女性不信は増して、不吉は近付く
「何よ、アレ!あったまきたわ!」
鉄子はいきり立って、被っていた紙袋を破り捨てた。
「女が舐められて黙っていられるもんじゃないわよっ。ゴキブリでも鉄砲でも、何でも持ってきんしゃい!」
ほう、イケメンに弱い鉄子がイケメンを否定するか。それでいい。物質主義からの卒業こそ、精神の正常なる進化だ。
「あの女の目つき見たァ?イケメンの彼氏連れてるからって、何よあのこちらを蔑むような顔は!?」
…怒りの矛先は、僕が思っていたところとは少しずれていたようだ。やっぱり男は顔か。
「ゲンちゃん?男の子がゴキブリなんか怖がってちゃ駄目だよ!?」
妙子はガスマスクを剥ぎ取ると、ケージの蓋を開けてゲンちゃんを外に出した。自由を得たジェンダーバイアスの犠牲者は、いかにも嬉しそうに見えた。
「あんなの、白雪姫の継母ですよっ。二年生は若さじゃ絶対一年生に勝てないんですからねーっだ!年増なんか毒りんご食べて死んじゃえ!」
過激なことを口走り、んべぇーっと、ダンジョンに向かって舌を伸ばす。
どうやら学年一の美少女は校内一の美女に嫉妬したらしい。本当に怖いのは女同士の戦いだ。そこでは恐れ知らずのポリコレの勇士でさえ、尻尾を巻いて逃げ出すのだ。
「勇者さんっ、とっとと行きましょうよ。どんな敵が出てきても、あたしがギッタキタのバッタバタに薙ぎ倒してやるわ!」
「そうですよ、ゴキブリなんて、ゲンちゃんが食べちゃいますよっ!」
ともかくも、彼女たちに勇気が湧いたようである。おかげで僕の女性に対する不信感もレベルアップ。強くなった…、かな?
「よし、行こうぜ。こんなもん、ランプ持つの邪魔だ!この怒りをゴキブリどもにぶつけてやる」
ネズミ君もリュックに殺虫剤をしまい、ランプに火を灯してダンジョンに下りていった。僕らもそれに続く。
それにしても、人間の鬱屈とした恨みつらみをぶつけられるゴキブリがかわいそうに思えてきた。彼らには何の罪もない。ただ生きてるだけである。
未熟なのは人間なのだ。
玉音に対する怒りなら玉音にぶつければいいものを、それができないからと自分よりも弱いものに八つ当たりする。
会社で上司に叱責されたストレスを家で子供にぶつける。その子供は飼い猫をいじめる。猫はまた、ゴキブリを爪にかけるのだ。
こうして憎しみは上から下へ、まるで川のように流れていく。徐々にその濁りの度合を増しながら。
そして社会の最下層に溜まるのだ。その水溜まりの中から誕生したのが、例のGさんたちである。
怨恨という羊水によって育まれたGさんたちは、やがて人類への反抗を開始する。ゲリラ攻撃で、人類が生きていくために最も重要な場所、台所を襲うのだ。
対する人類は浅ましくも大量殺虫兵器や非虫道的な殺虫トラップを使用し、徒党を組んで彼らの殲滅にかかる。
だが無駄である。いくら攻撃を繰り返しても、Gは決して滅びない。
SDGsのGとは、GさんのGなのだ。Gは持続可能なのだ。持続可能な開発目標の第18番目の項目なのだ。
フォーエバーG。Gは永遠なり。とこしえにGの名を褒め称えよ。Gこそアルファでありオメガである。GはGodのGだ。ブラジャーのカップも、Gが最高だ。G以外の神を崇めてはならぬ。ハレルヤ、ハレルヤ。
ダムダムとボールを突いて、くだらない妄想にくだらない伴奏をつけながら進んでいく。
「おんや?ありゃ、なんだぁ?」
角を曲がったところで急にネズミ君が歩みを止めたため、妄想から現実へと引き戻された。
ここ、どこだ?ダンジョンだ。ダンジョンの通路だ。僕が妄想している間にどこまで進んだ?
「妙子さん、今どこ?」
「ち、ちんぶり商店を出て曲がったところです」
「何言ってんだ、ボケてるのか勇者」
と、ネズミ君が振り返る。うん、重度の妄想ボケしてる。商店の中を通ったのにも気づかないとは。
してみると、ここは階段に向かう通路か。道なりに行くと大広間に行けるところだ。
その通路の奥に、小さな明かりが灯っていた。ここに燭台はない。ランプを持った誰かがいる?
向こうでも僕らを認めたのか、ゆっくりとこちらに近づいて来た。
一人か?複数人の姿は認められない。独出君?いや、違うな。ああいったふてぶてしい感じではない。もっとこう、ヨタヨタと、いや、ヒタヒタと歩いていると言った方がいいか?
「ヒイーッ、ヒッヒッヒ…」
ゾゾゾゾゾォ〜!
そのとき身の毛もよだつような、不気味な笑い声が暗い通路を震わせた。前方の人物が発したものか!?
「ぅわぁおわ!」
すぐ側では、身の毛も寝かすような情けない悲鳴。誰のものかは言わずもがなだ。ランプの明かりが僕の後方に回った。
「何よ、モンスター!?」
鉄子が前衛に出てくる。なにもモンスターは、玄室だけにいるわけではない。ときにはダンジョン内を自由に行き来しているものと、バッタリ出くわすこともありうる。それをワンダリングモンスターという。
「バ、バンシーかもしれん!」
ネズミ君の声が青ざめていた。
「バンシーって何?」
「だ、誰かが死ぬときに、その死を予告しにくるモンスターだ!」
死を予告…!?
「イー、ヒッヒッヒ…」
「だぴゃあ!お、俺は聞こえてないぞぉ!バ、バンシーの叫びなんて、俺は聞こえてないゾォ!」
ネズミ君はランプを床に置き、両手で耳を塞いでガタガタ震え出した。
「イーヒッヒッヒ…」
「聞こえない、聞こえない、俺はイッヒッヒなんて聞こえないゾォ」
蒼白な顔で念仏のようにぶつぶつ唱える。
「聞こえない、聞こえない、ナマンダブ、ナマンダブ、ナマンダブ、ナマンダブ…」
いつしかそれは本当に念仏になった。おかげで念仏が誕生する瞬間を目の当たりにできた。そうか、念仏とは上から与えられたものではなく、民衆の中から自然発生的に生まれたものなのだ。




