第25話:特殊上位種討伐完了
「ガアアアァアァァァアアアアアッ!!」
ヴァルターが咆哮を上げ、全身を震わせて突進した。
その動きは鉄塊のように重く、しかし異常なほど速い。筋肉が膨張し、血管が浮かび、瞳は紅に染まる。
――狂化。
それは戦士の理性を焼き払い、ただ“勝利”という衝動だけを残す禁断の力。
振り下ろされた大剣が空気を裂き、破裂音のような衝撃が走る。
鋼と鋼がぶつかり合い、空間が弾けた。
だが、その一撃を――ゴブリンヒーローは難なく受け止めていた。
体格も武器の大きさもヴァルターが上。にもかかわらず、膂力は拮抗している。ゴブリンヒーローの身体を覆う薄膜のような光が、理を歪めているかのようだった。
剣戟が幾度も交差し、地がえぐれ、風が爆ぜる。だが決着はつかない。焦燥だけが戦場に広がっていった。
「ヴァル! 今よ、下がって!」
エリンの声が鋭く響く。
彼女は杖を高く掲げ、光を一点に収束させていた。
さっきの広範囲殲滅魔法――《イルミナフラーレ》とは違う。
今度は、光を“貫く槍”に変える術式。
「――光の速さで闇を穿つ光よ、我が導となれ――イルミナランス!!」
瞬間、杖先から放たれた閃光が空気を裂いた。
一筋の白光がゴブリンヒーローの右腕を貫く。
焼け焦げる音。
皮膚が弾け、黒く焦げた穴が残った。
「ギィ……ギャアアアアアアア!!」
ヒーローが怒号を上げる。
腕を庇いながら、獣のように視線を走らせ――その赤い瞳が、動かず立っている静流を捉えた。
「……っ、静流! 気をつけて!」
エリンの叫びと同時に、ヒーローが地を爆ぜさせて跳躍する。
そして、一直線に静流へと飛び掛かってきた。
「……来ましたね」
静流は息を整え、無手で構えた。
迫りくるヒーローの脅威にも、その瞳は一片の恐れすら映さない。
油断して接近した魔物を“仕留める”罠を――彼女は既に用意していたのだ。
右手をわずかに上げ、低く囁く。
「――回帰」
直後、巣穴の影から鋭い風音。
黒い槍が空を裂き、一直線に飛来。
無防備なヒーローの背を貫いた。
「――グガァッ!?」
ヒーローの身体が痙攣し、振り上げた刃が空を切る。
そのまま前のめりに倒れ、地面を抉るようにして膝をついた。
背から突き出た黒槍が淡く光り、静かに消えた後、黒衣となり静流の背へと羽織られる。
彼女の瞳が冷ややかに細められた。
「一番単純なパターンでおしまいですか。……あれほどの力を持っていても、所詮は魔物ということですね」
エリンが息を整えながら杖を下ろす。
その横顔にはわずかな戦慄が浮かんでいた。
「静流のそれ……怖いくらい正確ね……」
ヴァルターは荒い呼吸で狂化のオーラがまだその身を包んだまま、こちらにやってくる。
「まだ……生きてる。トドメを……刺すんだ」
――その瞬間。
巣穴の奥から、低く重い音が響く。
大地が鳴り、空気が震えた。
静流が顔を上げ、洞窟の闇を見つめる。
「……また、何か来ますね」
闇の奥で、何かが蠢いている。
地を揺らしながら姿を現したのは――巨大な棍棒を担ぐ、緑肌の美女。
その肢体は人のように均整が取れているが、瞳には理性の欠片もない。
わずかに布をまとった姿は、異様な艶を帯びていた。
「こいつは……マザーか」
「……まだ若い個体ね」
エリンが低く呟く。
静流は黒衣の裾を握り、短く息を吐いた。
「……少し頼みますね。ヴァルター、エリン」
その声に、二人が構えを取る。
静流は既に黒衣の変形を開始していた。
――その時、マザーゴブリンがゆっくりと口を開いた。
「あんた、やられちまったのかい……? 今、助けてやるからジッとしてな」
――ゴブリンが、人語を喋った。
静流は驚愕した。高ランクに人語を話す魔物が存在すると知っていたが、ここまで流暢に話されると人と変わらない。少し話し合うこともできるのかと考える。
しかし、マザーは敵対する意思を隠さなかった。
マザーが首を鳴らし背筋も凍る表情を浮かべ、その金の瞳に嘲りと激しい怒りが宿る。
「人間風情が……その子を倒したくらいで調子に乗るんじゃないよ!!!」
嘲笑を滲ませた台詞を大声で発し、次の瞬間には地面を踏み割り、矢のように突っ込んでいた。
「チィッ――来るぞッ!!」
狂化を再び再燃させるヴァルター。
筋肉が悲鳴を上げ、骨が軋み、血が沸騰する。赤黒いオーラが噴き上がり、炎のように肉体と剣を包んだ。
「オオオオオオオオッ!!」
ヴァルターが咆哮と共に前へ出た。
マザーの棍棒とヴァルターの大剣が激突。
鉄と岩がぶつかり合ったような衝撃が走り、風圧が周囲を薙いだ。
大地が割れ、砂塵が舞い上がる。
「静流っ!今のうちにヒーローをお願い!」
「はい――すぐに済ませます」
静流はヒーローに向き直り、黒衣掴む。
黒布が流体のように蠢き、それは一瞬で細く鋭い光を吸い込む黒剣へと形を変えた。
その刹那、エリンはマザーに向けて無詠唱で光弾を数発放つ。
ヴァルターとの連携は、長年の付き合いで阿吽の呼吸と言っていいレベルであった。
ヒーローを助けようとこちらに近づこうとするマザーであるが、二人の連携を突破できずにいた。
そこに各所から現れたゴブリンの群れがマザーを守るために三人に突撃する。
「させないッ!――イルミナフラーレ!!」
杖の先から迸る閃光が現れたばかりの群れを照らす。
ヴァルターの咆哮、エリンの詠唱、魔物の断末魔――。
それらが渾然一体となり、戦場は閃光の渦と化した。
静流は一気に踏み込み、ゴブリンヒーローの前へ躍り出る。
逃げようとするその首筋に、黒剣を水平に構えた。
「……終わりです」
ザンッ――。
空気を裂く音と共に、鮮血が弧を描いた。
ヒーローの首が宙を舞い、地に転がる。
その瞬間、巣穴全体が呻いたように震えた。
「……あんた……よくも……!」
マザーの瞳が紅く染まり、全身から凄まじい魔力が溢れ出す。
地に倒れたヒーローの身体から黒い糸のような光が吸い上げられ、彼女の体内へと流れ込んだ。
「みんな、わたしの力に……なってもらうよ……」
彼女が呟くと、空気が重くなった。
マザーの全身を血管のような光が走り、周囲の魔物たちの体が次々と干からびていく。
「――【命脈支配】……ッ!」
マザーがスキル名を唱えた途端、恐ろしいほどのオーラを発しながらその肉体が歪に巨大化していく。
その存在感が示す気配はゴブリンヒーローとも比較出来ないほどであった。
静流が顔を歪め、黒剣を構え直す。
だが、その瞬間――エリンが杖を胸に抱いた。
彼女の唇が震え、淡い金光が身体を包む。
その姿を見て、ヴァルターは信頼の表情を向けた。
「エリン……頼んだぞ!」
「ええ……やるわ。静流お願い!耳を塞いで!」
彼女の声が静流に確かに届いた。
――しかし、なぜ耳を塞ぐ必要が?
そう深刻でも無さそうだったため、そのまま耳を澄ませる。
もし危険を感じれば耳を塞げばいい。
「――勇敢なる者に神の祝福を、邪なる者に裁きの運命を願う――」
光が、膨れ上がる。
「――奇跡!」
世界が、白く染まった。
まるで太陽が地に降りたような輝き。
その光は、仲間の傷を癒やし、心を満たし、同時に、マザーとその眷属たちの肌を焼く。
マザーが絶叫した。
「ァアアアアアアアッ!!!」
皮膚が剥がれ、魔力が軋み、体表を覆う血管が千切れていく。
静流はまぶしさの中で、光に包まれながら息を呑む。
エリンの背から放たれる光は神聖さは、“神の力”そのものだった。
「――奇跡……名前の割に凄いですね……」
静流が思わず呟いたが、今が大チャンスである。
「静流……終わらせるぞ」
ヴァルターが大剣を構え直す。
その声に、静流はわずかに頷いた。
「分かりました。今なら私も戦えそうです」
奇跡には仲間の身体強化能力まであるようで、身体がとても軽い。効果が続いている内に攻めるべきだ。
そうこうしているとゴブリンマザーの影がゆっくりと立ち上がる――。
「舐めたマネしてくれるねッ!?ミナゴロシよ!!」
そう宣言するも、先程までの威圧感は既にない。強化されているヴァルターと静流の攻撃の嵐に、マザーは禄に抵抗できず――。
「――そ……んな、バカ……な」
――最後には無念の呟きとともに倒れ、直に物言わぬ死体となったのだった。




