アベックは有害で、病いは重い
寛木さんのナビゲートのおかげで、無事、上映開始前に講堂に着くことができた。
「ハァ、ハァ、あー、良かった。ほらね、間に合いましたでしょう?」
あ…、ムチムチな吐息が僕の鼻先三寸のところでキラキラと。
無色透明なはずの人の息も、ムチムチから発せられるとピンク色に輝いて見える。
「ああ、暑い。富士山の麓といえど、さすがにそろそろ暑くなりましたね」
あ…、脱いだ上着の下から、ムチムチな香気がムラムラと漂って。
はああ、清純な白いブラウスに立体感が加わると、どうしてこんなに罪作りになるのだろう。
これから彼女と二人、真っ暗闇の中、肩を寄せ合い、映画の主人公と一緒になって、泣き、笑い、スリルを味わい、手に汗握る大冒険を繰り広げるのだ。
二つの山を越えて、秘密の扉を開けて、樹海を抜けて、蜜があふれる聖なる泉へと導かれるのだ。
そして二人は末永く幸せに暮らしましたとさ、めでたしめでたし。
「では、私はこれで。映画、お楽しみになってくださいね」
そして彼女は去っていくのだ。一人の勇者を欲情させたまま。
…あれ?
今日、予定ないんじゃなかった?
楽しい殿方と一緒にいたいんじゃなかった?
ビイーーーッ!
「おや、無学君ではないか。君も映画を見にきたんだねえ。ブザーが鳴った。もう始まるよ。早く席に着こうではないか」
「は、駿野君」
そこにいたのは、日に焼けた自信ありげな尖り顔。形こそ同じだが、全てをアーミーグリーンの生地で仕立てなおした制服。レンジャー科に落ちて勇者科に入った変わり種、京都出身の自称自然を愛する男、駿野伏男君、と、僕の知らない女の子であった。
「ああ、こっちはね、僕のパーティのメンバー。魔法使い科の女の子。前に話したことがあると思うけど、僕の、そのう、なんだ。いわゆる一つの恋人ってやつかな。ハッハッハ」
人の高笑いというのは、いつ聞いても決して愉快な気分にさせられるものではない。
はああ、ああ。一体、何が悲しくてアベックの隣で映画なぞ見なくてはいけないのだろう。先程までの高揚感はどこにいったのか。
映画とはどういうものだろうと思ったが、悲しいものであるということがわかった。であるならば、そこから始まる男女交際というものも悲しいものであるに違いない。悲しみから出発すれば、悲しみへと辿り着く。即ち男女交際の終着駅である人の誕生とは、宿命的な悲しさに満ち満ちているのだ。
さて、肝心の映画の内容であるが、やはりそれはそれは悲しいものであった。
特にその事実考証のいい加減さといったら、悲しいという語に表現を極むる。リアリティのかけらもないのだ。
主人公が魔法で空を飛んだり、竜巻を起こしたり、過去と未来を自在に行ったり来たりというのは、なるほど現実的であり、十分に納得できる。
同時に別の場所に存在したり、宇宙空間で呼吸が出来たり、細胞分裂によって増えたり、というのも、現実的な実感を伴っている。
だが、あれはどうなのだろう。いくらなんでも、最後に長い冒険を共にした美しい女性と恋仲になるというのは、リアリティを欠いているのではないか。
おまけに、その辺の事情が事細かに描写されているものだから、異世界を目指す青少年少女が鑑賞するには甚だ不適切ではないかと思われるシーンが目白押しであった。
いやはや、こんなもの僕は一人で見ていたからいいものの、寛木さんと一緒だったらどんなに気まずい思いをしたことだろう。
チラと隣のアベックを見やると、やはり二人も僕と同じ気持ちだったのか。お互いにお互いの方を向き合って、スクリーンが視界に入らないようにしていた。
よっぽどショックだったのだろう。上映が終わった後も、二人は固く抱き締めあったまま微動だにせずにいた。
僕は邪魔をしないように、そろそろと講堂を後にする。
やれやれ、有害なシーンがあるかどうか、あらかじめチェックしておくべきだ。
だが、僕らは異世界を救うために選ばれた勇士。ファンタジア学園は理想的なナニーのように、手取り足取り大人の世界を教えてくれるような過保護な学園じゃない。
彼らはただ、生徒たちを千尋の谷に突き落とすのみ。異世界じゃ正義も常識も通用しない。温室育ちの現代人が目を覆いたくなるような出来事で満ちているのだ。
そんな脆弱な精神じゃ、異世界に行ったら戦えないぜ。ねえ、独出君?
そういえば彼はどうしたかな。あの誇り高き孤独者は。
「む…、無学君…」
今日はやけにいろんな人から声をかけられる日だ。
僕はとっとと部屋に引きこもって、先程の有害シーンについてじっくりと思いを巡らせたいのだが。
「独出君」
どうしたの?君の方から声をかけてくるなんて珍しいね。また新しいマウントの取り方でも開発したのだろうか。
すっかり夏の日差しになった太陽の下、まるで母乳の代わりにセンブリ茶を与えられて育った悲しい子供のように、どーんよりと沈んだ人物が一人。
「どうしたの、具合悪そうだけど?」
さてはクラスの人気者にでもなってしまったのだろうか?
「無学君。今、忙しいかい?」
「いや、お昼のパンを買いにいくところだよ。他に用事はない」
「そうか。僕も行くけど、ちょっと話さないか」
「い、いいけど?」
信じられない。独出君が人とコミュニケーションを取ろうとしている。これは重症だぞ。




