空は落ちて、アヒルは喋る
ダダダッと、浴室に駆け込む。魔法が掛けられているのか、こっちの部屋は明るい。
と、その途端。
ビイーーンン!
「ぐわっ」
し、しまった。自分がまだ呪われていることを忘れていた。
バスケットボールを持ったまま、トラベリングを侵してしまったため、例のやつがきた。
硬直する体。勢いがついたまま急に止まったものだからたまらない。
ぐらっと前のめりに倒れていく。このままだとアヒルの待つ浴槽にボッチャンしてしまう!…かと思いきや。
うん?空が青いな。
おや?空?
まるで雲一つない、澄み切った快晴の青空だ。
あれ、アヒルはどこいったんだ?湯気は?お風呂は?ジメッとしてモワッとして、クワックワした空気はどうなった?
なんでこんなに爽やかでカラッとした青空なんだ?見渡す限りの快晴。雲もなければ、足元には、地面すらない。そう、地面がない。というと?
「おあーーーっ!!!」
落ち、落ち、落ちるぅーーーっ!!
宙に浮かんでいる!でも重力がある!すなわち落ちる!
「だあああーーーーっ!!!」
すぐ脇を、ネズミ君がもの凄い勢いで落ちていく。
やばい、このままだと、上に上に落ちて、そのまま天井にぶつかる!
うん、上?
ネズミ君、今僕の顔の方から背中の方に落ちていったよな?
あれ、ってことは、背中から?背中が地面?
ボン!
「うぐぅっ」
予想と違って、体の前面に衝撃。ゴチンと地面に頭が激突、いや、そんなに固くないな。ちょっと頭を打っただけだ。バスケットボールが床と体の間に入ってクッションになってくれた。
それに、僕が倒れているのは、フッカフカの絨毯の上。今度は色は薄いグリーンだ。
「お、お〜い、勇者、大丈夫か」
ネズミ君の声。横目に彼の足が見える。ボールの丸みを利用してゴロンとひっくり返ると、尖った歯とぼんやりしたランプの明かりが見えた。おや、そんなに明るくないぞ?
「あ〜、びっくりした。何だったのかしら今の」
「そ、空に投げ出されたみたいな感覚でしたっ」
「ミャ〜ン」
女性陣の声が聞こえた。どうやらみんな無事のようだが。
「ここが天国でなきゃあな」
ランプがネズミ君の陰になって、僕の視界が暗くなった。
「みんな同じものを見たみたいだな。っかし、ヒヤヒヤしたぜ。まさか上に向かって落ちるとはな」
「それより、アヒルはどこいったのよ。お風呂はどうしたの?」
「ここは普通の玄室か?1ブロックサイズの部屋だ。絨毯は品がいいな」
「全然わかんないわよ」
「おそらく、俺たちは幻覚を見せられたんだろうな。部屋が明るいと思ったのも、アヒルの入浴も天に落ちる空もな。さっき南極の氷が溶けて水浸しになったのも、きっとそうだ」
幻覚だって?
「部屋は暗くなっちまったが、ここには魔法がかけられていることは間違いないな。部屋にかけられているのか、誰かがどこかからこっそり覗いているのかは知らないが、俺たちは魔法でありもしないものを見せられたってことだ。おい、勇者。いつまで寝っ転がってんだ」
「トラベリングしちゃったんだよ〜。一回ボール取って」
ネズミ君にボールを取ってもらって、ようやく起き上がることができた。
ふう、冷や汗かいた。なんだ、さっきのは幻覚だったのか。
改めて落ち着いて部屋の中を見回してみる。床に薄いグリーンの絨毯が敷かれている他には、左右の壁にそれぞれ扉があるだけだった。
「本物かな。これも幻覚だってこともあり得るよな」
ボールを僕の頭に乗っけて、ネズミ君は扉を調べにいこうとする。が、すぐにその足が止まった。
チョコチョコチョコチョコと、どこからともなく黄色い小さな物体が歩いてきて、僕らの前で止まったのである。
アヒルだ。ラバーダックだ。黄色いビニール製のアヒルのおもちゃだ。
「クワックワックワッ、我が館にようこそ、冒険者諸君」
ア、アヒルが喋った!?
「えーっ、本日はお日柄もよく、長雨に紫陽花の花も濡れる季節になりまして、冒険者諸君におかれましては爽やかな梅雨空の下、陰湿な地下室なんかに好き好んでおいでなさるところを鑑みるにいたしましても、青春とは名ばかりでまだまだ寒い日々が続いていることと御座候」
な、なんだ、なんだ〜?
かしこまった挨拶をしようとしているようで、所々ハチャメチャだぞ。
「あ、あたしどうかしてるのかしら。アヒルの言葉がわかるようになっちゃった」
鉄子はゾッとして耳を塞いだ。
「そんな地下生活者諸君におかれましては、寝苦しい日々が続いておりますが、暑さ寒さも彼岸までと申しますように、吹く風に桜の花の散るが如く、本格的な春の訪れを待ちわびても待ちわびても、一向に待ちわび続けるのであります」
「前言撤回。さっぱりわからないわ」
同感だ。
「や、やい、アヒル!」
長口上に痺れを切らしたネズミ君が啖呵を切った。
「アヒルとはなんだ」
「アヒルだろうが」
他に呼び方があったら知りたい。
「お前、貴様、あんた、オタク、そこの黄色いの。我が館とはどういうことだ?」
精一杯の二人称を捻り出す。
「閣下と呼びなさい」
「何がクワックワだ」
「誰がクワックワじゃ、閣下じゃ閣下。わっちはアヒル閣下であるぞ」
わっちって。花魁じゃあるまいし。
「クワックワックワッ、見ての通り、ここは地下に広がるわっちの館でありんす。気に入って頂けたかいの?クワックワックワッ」
花魁なのか?
「このアヒルが館の主ってわけなの?」
鉄子は混乱した眼差しをネズミ君に向けた。
「いや、こいつはダミーだろうな。本体はどっかからこっちを監視してんだろうさ。これも一種の幻覚魔法だよ。魔法でアヒルのおもちゃを操って、アヒルが喋っているように見せかけているんだ」
なるほど、だとしたらここには幻覚魔法に優れた魔法使いが住んでいると見える。それも相当な手練れの。
「ア、アヒル使いの魔法使いですか」
と、妙子。ウチの幻獣使いの言葉使いはちょっとややこしい。
「クワックワックワッ、汝二つの扉を開けて進むがよい。一つは本物、一つはまやかし。じゃが、本物を開けたとしても、すぐに進めるとは限らない。注意深くない者は…、グワッ、な、何をする!?クワッ、グワッ、クッ!クワワワワワワワ…!」
「プギャア、シャアアー!」
「ゲ、ゲンちゃん、駄目〜っ!」
とうとう我慢ができなくなってアヒルに飛びついたゲンちゃん。それを幻獣使いが追いかけていった。
ま、あの子にしちゃ我慢した方か。




