第5話「向き合う二人」
美鈴が最後に来てから、1ヶ月ほどたった日。
週末の「遊&愛」には、いつも通り拓也とヒビキがいた。
二人の関係は、以前通り。
ヒビキは、拓也には気のないふりをする。
拓也は、そんなヒビキに距離をつめようとしない。
ちょうどいい関係。
でも、あの夜以来、少し違っていたのは。
拓也は、ヒビキの本当の気持ちを知っている、ということだった。
ある日のプレイルーム。
ヒビキを胸に抱き寄せながら、拓也は軽く聞いてみた。
「あのさ、ヒビキ」
「……なあに」
「ヒビキってさ……俺のこと、好きなの」
ヒビキは、赤面する。
「な、何いってんのさ……」
「……そりゃ……まあ……」
言葉が続かなかった。
拓也は、そんなヒビキを見て、可愛いと思った。
微笑みながら、ヒビキの口を唇でふさぐ。
「……イシちゃん……」
そのまま、夜が深くなる。
そんな日のことを思い出しながら、拓也は考えていた。
目の前では、薄い水割りを飲んで、ヒビキが笑っている。
いつも通りの軽い調子。
でも、その笑顔の奥にある小さな揺れを、今の拓也は知ってしまっていた。
——そろそろ、決めないとな。
そんな時、来店チャイムが鳴る。
入ってきたのは——美鈴だった。
美鈴は、ヒビキと拓也に会釈する。
二人は、驚いた表情を浮かべた。
ヒビキは、小声で声を漏らす。
「え……美鈴さん……なんで」
さらに驚いたのは、その後。
美鈴に続いて、落ち着いた雰囲気の、スーツ姿の男性が入ってくる。
彼は、軽く周囲を見まわしながら、美鈴と一緒にマリから説明を受けていた。
一通り説明が終わったあと、二人は拓也とヒビキの隣に座った。
拓也は、少し困惑しながら聞く。
「あの……美鈴さん。こちらの方……」
「はい、私の……夫です」
想像通りの答えに、拓也はほっとしたというか、どうしてというか、よくわからない気持ちになる。
美鈴の夫は、店の中を見回しながら、どこか落ち着かない様子だった。
低く落とされた照明。
酒と香水の混じった匂い。
奥から微かに聞こえてくる、誰かの吐息。
自分とは無縁だと思っていた場所だろう。
それでも、美鈴の隣に座ったまま、帰ろうとはしなかった。
そして、彼は口を開いた。
「イシちゃん……と、ヒビキさん……ですね。美鈴がお世話になっております」
「……え……お世話なんて……そんな」
ヒビキも、困惑した。
「なんで、私が夫と来たのか、説明しないと……ですね」
その雰囲気を感じて、美鈴が話しはじめる。
「あの後、私と夫は話し合ったんです」
「これまで、夜がなくて悩んでいたこととか……どういう気持ちで、ここに来たのか、とか」
「……正直、別れることになるのを覚悟していました」
美鈴は、少し顔を俯けながら話してから、夫のほうを見る。
「けれど、夫は私の話したことを全て受け止めてくれました」
「で、一度二人でここに来てみよう、ということになったんです」
「私も、正直……美鈴に告白されたときには、困惑しました」
「しかし、そんなに自分が美鈴を苦しめていたのか、ということを知って……」
「ちゃんと、向き合ってみようと思ったんです」
拓也は、彼の言葉を聞いて、その人柄と、美鈴が彼に寄せている愛情は本物だろうと思った。
マリも入り、五人はカウンターで話しはじめる。
美鈴と夫の馴れ初めの話や、どんなところに惹かれたのか、など。
ヒビキは、興味津々に聞いている。
拓也は、少し複雑な気持ちになっていた。
「あ、そいやヒビキちゃん、今日新しいコスプレ入ったんだけど」
マリが、ヒビキに声をかける。
「え、見る見る」
「美鈴さん、ちょっと見に行こうよ」
「え……コスプレって……どんなのかしら」
美鈴は困惑しながらも、マリとヒビキに案内され、衣装部屋についていく。
向かう途中、ヒビキは、美鈴の横顔をちらりと見て、思った。
——綺麗な人だな。
静かで、大人っぽくて。
イシちゃんが、彼女をずっと忘れられなかった理由が、少しわかる気がする。
そんなことを考えると、正直、胸の奥が少しだけ苦しい。
そして、カウンターには、拓也と、美鈴の夫の二人が残った。
少しの沈黙のあと、美鈴の夫が口を開く。
「……イシちゃん……いや、拓也さん」
「あなたとの間にあったことは、美鈴から聞いています」
拓也は、どこまで話しているのだろう、と少し身構える。
が、彼の次の言葉は予想していなかった一言だった。
「私は、彼女をあなたから奪ってしまったのかもしれません」
彼は、少しづつ話しはじめる。
美鈴とは、馴れ初めこそ相談所だったが、お互いの人柄と優しさにふれ、共に愛しあい、結婚した。
しかし、交際している時には全く身体の関係はなく、初めて結ばれたのは、結婚初夜だったと。
「美鈴は、処女でした。私たちは、その日に結ばれましたが……」
「……彼女は、泣いていました。すごく、悲しそうな目をしていた」
拓也は、うつむく。
「私は、彼女の何か大切なものを壊してしまったんではないかと思って……」
「それから……彼女を抱けなくなったのです」
彼は、美鈴を愛していたがゆえに、無理強いはできなかった、と続けて話した。
「それが、美鈴をそんなにも追いつめることになったなんて……私は……」
少しの沈黙のあと。
「彼女の夫として、失格です」
「拓也さん。美鈴はきっと……本当はあなたと……」
拓也は、遮った。
「いや、美鈴さんはあなたのことを本当に愛していると思います」
「確かに……俺とのことはずっと心残りだったのかもしれないけど」
彼の目をまっすぐ見ながら、続けた。
「美鈴さんは、あなたとの愛を確かめたくて、全てを話したんだと思います」
美鈴の夫は、顔をあげた。
「拓也さん……ありがとうございます」
「私も、本当に美鈴のことを愛しています」
二人は、お互い目を合わせた。
「……ちゃんと向き合ってみます。今度こそ」
そうしているうち、ヒビキと美鈴が戻ってくる。
「ねえ、イシちゃん。似合うかなあ」
ヒビキが選んだのは、チェック柄でフリルがついたアイドル衣装。
チェック柄に合わせたヘアバンドも付いている。
「うん……似合ってる」
「え、今ちょっと返事悩んだでしょ」
「そんなことねえよ」
拓也は、美鈴のほうもちらりと見る。
美鈴が選んだのは、シースルーの、身体のラインが見えるナイトウェア。
「あなた……どうかしら。ちょっと恥ずかしいけど……」
「美鈴……綺麗だよ」
美鈴は、少し顔を赤らめた。
「じゃ、コスプレも着たし。奥行こっか」
ヒビキの声に拓也はうなずくと、美鈴の夫に目配せする。
彼は、少し緊張の面持ちながらも、うなずいた。
シャワー室に、先に美鈴と夫が入る。
水音が響く中、外で待っている拓也の耳元で、ヒビキがささやいた。
「あのさ、二人でどんな話してたの」
「内緒だよ」
「……ちぇっ」
ヒビキは口を尖らせると、続けた。
「私……美鈴さんが最初入ってきたの見た時、どうしようか、って思って……」
「でも、旦那さん一緒だったから、安心した」
ヒビキは、拓也の腕に抱きつくと、安堵した表情を浮かべる。
拓也は、ヒビキの頭を撫でた。
プレイルームに入る。
拓也、ヒビキ、美鈴にとっては知っている光景。
しかし、美鈴の夫は少し困惑気味な表情を浮かべる。
「……思ったより……すごいですね」
中では、すでに二組のカップルが体を重ねていた。
その横を通り、四人は奥のマットレスに向かう。
ヒビキがリードする。
「……それじゃさ、旦那さんはまだ慣れてないから、私とイシちゃんが先にしようよ」
「美鈴さんと旦那さんは、見てて」
「……そうだな」
拓也はうなずくと、ヒビキを抱き寄せた。
唇を重ねると、ヒビキは甘い吐息を漏らす。
拓也は、ヒビキを寝かせると、コスプレを少し脱がせ指を這わせる。
ヒビキは、拓也に抱きつくと、小さな喘ぎ声を漏らした。
美鈴の夫は、二人の様子をどこか落ち着かない表情で見ていた。
薄暗い照明。
絡み合う指。
ヒビキが拓也を見上げる目。
自分の知らない空気だった。
けれど、目を逸らすこともできなかった。
美鈴は、夫の肩にそっと額を寄せた。
目の前では、ヒビキが拓也に抱きしめられている。
熱を帯びた吐息。
絡み合う視線。
その光景を見ているうち、胸の奥に押し込めていたものが、熱を帯びていく。
彼女は、そっと夫の手を握った。
「あなた……」
夫は、はっとして美鈴を見た。
彼女の目は潤んでいたが、怯えではなく、どこか懇願するような色を帯びていた。
「私……ずっと、寂しかったの」
震える声。
夫は、何か言おうとして、言葉を失う。
その代わりに、強く手を握り返した。
握った美鈴の手は、汗ばんでいる。
その熱を感じるたび、胸の奥がざわついた。
「……ちゃんと、あなたに愛されたい」
その声は、小さく震えていた。
「……美鈴」
夫は、ようやく絞り出すように言った。
「僕も……君を、ちゃんと愛したいと思っている」
「あなた……嬉しい……」
美鈴は頷くと、どこか安心したように、夫の胸に額を寄せた。
そして、ゆっくりと、彼の股間に手を這わせる。
「あなた……すごい……」
「いや……美鈴……これは」
「いいのよ、私……あなたにもずっと我慢させてしまって……ごめんなさい」
美鈴は、夫と唇を重ねる。
美鈴の夫は、ナイトウェアを脱がせ、彼女の身体を露出させる。
寝かせて、抱き合うと、汗ばんだ身体に指を這わせた。
「あぁ……あなた」
「美鈴……愛してるよ」
「私も……愛してます……あなたのこと」
夫と、激しく体を重ねる美鈴。
動きのたび、甘い喘ぎ声が大きくなる。
ヒビキを上に乗せ、背中に指を這わせていた拓也。
その声を聞き、そちらを向く。
隣には、夫と愛し合う、美鈴がいた。
甘い声。
潤んだ目。
その姿を見た瞬間、胸の奥が鈍く痛んだ。
――ああ。
美鈴は、本当にあの人を愛している。
そう理解した途端、嬉しさとも、寂しさとも違う感情が湧き上がった。
自分は、もう美鈴を抱くことはできない。
そんな確信が、ゆっくりと胸に沈んでいった。
ヒビキは、拓也の視線が、何度も隣へ向いていることに気づいていた。
美鈴と、その隣にいる夫。
二人が抱き合うたび、拓也の表情が、少しだけ遠くなる。
その度に、胸の奥がじくりと痛んだ。
今、自分は抱きしめられているのに。
イシちゃんの心は、まだ別の場所を見ている。
そう思ったとき、ヒビキは耐え切れずに、言った。
「イシちゃん……今は、ちゃんと私の方だけ見て」
「お願い」
拓也は、はっとした表情で、見上げた。
ヒビキが、泣きそうな顔で、自分だけを見ている。
また、彼女を自分は悲しませている。
その視線から、もう逃げたくないと思った。
拓也は、ヒビキの目を見て少し微笑むと、抱き寄せた。
「ごめんな……ヒビキ」
「俺、お前のこと、泣かせてばっかりで」
ヒビキは、拓也の胸で震えながら、涙を流して言った。
「私……イシちゃんのこと……好き」
拓也は、ヒビキの背中を撫でながら、ゆっくり息を吐いた。
「……俺もだよ」
「嬉しい……イシちゃん……」
二人は、唇を重ねた。
——そのまま、四人の夜はゆっくり更けていった。
東の空が明るくなり始めたころ、四人は階段を上がり、店の外に出る。
美鈴の夫が話す。
「朝帰りなんて……学生の頃以来ですよ」
四人は、笑った。
「イシちゃん、ヒビキさん。ありがとうございます」
「おかげさまで、私も美鈴とこうして……向き合えたと思います」
「それじゃ、行こうか」
夫は、美鈴と手をつなぐ。
「はい……」
「それじゃ、イシちゃん……、ヒビキさん……。またね」
拓也とヒビキは、立ち止まって二人を見送った。
肩を寄せながら歩いていく、美鈴と夫。
その姿が遠くなっていく。
「……行っちゃったね」
ヒビキは、拓也を見上げながら、言った。
「……それじゃ、私も帰るわ。じゃあね」
いつも通り、ヒビキは駆け足で帰っていった。
拓也は、逆方向に歩いていく。
少し歩いたところで。
ふと、拓也は立ち止まって、振り向いた。
ヒビキが、立ち止まってこちらを見ていた。
大きく手を振っている。
何か言っているが、遠すぎて聞こえない。
聞こえないけど、たぶん、「好き」と言ったのだろうと思った。
拓也は、笑いながら手を振った。
ヒビキは、もう一度駆け足で帰っていく。
拓也も、家路に向かう。
早朝の、少し冷たい風が、今日は心地よく感じた。




