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風に舞い散る勇者の如し  作者: いもたると
第四部

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159/206

信仰心は薄く、イカは酸っぱい

「船のアイテムがありゃいいけど、渡し舟を先に取られてんのが痛いなぁ〜。もっと早く来るべきだったわ」

 と、助動詞プラス完了形で悔しがるネズミ君である。英文法の肝は実生活においても肝要だ。

 すると、噂をすれば何とやら、サンタマリア号を縮尺したような船が、船着場に入ってきた。本来ここにある渡し舟だ。

 ギーコギーコと、船を漕いでいるのは一人。その顔に見覚えがあった。

 高校生らしからぬ角刈り。意志の強そうな太い眉毛。きゅっと結ばれた口元は、何か並々ならぬ決意を内に秘めているだろうことを窺わせる。

独出ひとりで君」

 勇者科一年の同級生、独出進ひとりですすむ君であった。そういえば授業終了と同時に慌ただしく教室を出ていったっけ。

 独出君は釣り竿を持っていなかった。

「ええと、君はエア釣りだったよね?」

 以前、地下一階にある釣り堀でも、彼はこんなことをしていたな。

 独出君は無言で頷くと、船を降りた。すぐに船の争奪戦が始まる。

「精神集中していたんだ。これから、大変に意志力を必要とするエリアの攻略に向かうから」

 精神集中…。この大勢の釣り人で賑わっている中でか。

「す、すごいね」

「一人で冒険しているからね。悠長に釣りなんてやっている場合じゃないんだよ、僕は」

 出た。彼の得意技、マウント取り。いつもこうやって、さらりとマウントを取ってくる。…なんだけど、あれ?今日の彼はなんだか寂しそうに見えた。

「君たちは釣りに来たのかい?」

「う、うん」

「君たちもイカかい?」

「う、うん。そうだけど」

「そうか…」

 独出君は遠い目をして、海を眺めた。故郷の青森の海を思い出しているのだろうか。ダンジョンの海では、争奪戦に勝った誰かが、船を出港させていた。

「ねえ、無学君」

「な、何?」

「君はどう思う?人間ってのは、罪を犯すために生まれてきたんだろうか。それとも、初めから罪を背負って生まれてきているんだろうか」

 え…、い、いきなりそんな神学的議論を吹っかけられても。

「例えば、日頃からこうでありたいと思っているのに、心ならずもそれと違うことをしてしまうというのは、誰にでも起こりうることなんだろうか」

「そ、それって、主義信条を破るとか、そういうこと?」

 聞かれたってなぁ〜。衣食も足りたことのない僕が礼節以上のことを知りようはずがない。

「フッ、君に答えられる質問じゃないよな。悪かった。急に聞いて」

「ち、力になれなくてごめん」

「いいのさ。それより、君たちは釣りに来たんだろう。楽しんでいくといい」

「あ、ありがとう」

 はずみでそう言ってしまったが、一体僕は何に感謝しているというのだろう?

「いつか僕にも来るといいね。時間を忘れて釣りに没頭できる日が」

 独出君はもう一度遠い目をして海を見つめた。いや、見つめていたのは自分の心だったかもしれない。いずれにせよ、彼が何らかの深い苦悩の中にいるということだけは理解できた。

「じゃあ」

 一度、僕の方を見て別れを告げると、決意を固めた表情で階段へと歩いていった。その背中に向かって、僕は声をかけた。

「き、きっと来るよ」

 彼は立ち止まり、ゆっくりと振り返った。

「そうかい?」

「う、うん。きっと来る」

 フッと、その口元が寂しげに緩んだ。

「無学君。君は、いい人だね」

「そ、そうかな」

「釣果を祈っているよ。君のパーティによろしく」

 そう言い残して、彼は暗闇に消えていった。まるで今生の別れででもあるかのように。

 後に残された僕の口の中には、いつまでも苦いものが消えずに残っていた……。って、なんだかなぁ〜。追加ダメージまで与えるなんて、彼のマウント取りもレベルが上がっている。

 船着場では、ネズミ君がじっと同じ方向を見つめたまま固まっていた。案の定、船の争奪戦には負けてしまったようだ。敗北感を噛みしめて、遠い故郷の駿河湾を思い出しているのだろうか。いや、ここは地元だ。

「ネズミ君、そろそろ帰ろうよ。もうイカは十分釣ったよね?」

 ピクリとも動かない彼に声をかける。これ以上独出君にマウントを取られる前に、僕らも冒険に戻らねばならない。

「ねえ、ネズミ君?」

 まるで彫像のように固まっている。船を取られたことがそんなにショックだったかな。

 と、突然動いた。

「ぶわぁっと!あんにゃろ、時間を止める魔法までかけていきやがった」

 船を巡って仁義なき戦いが繰り広げられていたようだ。そうまでして釣りがしたいものなのか。

「おやおや、大盛況ですこと。いけませんね〜。アミーゴスの仕事は、異世界を救うことディアスよ。こんなところで油を売っていないで、とっとと異世界の海で魔魚まうおと戦って来なければ」

 どんなときにも空気を読まないテンション高めの脂ぎった声。階段から下りてきたのは、僕の先生。勇者科一年担任のマタドール先生であった。言ってることが微妙にズレている。僕らが戦うべきは魔魚ではなく、魔王ではなかったか。

 そんな先生は、ゴム長にポケットのいっぱい付いたベスト。右手に釣り竿、左手にタモを装備し、頭には麦わら帽子。クーラーボックスを肩掛けして、釣る気満々である。

 悠々と歩いていったかと思うと、あっと思う間もなく海に飛び込んだ。かと思ったが、そうではなかった。

 おおおお、と、生徒たちからどよめきが起こる。なんとマタドール先生は歩いていたのだ。海の上を。

「なんディアスか。こんなことで驚いていては、信仰心が足りませんね〜」

 そう言うと、そのまま沖の方へ歩いていってしまった。

「凄えな、お前んとこの担任」

「う、うん」

 流石は学園が誇るレジェンド勇者である。僕も魔魚と戦う前には、ああいう技を覚えられるんだろうか。

「あ〜、そろそろ帰るかぁ」

 来てから相当な時間が経っていた。イカを釣るという当初の目的からすれば、大成功である。


 イカ刺しにイカそうめん、イカフライ。ゲソの唐揚げに姿焼きと、その日の夕食はイカ尽くしであった。釣り上げた魚をノブさんの酒場に持っていくと、調理してもらえるのだ。ただ、ちょっとお金がかかる。ノブさんの方としても、毎回大量の魚が持ち込まれるのだから、これは致し方ない。

「結構、取られたなぁ〜。普通にアオリイカ定食頼んだ方がうまいし安くついたわ」

 後悔先に立たず。ということわざを決して人生で学習することのなさそうな盗賊が顔をしかめる。アオリイカ定食なんていうものが世の中にあるとは知らなかったが、ノブさんの酒場には何でもある。

「それほどおいしいものでもないわね。嫌よ、こんなんでお金がなくなったとしたら」

 鉄子はイカ玉のお好み焼きを食べながらイカそうめんをすすった。確かに、味は微妙である。酢イカにしていないのに、どれを食べても酸っぱい。

 でもウロコイカの真髄は身にあるのではない。鱗の方はそれなりにおいしかったのだ。

「この時期にしては結構甘いですね」

 と、妙子は鱗に塩を振って食べていた。鱗の時期はよくわからないが、この時期のスイカにしては甘いとか。身は酢イカ味で鱗はスイカ味。ウロコイカとは、統一と分裂のアンサンブルによって成り立っている生き物であった。

 ゲンちゃんは、ゲソのにおいを嗅いだだけで顔を背けてしまった。

 結局、釣りは今回限りということになった。イカはやっぱり駿河湾、である。

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