女はやり手で、ラーメンは節約
部屋の中の安全が確保出来たその後、女性陣を呼び戻した。全員揃ったところで、杏里先生による解説が始まった。
「あなたたちは、見なかったの?」
先生は背表紙に異世界医学辞典と書かれた分厚い本を手に取ると、パラパラとページをめくり始めた。
「チラッと手が見えただけなんです」
と、僕が言った。鉄子と妙子はそれすら見ていない。
「あったわ。これ、これ」
先生が開いて見せてくれたページには、ベッドの上で刺激的な格好をした女の人の絵が描かれていた。思わず目をひん剥いて凝視しそうになるが、女性三人の手前である。理性がハンマーを持ってきて、欲望を粉々にしていった。理性とは暴力である。
「あ、これっすよ。俺の夢に現れたのは」
「夢?」
僕は密かにネズミ君が夢の内容を語ってくれることを期待したのだが、彼は僕の質問をスルーした。…そりゃ疑問文は完全な文の形にはなっていないけど、せっかく日本人をやっているのだから、単語一つで察しようよ。はああ。
「サキュバス、か。有名なモンスターよね」
「コスプレしてる人もいますよねぇ」
意外とウチの女性陣は知っているようだった。ということなら、大っぴらに話してもいいものなのかな?
見たところサキュバスというモンスターは、妙齢の美女がセクシーな下着を纏っただけの格好である。頭に悪魔の角、お尻に悪魔の尻尾、背中にはコウモリのそれを大きくしたような翼を生やしていた。その辺りのことをもっと詳しく確認したいのだが、女性の視線が気になる僕は本に集中出来なかった。
「姿は色々よね。貝殻水着のサキュバスもいれば、全裸のサキュバスもいるわ。とにかく男性の気を惹くような格好で現れるの」
更に扇情的な言葉が美しい唇から発せられた。
「男を誘惑して眠らせて、夢を見させているうちに精力を吸い取るのがこのモンスターよ。目を覚まして、どんな感じ?」
「へっへっ、スッキリしてます」
一斉に非難がましい視線の集中砲火を浴びるネズミ君。だが、この羞恥心を持って生まれてこなかった盗賊には、なんらのダメージも与えていない。鼻の下を伸ばしてサキュバスのイラストを食い入るように見つめていた。
「不潔などぶネズミ」
「どぶネズミ以下ですぅ」
ますます僕は理性の側に立たざるを得なくなった。どぶネズミが羨ましい。
「男の子がランプを持ってると襲われたときに困るから、女の子が持っていた方がいいわね。でも異世界には女性を好むやつもいるから、絶対ではないわよ」
「そうなんですか。モンスターも色々ですね」
「特にこのモンスターは種類が多いわね。それこそ人の性癖の数だけいるといっても過言ではないわ。人が生み出した魔物と言われる所以よ」
魔物か。言い得て妙であるな。確かにあれは魔物と言うに相応しい。人の力の及ばざるところのものだ。
「このイラストにあるように、大抵は一緒にベッドも持っているわね。ここには豪華なベッドが描かれているけど、サキュバスには高級なものもそうでないものもいるわ。ダンジョンにいるやつは、キャスター付きの簡易ベッドが多いわね。その中にも細かくランクがある、そういう世界よ」
「そういや、白い手が伸びてきてネズミ君を攫った後、ドサッ、ガラガラって音が聞こえましたね」
「ベッドに寝かせて奥に運んでいったのね。羽ばたきの音も聞こえなかった?」
「はい、バサバサいってました」
大体、事情が飲み込めた。あのときネズミ君はサキュバスにベッドに寝かせられ、奥へと連れていかれた。そしてあんなことやこんなことをされたのだ。
「低級サキュバスは、やることやったら入り口にポイよ」
「そうか、そうか。へへ、これは明日にも仕返しに行かねばな」
出っ歯を伸ばしていやらしそうな顔の盗賊。頭の中は、サキュバスをあの手この手で懲らしめてやろうという悪巧みでいっぱいである。
「そんな余裕あるかしら?相手はモンスターよ。それも異世界に確固たる一大勢力を築いているやり手の悪魔だわ。代償はそれなりに高くついてるはずよ」
杏里先生は悪戯っぽく笑った。
「へっ、代償?」
盗賊は何かに気付いたように、リュックの中をまさぐった。
「あ、あ?ああ!?あーーっ!!」
「何、どしたの!?」
そんな驚いた顔で見つめられても困る。
「な、ない!そっくりいかれてる」
「だから、何がよ?」
ネズミ君は驚いた顔のまま鉄子を見た。
「だ、だから、財布!財布がない」
サイフ?サイフって何だ?そんな言葉、僕の人生にはない。
「あ、あんときだ!サキュバスにすられたんだ」
「バッカねぇ〜。自業自得よ。今月は反省して過ごしなさい」
「そ、そうじゃなくて、俺の財布じゃなくて」
うん?
「パーティの財布!異世界ゴールドが入ったやつ!」
あにだって?
「てことは、僕の?」
「そうだ、お前の生活費!」
「な、なんばしよっとかあ〜っ!」
ぐいっと胸ぐらを掴んで、天高く持ち上げる怪力女。
鉄子も経済事情は厳しい。夕食はいつもパーティのお金で食事をしている。
「い、いくら入ってたのよ!」
「ぜ、全部」
「全部ぅ〜っ!?」
まさに鬼女と化した女戦士。豆があったら撒きたいぐらいだ。
「なんで部屋に置いとかなかったのよ」
「だ、だってよ。寮には鍵開けの《《できる》》盗賊がウヨウヨいるんだぜ。そんな物騒なところに置いておけるかよ」
なんて筋の通った不条理な意見。
「はああ〜」
ドタッとネズミ君は下ろされ、鉄子は頭を抱えた。
と、いうわけで。
僕らの前には、白くて丸くて、おまけにツヤツヤしたものが並んでいた。ノブさんの酒場で一番安い、小麦粉団子100円である。
「結構おいしいですね。たまにはこういうのもいいかも」
妙子は自分のお金でもっといいものが食べられるのだが、それでは悪いからと、僕らに付き合ってくれた。
ふう。せっかく妙子のお陰で、逃げる宝箱から30ゴールド手に入れたばかりだってのに。
反省も兼ねて、今度また宝箱からゴールドを手に入れるまで、僕と鉄子の夕飯代はネズミ君のポケットマネーから出ることとなった。
そこそこ裕福な家庭出身の彼とはいえ、高校生の小遣いで扶養家族二人を養うのは無理があるため、節約に節約を重ねることに。
妙子は僕らの分まで出してくれると申し出てくれたが、それは僕と鉄子とで丁重にお断りした。異世界を救おうという冒険者が甘えていてはいけないのだ。
周りからは、ズルズルとラーメンをすする音が聞こえてくる。今日のノブさんの酒場は、全国ご当地ラーメンフェアを開催中である。
「はああ〜。尾道ラーメン楽しみにしてたのに」
大柄な女戦士がラーメン一杯だけで満足するとは思えない。
「てやんでえ、俺だって酸辣湯麺食べたかったんでぃ!」
言い返す元気はあるネズミ君。何故、江戸っ子化するとは謎だが、それご当地ラーメン関係ないよな?
「成分はラーメンと変わらないんだからな。こうやって、こうやって、醤油と胡椒をかければ小麦粉団子だって…。うぇ、まっずーい」
そりゃ、まずいでしょ。ちゃんと砂糖が効いてるからね。




