感傷は足を止め、パーティは固茹で
「どこだろう、ここ」
「ブロックの数を数えてなかったなぁ〜」
エビをやりながらでも数えておけば良かったなと、後になっては祭りである。
数えてはいなかったが、ダンジョン南辺に面していることだけは間違いない。
「混乱しちゃいますね」
妙子はじいっとマッピングノートのページを見つめた。
隅々まで描き切れた地下一階と違って、地下二階のマッピングはしにくい。
北東には広大な海が広がっているし、北西は蛭狐丸たちのいる保育所エリアだ。それらをきちんと描くことは不可能で、大体の位置関係だけで把握している。
サキュバスエリアのダークゾーンも、中の詳しいマップは不明だ。
はっきりと描けているのは、確実にわかる部分だけ。すなわち西の階段(3.13)を基準にして便所キリンエリア、それと南西の角のエレベーター(1.1)を基準にしたダークゾーンを抜けたあとのエリアのみである。
「ここからの分は別のページに描いたらどう?全長はわからないけど、滑る通路で結ばれていることは確かなんだから」
「そうですね」
妙子はペラっとノートのページをめくった。
よく考えてみたら、スッキリとマップが描けるダンジョンというのも珍しいのかもしれない。
ここは学園が造営したものだから、サイズも決まっているけれど、実際天然の洞窟とかだったらそうはいかない。いちいち測量して歩くわけにもいかないし。
頭の中に抽象的なフィルターを何枚も置いて、そこにそれぞれ部分別に描くしかない。
後でそのフィルターを全て重ね合わせたとき、ズレが生じることだってあるだろう。
「さてと、んじゃあ、この辺から探索開始といきますかね」
小休止が終わり、ネズミ君がランプを掲げた。
滑る通路を出たところからは、また別の通路が南北に伸びているようだった。
「おや、変わったもんがあるな?」
通路の東側を照らしたネズミ君。そこに何かを見つけたようだ。
「鉄の柵か、これ」
一つ東隣のブロックとを隔てていたのは、石の壁ではなく、鉄柵だった。更に向こうを透かして見てみると、床には水路が掘られているようだった。
いずれにせよ、東側には行けない。唯一の進行方向である北に向こうことに。
座標は東にいくつかわからないから、東座標をxと置いてここからスタートである(x.1)。鉄柵の向こう側、x+1には行けない。どこまで続いているかはわからないが、ひとまずはyの値を増やしていく。西側も滑る通路の一つ北からは壁が続いていた。
北へ3ブロック行ったところで、両側に変化があった(x.4)。左右どちらにも扉がある。
鉄柵の方は、扉と言うより門と言った方が相応しかった。上部がアーチ状になった、観音開きの大袈裟な門だった。
最初に左(西側)の扉をガチャガチャやって、開けようとしたネズミ君。鍵が掛かっていたが、気付いたことがあった。
「ここか、VIP用の扉は」
サキュバスのすんが言っていた。高級サキュバスがいる場所への近道。鍵を持った人でなければ行けないところ。すんが決して開けることは出来ない扉。
この扉の向こう側にすんがいるんだ…。
一瞬、感傷に足が止まる。
彼女は元気にしているだろうか。今日も夢を見せようと、暗闇の中で未熟な冒険者が来るのをじっと待っているのだろうか。
「こっちはかんぬきはしてあるけど、鍵は掛かってないみたいだぜ。柵の隙間から手を入れれば扉は開く」
僕が感傷に浸っている間に、ネズミ君は反対側の鉄柵の方の扉もチェックしていた。このタフでハードボイルドな盗賊は、勇者のように湿りやすくはないのだ。
「ひとまず前進しよう」
開けるのはこのフロアの全貌が分かってからでも遅くはない。どうせここは誰も来ないところのようなのだから。
再び北上再開。しばらくの間は、変化はなかった。左(西)はずっと石壁であり、右(東)はずっと鉄柵だった。鉄柵の向こう側の水路も続いているようだった。
だが、10マス分行ったところで変化があった(x.10)。通路はそこから東に折れ曲がり、さらに続いていたのだが、西側に扉が付いていたのだ。
「扉だね」
僕は開けようか?という意味でネズミ君に聞いた。彼は少しドアノブをガチャガチャやっていたが、すぐに諦めた。鍵が掛かっているらしい。
「こんなとき盗賊がいるといいわよね」
皮肉のつもりなのか、それとも単なる冗談か。鉄子がどんな意味で言ったのかは知らないが、たとえ皮肉にせよそれは、ハードボイルドな盗賊にとっては眠気を覚ます一杯の熱いブラックコーヒーのようなものだ。淡々と調査結果を報告する。
「普通の扉じゃない。鍵穴が付いていないだろう」
「本当だ」
ノブにもその周辺にも、鍵穴らしきものは見当たらなかった。その代わり、ノブの下には長方形の金属の板が付いていた。
「家の玄関でも、セキュリティの高いのがあるよな。この長方形の部分にカードか何かをかざすと、電子制御で開くやつだ」
「そんなものダンジョンにあるの?」
「もちろん魔法仕掛けな」
そうか。だが一つ、不思議なことがあった。その長方形の板に絵が描いてある。
「何でアヒルの絵が描いてあるのかは、ちょっと謎だがな」
何だかほのぼのとしたアヒルのイラストだった。ハードボイルドな迷宮が、急にソフトで幼稚な雰囲気になった。
「ま、今のところ俺たちには関係ないな」
そうだ、今の僕らは徹底してハードボイルドなんだ。ひとまず扉は無視して、再びダムダムとボールを突きながら今度は東に。ダムダムは余計だが、通路を進みながらxの値を増やしていく。x+1、x+2、x+3…。最終的に進めたのは10マスだった。行き止まりには、ダンジョン内で最も重要な構造の一つがあった(x+10.10)。
「下り階段発見しちゃったぜ」
「戻ろう。鉄柵の扉だ」
今すぐ地下三階に下りる心の用意はない。再びダムダムと突いて、両側に扉のあるところまで戻る(x.4)。
さて、この鉄柵だが。と、僕は改めて思った。
今、通路を周って見たところ、僕らの右側にはずっと鉄柵が張られていた。ここ地下二階の南東エリアを囲むように、ずっとガッチリとした鉄柵が張られていた。それは、甘く柔らかいものを好む日本人の嗜好とは対極的な、固くて冷たい鉄柵だった。
鉄柵は簡単にはよじ登れそうにないほど高く、おまけに柵の先は、槍のように尖っていた。まるで冷徹な官吏のように、一分の隙もなくその鉄柵は立っているようだった。
ハードボイルド。やはり今日はハードボイルドなんだ。アヒルが登場しようと、どんなにボールをダムダムやろうと、やはり今日はとことんハードボイルドなんだ。そう思った。
ここはシベリア。訳もなく、そんな言葉が僕の脳裏に浮かんできた。これは酷寒の僻地に建てられた強制収容所なんだ。夏でも厚い氷に閉ざされた、忘れられた街の、非人間的な楼閣であった。そこには思想犯か誰かが、人生を三回繰り返す程の長い懲役を得て服役しているのだ。
門を前にして、しばし思いを馳せる。それはパーティのメンバーも同じようで、一様に深刻な顔付きで鉄柵を眺めていた。こんなときに、誰も冗談を言うような者はいない。
「しかし、ガッチリと囲ってあるって感じだよなあ」
盗賊が独り言のように言った。
「ダンジョンに囲いがあるってねえ。へえ〜」
「…………」
そのとき、サーッとかんぬきが外れ、門が開いたのである。乾いた音を軋ませて。
「どういうことよ」
今まで見たことのないくらい白い目で鉄子は言った。
「これは、アレだ、何だ。きっと合言葉で開けるようになってるんだ。よし、先を急ごうぜ」
流石に決まり悪そうにネズミ君は先頭で門の中に入って行った。今まで聞いたことのないくらい大きな溜め息の鉄子が後に続いた。
やっぱり僕たちにハードボイルドは向かない、か。




