131. 禁忌の代償 ー玲と夏野ー
玲視点です。
気がついたとき、俺は自室のベッドに横たわっていた。
身体が泥の中にいるみたいに重い。
なんで……? 薫にカミツレのお茶を渡して、一緒に飲んで……。
ああ、そうだ。もう薫が気にしないようにと思って、残っていた呪いの傷に、扇で舞の魔を祓う力を流したんだった……。
それで昏倒したのか。
傷跡に残っていた鈍く響くような痛みは消えたが、身体の内部がずきずきと疼いた。吐血まではいかないが、なるほど、これが禁忌を破った結果ってことか……。
身体に負担がかかりすぎるから絶対にやってはいけないことだと、わかっていたはずだった。
だが、もうこれ以上、薫に心配をかけたくないという気持ち、そして誰もいなくなる恐怖が、凍り付くみたいな寒さと一緒に、俺をおかしな方向に進ませたのか。
冷静さも無くなってたし、不健全極まりないな……。
自分で自分にあきれて、まだ重い額に手を当てたとき、コンコンと誰かが扉を叩く音が響いた。
「玲、薫が血相を変えて飛んできたが……」
夏野だった。
いつも冷静なその声に、どこか心配が滲んでいる。
「……入れよ」
夏野、杖をついて部屋に入ってくる。十五の時、戦で先に出すぎた俺をかばって弓で射られ、夏野の右足はうまく動かなくなった。その後、こいつが異常とも言える努力で馬に乗れるようになり、杖さえあれば日常生活も普通に回せるようになる経過を隣でずっと見てきた。
何も言わないが、雨の日や寒い日には疼くと知ってる。
ちょっと引きずってるってことは、外は雨が降ってるんだろうか……昼頃までは晴れてたけどな。ぼんやりそんなことを考えていたら、俺の顔を見てその切れ長の目が不機嫌に光った。
「……どういう状況か説明しろ」
「……声、出すのもきつい……」
本気できついな。手足は冷たいし、逆に身体の中心は熱を持っていて動くのも一苦労だ。夏野は静かにベッド脇の椅子に座り、冷徹な視線で俺を見る。
「薫から聞いた。扇で傷をなぞったら玲が倒れたと。……舞の魔を祓う力を使ったとは言わねえだろうな」
さすが鋭い。薫の話と、これまで俺たちが神殿で学んできた巻物の歴史、扇と傷だけで繋げやがった。
「……そういうこと」
軽く答える俺に、夏野は冷え冷えとした沈黙のあと、頷く。
「なるほど」
俺は軽い息苦しさを感じながら、夏野を見る。視線を落として考え込んでる姿を見るのは珍しい。
「西の砦で、薫が操られておまえに付けた傷を、無理矢理押さえ込んだことで……お前の体内に、通り道の負荷と似た傷がついてるってことか。
自分でどう思う? この前、吐血した時と似た体感なのか」
神殿に速水の様子を見に行って吐血した冬の朝。あの日のことが頭をかすめた。
「……そこまでは行ってない……」
「近いのか?」
静かな夏野の声に、俺は目を伏せる。たしかに近いな。身体の内側が疼くように痛んでいた。呪いからくる悪夢で、俺の内心の恐怖心が増幅された結果とは言え、我ながら狂わされるにも程がある。またしばらく療養する必要があるかもと思っていたとき、夏野が抑揚のない声で続けた。
「いま、薫に朱鷺子を呼びに行かせてる。俺はこれから、龍樹さんを呼びに行ってくる。竜骨って漢方の在庫もあと少しあると、この前の祝宴のとき聞いたからな」
「……やめてくれ。大騒ぎになる……」
これ以上心配かけられないと思わず止めた俺に反応して、夏野が俺をきっと睨んだ。
「おまえがやった結果がこれだ。そして龍樹さんを連れてきた後、俺は薫と、翡翠のところに行ってくる」
俺は話を繋げられずに、驚いて夏野を見た。
「なんで翡翠?」
いつも冷静な夏野の顔に明らかな怒りが浮かび、突然、夏野はがたんと立ち上がった。その拍子に立てかけていた杖が床に転がり、カランと乾いた音が響く。
「お前がやってはならない禁じ手を使うからだ!」
いきなり怒鳴られた。夏野がこれほど激怒するのを見るのは初めてで、思わずぽかんと見つめる。
「そんなに怒らなくていい……」
「これが怒らずにいられるか!」
夏野は感情を持て余したみたいに、またどさっと椅子に座った。夏野が根気強い回復訓練の結果、歩いたり階段の上り下りには杖を使うが、立ち上がったり座ったりすることは杖無しでできると知っている。ついそんな関係ないことをぼんやり考えるほど、その怒りは衝撃的だった。
心配してるんだな……。
そこまで思い至り、俺はただ黙って夏野を見つめた。
「翡翠は癒やしの光の使い手、そして西羅は呪術の専門家だ。今回お前が無理矢理に押さえ込んだ呪いの残滓みたいなものは、そのことでお前が体内に受けた傷も含めて、完全に浄化して治療する必要がある」
夏野、もう一度激しく立ち上がった。いてもたってもいられない雰囲気が見て取れて、俺は発作的に笑いたい衝動を必死で押さえる。ここで笑ったら火に油だ。
「とにかく!」
「…………」
沈黙している俺に、夏野は続けた。
「お前がやることは、おとなしくここで寝ておくことだけだ。朱鷺子に、何が何でもここで見張ってろと言っておく」
くれぐれも寝てろと言い残し、夏野は部屋を出て行った。
バタンと激しく扉が閉じられる。
夏野は通常、何があっても物に当たったりしない。今の扉の閉め方だけ見ても、我を忘れて怒っていることが見て取れた。
「……なんだ、あれ……」
あれほどの怒りをぶつけられたのに、俺の心のうちは、なぜだか暖かくなっていた。あいつの情みたいなものが、怒りまくっている声と一緒に伝わってきたから。
そしてそれは、壊れかけて禁忌にまで手を出した俺の精神を、引き戻すには最高の薬だった。
薫が勝手にひとりで浄化の滝に行ったことを怒ってたけど、結局、俺も同じだ。
悪夢を見せられて、誰もいなくなる恐怖を思い起こされ、呪いの影響もあって言ってることもやってることもめちゃくちゃになっていた。
薫に心配をかけたくない、急いで封じる必要がある、禁忌に触れるしかない。
間違った三段論法も良いところだ。
いつの間にか俺は少し笑っていた。
あれほど怒られたら仕方ない。ひとまず朱鷺子を待つしかないか。
大事にされてるって、こういうことでわかることもあるんだな……。
ふうとひとつ息をつき、目を閉じる。
こんなことで実感すると思わなかったけど、とても大事なことを改めて知ったような気がしていた。




