手は白くて、猫は成長する
「同じ造りだね」
「ついでに端まで行ってみるか」
ネズミ君はまた一つ西隣の(1.10)へと入っていった。途端にこちら側は真っ暗になってしまう。彼の後をついて、僕らも移動した。
「大胆に入っていくね」
「こんなややこしいところに住んでるモンスターなんかいないべ」
ここもやっぱりダークゾーンの壁に囲まれていた。ただし、端であるため、西は石壁が見えていた。
「まさかずっとこんなのが続いてるんじゃないでしょうね」
鉄子が不平を漏らす。確かに、だとしたら想像しただけでストレスだ。いや、彼女はモンスターがいないから不満なのかな?
「問題はこれがどこまで続いてるかってことだな。南は後何ブロック残ってるんだ?」
ネズミ君は黒い南壁を背にして、マッパーの妙子を振り返った。
「えっと、エレベーターまでだとしたら、後8ブロックですね」
手元のマッピングノートを見て妙子が答える。ダークゾーンの中では、自分たちが今どこにいるかをちゃんと把握していることが大事だ。
「ま、ダークゾーンでなくても、ランプの光が届くのは1ブロックだろ?そう考えれば通常通りなんじゃないか?」
そうだね、という言葉を僕は飲み込んだ。あくまでそれは何事もなければ、ということに尽きる。
「毎回、闇のカーテンを抜けるということで。ちょっと鬱陶しいけど、一つずつマッピングしていこうや」
ネズミ君にしては珍しく地道な努力を肯定するような意見だな〜、なんて思っていると。
背後の暗闇から二本の白い手がにゅっと伸びてきて、彼の腰のあたりに回された。うん?綺麗だな。まるで華奢な女性の腕のようだと、一瞬見とれたが。
「うひょっ」
急に変な叫び声を上げて、ネズミ君は黒い壁の中に吸い込まれていった、のだと思う。というのは、僕らの視界は奪われてしまったからだ。
ドサッ。
ガラガラガラガラ…。
バサッバサッバサッ…。
真っ暗な中、ネズミ君の驚いたような顔と、やけに白い手だったなという残像だけが網膜に焼き付いた。闇の中、音だけが動いている…。
「な、何、どしたのよ!?」
鉄子の動揺する声に、静止していた視界が時間を取り戻す。真っ暗は真っ暗だけど、僕の目はちゃんと闇を見ていた。そうだ、こうしていちゃいられない。
カチッという小さな音が聞こえ、極小の光の点が闇に浮かんだ。
「ど、どうしちゃったんですか!?」
緊迫した様子の声。妙子がマッピング用ボールペンのライトを点けてくれたのが分かった。でもまだ目が慣れないのか、彼女の顔までは見えなかった。
「何で急に明かりが消えたのよ!?ランプは?」
鉄子はアレを見ていないか。
「ネズミ君が拐われたかも!」
「え、どういうこと?」
「僕もチラッとしか見えなかったけど、なんか手が伸びてきて、彼を引っ張っていったように見えた。それから、ドサッて音がして、ガラガラバサバサッて音も聞こえた!」
「え、じゃあ」
「とにかく、後を追おう」
一体、何が起きたのか。あの白い手はなんだろう、あの音はなんだろう。詳細も真相も闇の中だが、僕はダッシュした。ネズミ君が吸い込まれていった黒い壁の中へ。が、数m進んだだけで、足が止まってしまった。一体、僕らは今どこにいるんだ?どこまでがこのブロックだ?壁はどこにあるんだ?
「モンスターかしら!?」
声の感じで鉄子が側にいることがわかった。
「そこまでは見えなかった」
けれど、人の手みたいだった。感じからすると若い女性の、それも結構な美人。勝手な想像だけど。
「お、落ち着きましょう、一旦」
少し離れたところから妙子の声。やっと目が慣れたのか、彼女の顔が見えるようになった。
いや、そうじゃない。光が少し大きくなっている。以前パーティが分断されたときのように、妙子は鏡で光を大きくしてくれていた。女の子だったら鞄に手鏡ぐらい入っているだろうが、彼女のは三面鏡。ボールペンを囲って懐中電灯のように持っていた。
そのことにより、少し落ち着いた。いけない、僕が動揺していたら駄目だよな。いつもパーティの後ろをくっついていく感じの妙子に引っ張ってもらっている。
「妙ちゃん、ナイス」
「困ったときはお互い様ですぅ」
若干、言葉と状況がそぐわない気もするが、そんなこと言ってる場合ではない。
「よし、ネズミ君を探そう。案外、すぐそこにいるかもしれない」
急場しのぎの懐中電灯によって、黒い壁の位置が把握できた。期待感を持って通り抜けてみると。
「いない、か」
ここも暗かった。いればランプで明るいわけで。さっきは鉄子の希望的観測が実現したけど、やっぱり僕のは無理か。
マッピングはできる状況にないから、頭の中に描きこむ。今(1.10)から(1.9)へと移動してきた。
「どこにいんのよ、ネズミ小僧〜」
鉄子がバカでかい声で呼んだが、反応はない。
「ネズミく〜ん、無事か〜!」
「ネズミさ〜ん」
「ミャアア〜!」
近くにいない、か?それとも声を出せない状況か。ドサッていったよな。あれは何かが倒れた音か?何かってのは、彼なのか?さっきのガラガラという音は?車輪が回転する音?だとしたら、結構遠くに行っているかも。
どうする?とにかく突き当たるまで真っ直ぐ南に進むか?それとも一つ一つ調べるというのなら東側か。
「行こう。警戒を怠らずに」
僕は両手でデメキンのハンマーをしっかり持って、真っ直ぐ南へ歩いた。自分がモンスターだったらどうするか。普通なら奥へ奥へと入っていく。それもなるべく遠く、ややこしいところへ。
「闇討ちなら、任せてちょうだい」
鉄子もアオダモの棒をいつでも振れるようにして付いてくる。人として間違ってはいるが、頼もしい。
ゲンちゃんの爪が石床を削るチャッチャという音は途切れない。最初に会ったときはほんの子猫だったけど、大分大きくなっている。不自由な懐中電灯を片手に持ちながら、ゲンちゃんを抱き上げることはできない。もし何か出てきたら、ちゃんと安全な場所に逃げてくれるといいが。
大丈夫だろう。猫だって成長している。妙子だって幻獣使いの技を上げている。大丈夫、かな?僕たちだってこれまで戦闘の経験を積んできているし、成長しているはずだ。痛みは伴ってきたけど、恐怖も味わってきたけど、そうやって一歩ずつ、大人に近づいている、はずである。
大人になるって、どういうことだろう。僕は一般的な子供が経験するようなことを経験せずに育ってきた。子供時代がなくても大人になれるんだろうか。常識を欠いたままでも、肉体年齢さえ重ねれば大人なんだろうか。大人になれなかった子供と子供になれなかった大人と。不幸なのはどちらだろう。そんなの、誰に聞いても自分だって言うに決まっている。
黒い壁を通って更に南(1.8)へ。ここも暗い。ただ、ちょっと目が慣れてきた。部屋のサイズぐらいは、ぼんやりとだが、把握できるようになった。
いるわけないよな、いるわけない。敵はきっともっと遠くにいる。僕らは駆け出したくて、でも駆け出せずにいる。焦れったい。こんなときに青春かよ。
「出てこ〜い、ネズミムシ!」
鉄子が声を張り上げる。今度は虫にさせられたか。僕も声を上げようとして、ハッと気付く。さっきのがモンスターだったら、新手を引き寄せてしまうんじゃないかと。
「待って」
静かに、と続けようとして、言葉を止めた。口をついて出てきたのは、最初の予定とは違っていた。
「何か、聞こえる」




