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風に舞い散る勇者の如し  作者: いもたると
第四部

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163/206

涎は垂れて、刺激は強い

「じゃあ、僕はもう行くから」

 用が済んだら長居は無用、なのか。すっと黒い壁に溶けるように、誇り高き孤独者は消えていった。途端に暗闇が降りてくる。ネズミ君のランプは消えてしまっていた。

「あ、ありがとう、独出君」

 その言葉が届いたかどうかはわからない。が、実りある期間だった。ほんの僅かの間ではあったが、彼と共に行動した人間は他に誰がいよう?

「妙子さん、明かりを近付けてくれる?」

 妙子にペンの豆電球を手元に寄せてもらう。

 結果、彼女は僕の側で跪くことになった。なんか、空気感が柔らかくなる。ふわっといいにおいがするというのもそうなんだけど、それよりもっとこう、なんというか、彼女が側にいるだけで次元そのものがフニャっとなるような、そんな癒し。

 ううむ、美少女というのは偉大であるな。これが本物の美少女が持つ力か。理性では僕と同じものからできているということはわかっていても、感覚はそれを否定している。真に真なる認識を有するものは感覚である。やはり美少女というのは、実際それを構成する物質自体が我々とは異なるのではなかろうか。人類は男と女と美少女に分類されるべきであろう。

 ふむ、ランプの火は消えているけど、特に破損とかはないな。床に直立した姿勢で置かれていたところから、意外と丁寧に扱われたと見える。

 僕はネズミ君のジャケットのポケットを探って、ライターを取り出した。シュボッと擦って、ランプに火を入れる。

 すると美少女は、僕の元を離れて行った。空いたスペースには、慣れ親しんだ悲しみが入ってきた。まるでおろしたてのシャツに筑前煮の汁をこぼしたときのように…。

「ほれ、起きなさいよ、ネズミ小僧。幸せそうに寝おってからに」

 鉄子がネズミ君の胸ぐらを掴んで無理矢理上体を起こさせた。ペシペシと顔をはたく。手荒だが愛情もこもっていない。

「ふわっ!ふぁ、ふぇへ…」

 目を覚ましたネズミ君。良かった、無事だったか。

「ほぉふへぇ〜ぇあ〜、ちもちぃ〜ぃ」

「ちょっと、何言ってるかわからないわよ」

 あれれ、またぐらっと力が抜けたようになってしまった。鉄子が胸ぐらを掴んでなかったら、頭打ってたぞ。

「ふぃ〜ひぃ、ふぁあああ〜ぁ、うえへへへ」

 目の焦点が合っていない。締まりなく緩んだ口から、ヨダレが垂れてきた。鉄子はヨダレの雪崩から逃げるべく、躊躇なく手を離す。間一髪、僕の手が彼の後頭部を受け止めた。

「気持ち悪いわね」

 顔はすごく気持ち良さそうなんだけどなぁ〜。幸せ虚脱している。

「モンスターの特殊攻撃でも受けたんでしょうか?」

 先程、僕の元を去っていった美少女の胸には、彼女の最愛の人が。ペンはもうしまい、結構大きくなったゲンちゃんを抱き上げていた。あんなことをされたら、僕だって幸せ虚脱してしまうだろう。

「かもしれないね。回復魔法をかけてみるよ」

 僕は精神を豊かにして、聖ザビエルの御加護を頼んだ。勇者科の生徒が使う回復魔法である。

「天にまします我らがミアモール。願わくば情熱の口づけを受け取りたまえ。この憐れな仔羊に痺れるような刺激たっぷりの熱い抱擁が在らせられんことを。テアーモ、テアーモ、激愛、降臨!」

 パアーッとキラキラした光に包まれるネズミ君。この魔法、呪文が恥ずかしくさえなければいい魔法なのだが。

「あひぃ〜い、ふへらひゃ〜」

 ネズミ君の異常は変わらず。幸せそうに壊れたままだった。

「駄目だ。効果ないね。保健室に連れて行こう」

 僧侶がいないってのはこういうときに不便だ。勇者の魔法だけでは体力は回復しても状態異常までは消えない。

「うっひゃっひゃっひゃっひゃっほ〜う!」

 するとネズミ君は、例のガガンボが飛ぶような踊りを踊り始めた。どうやら異常なままで元気になってしまったようだ。逆効果だったか。

「どうするのよ、あれ」

「ロープで縛って連れて行こう」

 鉄子は足を引っ掛けて、ネズミ君をゴロンと床に転がした。僕は彼のリュックから、電車ごっこに使うはずだったロープを取り出して、ネズミ君をグルグル巻きにした。

「妙子さんはランプをお願い」

「はいっ」

 照明係は妙子にやってもらうことにして、一路保健室を目指すことに。

「うっひょぉ〜い、ちもちぃ〜い」

「あったま痛いわね」

 なんだかなあ…。独出君は今頃モンスターと戦っているんだろうか。


「あらあら。あなたたちチニダー帰りね」

 ネズミ君を一目見るなり、デュナン杏里あんり先生には事情がわかったようである。保健室には、似たような症状が何件も持ち込まれるのだろう。

「チニダー?」

「地下二階南西エリアのダークゾーン。通称チニダーだけど、あんまり大っぴらに言わない方がいいわよ」

 事情が良く飲み込めない僕が持つロープの先で、ネズミ君はバレリーナの如くクルクル回っていた。

「うひぃ〜ひょほっ、ちもちぃ〜ぃ」

「こんなにハイテンションなのは珍しいけど。若いって羨ましいわ」

 先生は呆れたように腰に手を当てた。そうは言っても、この人だって若い。デュナン杏里先生はスイス人とのハーフ。ダイナマイトボディを魅惑の白衣で包んだ肉感的な金髪美女である。しかし彼女の治療を受けたいがためにわざと怪訝をする不届きものには、鍼治療と称して容赦なく毒針を打ち込む危険な女でもある。通称毒針の天使。

「なんかの状態異常でしょうか」

「そういうより、高校生にはちょっと刺激が強過ぎたのね」

「刺激?」

「ふひぇら、ふぁあ〜あ、ちもちぃ〜ぃ」

「はいはい、大人しくしなさい、坊や。お注射しますからね〜」

 杏里先生は刺激の強そうな、ぶっとい注射針を手に取った。ピュッと先っぽから液が飛び出すと、薬っぽいにおいが部屋に充満した。

「魔法じゃないんですか?」

「注射の方が良く効くのよ。暴れないようにロープで縛ってくれる?」

 杏里先生の指導のもと、ネズミ君の体をロープで縛り付けた。それは僕がまったく想像し得なかったような縛り方だった。世の中にはまだ、知らないことが沢山ある。

「悪いけど、ズボンを下ろしてお尻を出させてくれる?」

 杏里先生が悪魔のような号令をかけると、女子生徒二人は一目散に部屋を出て行った。素早く、そして賢明だ。必要のない傷跡を人生に付けるべきではないのだ。

 誰もやりたくない仕事を僕が引き受けると、先生はゾクッとする笑みをその美しい唇に浮かべた。

「いけない子にはお仕置きね」

 意味深な言葉に続き、ブスッと針が突き刺さる。

「%#=$!@!!アギャーーーーッ!!」

 途端に正気を取り戻したネズミ君。よっぽど痛い注射と見える。

「いっ、イテッ!あ、勇者、何すんだよ!せっかくいい夢見てたってのに」

 それより早く、この不気味な姿をなんとかせねば。

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