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風に舞い散る勇者の如し  作者: いもたると
第四部

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169/206

夢魔は幼く、変態は夢を見ない

 少女は美しい顔をしていた。だが、あどけなかった。一体いくつだろう。明らかに自分より年下のはずだが、随分と老成しているようにも見える。

 しかし、ブカブカの男物のシャツによって隠された体型は、まだまだ子供と言っていい。大きくはだけた首元からは、白い肌が覗いていた。

 全体の雰囲気は、野良猫だろうか。あどけない顔付きの中で、髪の毛と同じ色の目だけが危険な香りを放っている。テリトリーを侵すような不埒な相手には、命を懸けて戦うことも辞さない野生の光を宿していた。

 赤く長い髪の毛が床にこぼれて広がっている。頭にはねじくれた角。まさかサキュバス…。

 とてもそうとは思えない、幼気いたいけな少女が、たたみ一畳分ぐらいの大きさに千切られた絨毯の切れ端の上で、体育座りをしていた。シャツの裾から覗いた白い足には、何も履いていなかった。

「妙子!探したぜ」

「妙ちゃん!良かったあ〜」

「ゆ、勇者さんっ、み、皆さん、ごめんなさいっ」

 泣きそうな顔で、ぺこりと頭を下げた。

「い、いや、無事で良かった」

「ごめんなさいっ」

 また、ぺこり。

「そりゃ無事だろう。サキュバスに狙われないんだから」

「あんたが言うことじゃないわよ」

 皮肉の色が差したネズミ君を、鉄子がチクリと刺した。パーティのメンバーがランプを持って暴走するのは、ネズミ君がゴールド小僧を追いかけていったとき以来、これで2回目だ。不可抗力も入れれば3回目で、そのうちの66.6%をネズミ顔の少年が占めている。

「ごめんなさいっ」

 妙子は何度も深々と頭を下げた。言い訳をしないところが彼女らしい。欲に眩んで金を追いかけたネズミ君と、ゲンちゃんを助けるために闇に飛び込んだ妙子とでは大分差があると思う。

「もういいよ。とにかく無事で良かった。ゲンちゃんもなんともないかな」

 シルバーヘアの猫は、お腹いっぱいになったのか、イノセントなエメラルドグリーンの目で僕たちを見上げていた。その脇で、悪魔の角とコウモリの翼を持った黒猫が、床に直接盛られたねこでんねんの山に顔を突っ込んで夢中で飢えを満たしている。

「あっ、この子お腹が空いていたみたいで。リュックに入れていたのをあげたんです」

 用意のいいことだ。闇の中では道を示し、モンスターの空腹も紛らわせる。命が惜しいなら、キャットフードを持って入るべし。そうダンジョンの入り口に書いておかねばならない。それはそうと、こうしちゃいられない。この猫がどういう猫かも気になるのだが、他に神経を取られるところがさっきからずっとあった。

「ねえ」

 しっかりとした、幼い声が聞こえた。発声主は当の気掛かりなもの。

「ねえ、お兄ちゃんたち、夢見てくでしょ?」

「え?」

 猛スピードで頭の中を整理しようとするが、目の前にあるたった一つの情報を処理できない。

「どっちからでもいいよ、順番」

 少女は僕とネズミ君とを交互に見た。順番?

「一人5ゴールド」

 一人5ゴールド???

 僕とネズミ君は困惑して顔を見合わせた。先に状況に気付いたのは、どうやら彼の方だった。

「お前…、お嬢ちゃんも、サキュバスか?」

 少女はその質問には答えなかった。

「お姉さまたちはいっぺんに夢見させてあげられるけど、私は無理だから、順番。どっち先にする?」

 保健室で杏里先生に見せてもらったサキュバスのイラストとは、どう見てもこの子は違っていた。きっとこの世に生まれ落ちてからの時間という点で。

「無理なら、一人4ゴールドでもいいよ」

 いやいや、待ってくれ。その状況はちょっと。悲惨なものばかりこの目に映してきた僕とはいえ、それはちょっと。

「いや、なんだ、俺たちはその…」

 流石のネズミ君も動揺を隠せないようだ。

「じゃあ、二人で5ゴールドでもいいや」

 《《値段》》は更に下がった。

「いや、違うんだ、俺たちはその…、《《買い物》》をしに来たんじゃないんだ」

 買い物って…。彼の精一杯の婉曲表現は、逆にナイフのような冷たさを持ち合わせていた。

「一人2ゴールド」

 どこまで下がるんだろう。

「お嬢ちゃん、お金欲しいの?」

 僕は少女の裏側が見たいと思った。でも、彼女の後ろには、物言わぬ石の壁しかなかった。

「いや、待て勇者。はっきり言っとかないと。悪いけど、俺たちは遊びに来たわけではない。この猫にウチの短足猫が付いていってしまって、それを追いかけてきただけだ」

 そう言ってネズミ君は、床に置かれてあったランプを拾い上げた。ドライで打算的。人に優しくない、模範的な盗賊だ。

「さっき聞いた。すんにご飯をくれてありがとう」

「すんって、この猫のこと?」

 お腹がいっぱいになった黒猫は、しなやかな動作で少女の膝の上に乗ると、毛繕いを始めた。透き通るような白い手で、少女は猫の背中を撫でてやる。ゲンちゃんはと言うと、妙子の手でしっかりと抱き上げられていた。

「勇者さん、この子、すんさんって言って、一番下のサキュバスなんですって」

 僕らがここに来る前に、妙子との間で何らかの会話があったようだ。

「すんさん?」

「この猫ちゃんと同じ名前みたいです」

 飼い主の名前を猫にも付けたのか。欧米じゃ親の名を子に付けることもあるから、否定はしないが。なんかレベルが同じみたいな。

「この猫もサキュバスなのかな?」

 それには妙子は首を傾げた。代わりに少女が答えてくれた。

「そうだよ。この子もサキュバス。猫のサキュバス。私はすん。この子もすん。末っ子のサキュバスだから、すん」

「君のお姉さんもここにいるのかな?」

「みんなお姉さま。一番上の、いろはお姉さまは部屋を持ってるの。二番目は、にほへお姉さま。豪華なベッド持ってる。三番目の、とちりお姉さまは衣装が凄いの」

 一番下だから、すんか。そうか、そうなっているわけか。間に何人いるのかわからないけど、サキュバスはみんな姉妹で、いろは歌の順で名前が付いている。いろはにほへとちりぬるをわかよたれそつねならむうゐのおくやまけふこえてあさきゆめみしゑいもせすん。で、最後がすん、か。

 つまりこの子は最年少で最下級のサキュバス。ベッドも無しで、あるのは男物のシャツとボロの絨毯だけ。

「それ、君の衣装?」

「賀茂野のお兄ちゃんがくれたの」

 すんはシャツの襟元を指でつまんだ。

 賀茂野のお兄ちゃん?

「賀茂野のお兄ちゃんって、あの賀茂野さん?」

「賀茂野のお兄ちゃん、最近来なくなった」

 すんは寂しそうに言った。

 そうか。賀茂野さんがここの常連だったということは周知の事実だが、まさかこの子のところに通っていたとは。あの変態め!そう言われてみれば、すんが着ているのはサイズこそ違えど、今僕が着ているシャツと同じ形だ。

「この絨毯も、賀茂野のお兄ちゃんがくれたんだ」

「そうなんだ。もっといいものくれればいいのに」

「駄目なの。お姉さまたちに取られるから。賀茂野のお兄ちゃん、とちりお姉さまのエサだから。ここに来るのも、内緒。バレたら、お姉さま、怖い」

 賀茂野さんに一瞬感じた憤りが、すっと萎んでいった。それにしてもエサって…。

「他にも色々くれた。お菓子とか、折り紙とか。ちんぶり商店で買ってきてくれてたの。こっそりお金もくれたよ。私、夢見せてあげてないけど」

 そう、だったのか。あの変態め…。

「お金って…。宝箱はどうした?宝箱の金を使えばいいら」

 と、ネズミ君。乾いた盗賊の心にも露が降りたようだ。

「サキュバスにはないの、宝箱」

 僕の胸の中に、名状し難い複雑な感情が一気に押し寄せてきた。

 そうか。学園のモンスターに対する扱いは一様ではない、か。

「だからね、すんに男の人を連れてきてもらわなきゃ」

 胸がきゅうっと締め付けられた。

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