5月も終わりに近づき、花粉は新手が登場す
次の日、勇者科の教室でそれとなく闇野あかりさんに聞いてみた。ダンジョンのボスのことだ。
「ねえ、闇野さん」
「何?」
5月もそろそろ終わろうとしている。新緑眩しい朝の爽やかな光を浴びて、闇野さんは、たった今象の墓場から帰ってきた人、といったオーラを発散させていた。
「…何をやっているの?」
闇野さんは自分の机で、エケコ人形のような、小さいおじさんのぬいぐるみの足を、洗濯バサミで挟んでいた。
「これ、異世界で呪いをかけるときに使う人形だよ。試しに使ってみようと思って」
「持ってきちゃ駄目じゃないの?」
異世界のものを持ち帰るのは、校則で禁止されている。迂闊なことをすると、現実世界に影響を与えかねないからだ。
「これは個人的に使用するものだから」
大丈夫。
律令制でやると言っておきながら、令外官を作ってしまう日本人である。ルールとは解釈次第でどうにでもなるもの、というわけにはいかないだろう。
「試しに使うって、もしかして呪いをかけていたとか?」
「うん。これはそのためのものだし」
だから正しい。呪いをかけるための道具で呪いをかける。何も間違えていない。目的と手段が一致している。これなら目的論のマスターから免許皆伝の許しを貰える。
「誰かを呪っていたのかな?」
「そんなこと、いくら私だってしないよ。だって、現実世界に影響を与えることになっちゃうし。どれだけ異世界に関わっても、ちゃんと現実との区別がついてないとね」
ほっ、良かった。まともな意見だね。うん、この子は本来、まともな子なんだよ。特殊を気取ってたって、それは青春の一過性に過ぎないんだ。この子は本来、ちゃんと社会に適応できる素質を持った子なんだよ。
「じゃあ、どうやって使うものだろう。人を呪わないとしたら」
「相模原一帯に呪いをかけてみようと思って」
思い切り影響与えようとしてるじゃん。
「その効果が現れると、何が起きるんだろう」
「どうだろう?心を病んだ人が多くなるかも」
それなら、呪いをかける前とさして変わらないか。
いい加減に本題に入ろう。
「それよりね、聞きたいことがあるんだ」
「何、何?」
食い入るように身を乗り出す闇野さん。露骨な好意を感じる。
ちょっとタジタジ。
背伸びしていたって、僕らはまだ高校生だ。与える方も受ける方も、愛情表現は稚拙なレベルに留まっている。
「え、えーっとね」
趣味嗜好が魔性を帯びていても、闇野さんは黒髪のストレートボブがよく似合う、すっきりした顔立ちの美人だ。近付いて来られると、ドキッとする。
妙子で少しは慣れたとはいえ、女性に対する免疫を獲得するには、まだ道は遠い。
「闇野さんは、もう何度か異世界に行ってるよね」
「異世界のこと?何でも聞いて」
ぐいっと更に身を寄せる闇野さん。彼女の、思想の割には健康的な体から、不健康なフェロモンが発せられている。
「い、いや、そっちじゃないんだけどさ。行くときにダンジョンのボスを倒して行くと思うんだけど、そのボスっていうのは、どんなモンスターなのかなと思って」
「なんだ、そんなこと?てっきり、今異世界で流行りの、カップケーキのおいしいお寿司屋さんのことかと思った」
今後お世話になることがないとも限らないが、今は別の話である。
「ダンジョンのボスは、私も知らないよ。まだ会ったことないもん」
「え、ないの?」
「うん。いつ行ってもいないよ。きっと誰かが倒しちゃってると思う。先輩は出発するのが遅いから」
「それって、その日一番に乗り込んだパーティが倒してしまえば、後から通過するパーティは素通りできるということかな?」
「きっとね。そういうことだと思う」
僕らがいろいろとやっていると、王援歌さんが近付いてきた。
「アイヤー、無学君、もうボスと戦うアルか?あのパーティで無謀なことするアルな」
それはわかっているけれど、人に言われると複雑。
「いや、今すぐってことじゃないけど、後学のために」
「ボスは強いアルヨ。無学君たちみたいな低的地位のパーティは、強いパーティの後にくついていた方がいいアルヨ」
さすがは中国四千年の知恵だ。麻婆豆腐のようなピリ辛のアドバイスをありがとう。
「王さんたちはどう?ダンジョンのボスに会った人はいる?」
王さんが異世界に行ったことがあるのかは知らないが、彼女のパーティには二人の三年生と、人生を拗らせた二十歳過ぎの変態がいる。誰か知らないだろうか。
「ウチの人たちも誰も会たことないアルな。通行パスを持てれば、ボスは出てこないアルヨ」
「え、麻婆茄子?」
「通行パスアル。館あがるさんが持てたアル。館さんも先輩から貰たそうアル。何代か前の先輩がダンジョンで見つけたそうアル。便利なアイテムは後輩に受け継がれていくアル。賀茂野さんは友達いないから持てなかたアル」
そんなものがあったとは。
「それって、どんなアイテムなの?」
「狐のお面アルヨ。今ワタシ持てるアル」
狐。やっぱり狐か。王さんは蛍光ピンクのリュックをガサゴソやって、中から民芸品みたいな白塗りの狐のお面を取り出した。
「こうして、パーティの誰か一人が被てれば、出てこないアル」
お面を付けた王さんは、京劇の子役みたいだった。
「おや、君は伏見稲荷に行ってきたのかね?素晴らしかっただろう、あそこは。まさに日本文化の真髄を表している」
呼ばれてないのにやって来たのは、京都出身の自然を愛する男、駿野伏男君である。
「違うアルヨ。ダンジョンのボス対策の話をしてたアル」
「ボス対策と伏見稲荷が何か関係あるのかい?」
「伏見稲荷で買たお土産と違うアルヨ。これはダンジョンで見つけたアイテムアル」
王さんがそう言うと、駿野君は意外そうな顔を見せた。
「いやいや友よ。これは紛れもなく伏見稲荷のお面だよ」
「どうしてそんなことわかるアルか」
「一口に狐のお面といっても色々あるけど、これは僕の親戚がやっている土産物屋で売っているお面だからさ」
「え、そうなの?」
僕は驚いて駿野君の顔を見た。古都京都は意外と狭いのだ。
「ああ間違いない。実家の僕の部屋の壁にも飾ってある」
うんうんと彼は大きく頷いた。
そのとき、酷いくしゃみを連発しながら、担任のマタドール先生が入ってきた。
「ブエノスディアス、アミーゴス。ブエエーーックショイ!カアーッ。この時期はオリーブ花粉症が酷くなりマス。ブェーックショイ!カアーッ」
オリーブなんて、富士山の麓で栽培していただろうか?
「やだぁ、汚い。先生、マスクしてくださいよぉ〜」
板東組代さんが盛大に嫌な顔をする。
疑問が残ったまま、僕たちはそれぞれの席に着いた。
「ねぇ、闇野さん。君の先輩もあのお面持ってるの?」
すぐ前の席の闇野さんに小声で聞いた。
「どうだろう。持ってるかもしれないけど、見たことはないな」
そうなのか。




