあらせられる。
私の原稿料の運命に関わる偉い人だ。
ど、どうしよう……原稿料の減額とか言われたら……。
私が原稿料のことを心配して震えていると、フリード先輩は怒らず、むしろ困ったように微笑んだ。
「君は……その……思ったことをはっきり言うんだね」
「いえ、その……はっきり言うつもりはなくて……なんというか口が勝手に。でも今のは原稿料を減額されるほどの失態ではないと思うんですが……減額、しないですよね?」
「ぷっ、アハハ!」
フリード先輩がなぜか大笑いしている。
ゴージャスな銀狐が、床を笑い転げている様子が頭に浮かんだ。
狐って笑うんだ。
笑うと近寄り難い雰囲気が減って、一気に可愛らしくなる。
目の前で大笑いしているフリード先輩は狐じゃないので、別に可愛くはないけど。
「こんなに笑ったのは久しぶりだよ。ユーラが君を気に入った理由が分かった気がする」
ユーラ先輩のことを、ユーラと呼び捨てか……。
きっと、新聞部を立ち上げたときに副部長になるようユーラ先輩が頼んだのだろう。
つまり、ユーラ先輩とフリード先輩は仲がいいというわけか。
「君に挨拶しに寄っただけだ。それなのに失礼な物言いをしてすまなかった。君を貶めるつもりはなかったんだ。むしろ君の記事を褒めたつもりだった」
フリード先輩は、胸に片手をあて、軽くお辞儀をしてから「では、失礼」と立ち去った。
立ち去る姿も堂々としていて、高貴な銀色狐のようだった。
「はぁー。さすが公爵家様は違うわぁ……」




