メタファーは捻くれて、実体は霧の中
ここの階段は地下一階と地下二階とを繋ぐもう一つの階段であった。図書館側の、座標で言うと(16.15)の階段である。上り切ったところの扉を開けて、左右両側に扉が付いた部屋(17.15)に出る。
「どうじゃ、図書館に寄って行くかね?」
「遠慮しておきます」
左(北)の扉を開ければすぐそこは図書館だが、僕はシルバーフィッシュの申し出を丁重に断った。
蛭孤丸に捕まっていたおかげで結構時間を食ってしまった。食べ盛りの学生の腹はそろそろ不平不満を愚痴り始めている。
「猫によろしく言っといてくれよな」
パーティを代表してネズミ君が意志を伝えてくれた。言葉の真意は、筋肉猫に会っていると面倒だから、俺たちはとっとと帰る、である。
「そうかえ。お主らもたまには遊びに来いよ」
日本語の意味を正確に受け取った老人が正確な日本語で返す。これも文字通りに受け取ってはいけない。図書館は遊びに行くところではない。
言葉上は何一つ正確に表していないのに、僕らは意志をやり取りしている。日本語とは人と人の間にある霧のようなものだ。捻くれた暗喩の連続だ。メタファーの中二病だ。
じゃあ、と言って、シルバーフィッシュは北側の扉を、僕らは南側の扉を開けて、それぞれの場所に帰っていく。
今回のことで、疑問点はいろいろとある。聞きたいことは山のようにあったが、先程までは右も左もわからないモンスターの巣窟にいたのだ。もし彼らに臍を曲げられでもしたら、たまったものではない。迂闊なことは言えなかった。こうして無事に脱出できただけでも奇跡と言える。
だが、一つだけ、これだけはどうしても聞いておかなくてはならないことがあった。
「シルバーフィッシュさん、蛭孤丸はマルクス寺院と学園の生徒との区別がついていないようでしたけど」
「うむ?」
「それがわかったらどうするのでしょう?」
「奥歯にものが挟まったような言い方、せんでもええ」
「わかりました。つまり、彼が僕らを襲ってくることはあるんでしょうか。モンスターにとっては、生徒がしていることはマルクス寺院と変わりありません。中にはたとえ相手がオトモダチ・モンスターだったとしても、構わず襲いかかるような血の気の多いパーティもあります」
「お主らの顔はちゃんと覚えておるから、心配するな」
今度は奥歯にものが挟まっているのは、老人の方だった。何か、隠していることがあるのは見え見えだった。
「僕らだって、モンスターを倒して宝箱を奪います」
「何でもかんでも、お主らに話せるわけではない」
可変性の高いシルバーフィッシュの顔が、若干怖いものに変わった。こうして見ると、この人もモンスターなのだな、と思う。
「坊っちゃんがこの先どうなるかは、まだ儂にもわからぬことじゃ。お主らが卒業するまでに、生徒の前には現れないかもしれんし、どこかの異世界に行かれるかもしれぬ。ダンジョンの存在が長くなれば、予期せぬことも増えてくる。その都度対応していくしかない」
「学園は二世モンスターの管理まではしていないということですね」
「学園のことは儂らは知らん。それはお主らの領分じゃろうて。そもそも、儂らモンスターは誰かに管理されるような存在ではない。誰の管理も受け取らんよ」
「そうですか…」
この老人がどこまで本当のことを言っているのだろう。空気を読むのが得意な日本人であっても、モンスターの腹の内までは読めない。
老人は再び柔和な顔になった。
「一つ言えることはの、お主らの前に敵として現れれば敵じゃし、味方として現れれば味方じゃということじゃ。人間の世界だってそうじゃろう」
「そうですね」
味方の味方が敵であることもある。その逆もしかりだ。それは人類史を学ばなくても、クラスの同級生を観察していればわかる。
認識一つで存在は変わる。絶対的な見方なんてないし、絶対的な味方なんかいない。ある人にはとてもいい人に見えた人が、別の人には恐ろしく悪い人だってこともある。だからって、その人が実は悪い人だったということにはならない。いい人であり、同時に悪い人でもあるのだ。
その人がどんな存在かというのは、あくまでそのときの関係性によって決まってくるし、関係性というのも、また別の関係性に対する関係性に過ぎない。それはまた、別の関係性に対する関係性なわけで。どこまで行っても実体には辿り着かない、幻のようなものなのだ。
「儂らは儂らで生きておる。ここがダンジョンであろうと、異世界であろうと、その場所で生きておる。お主らはお主らで生きればよい。儂らがどうやって生きようと、お主らの生き方には変わりなかろう。お主らは何のためにダンジョンに潜っておる?異世界に行って、その世界を救うことじゃろう。こんなところでいつまでも油を売っておってはいかん」
それはそうなのだが、大人にいいように丸め込まれたという感じがしないでもない。
「ええ。僕らの目的は異世界に行くことです。おそらくダンジョンのボスである、蛭孤丸の父親を倒して」
シルバーフィッシュの顔は、何かわけありのようにも見えたのだが。
「敵として現れれば敵じゃよ。それでは、儂はもう行くとしよう。バイトの奴が本をダンベル代わりにしとらんか心配じゃ」
そう言い残すと、老人は背を向けて北の扉から出ていこうとした。が、その前に立ち止まって、僕たちの方を振り向いた。彼の顔は、少し強張っているように見えた。
「すまんが、今日見たことは、他の生徒たちには内緒にしといてくれるかの。お願いじゃ。坊っちゃんたちが、静かに学べる環境が必要なんじゃ」
「お約束します」
僕は深く考えずに条件反射的に答えた。ちょっと、疲れていたのだ。早く帰りたい気持ちが先に立った。
シルバーフィッシュは再び柔和な顔つきになると、後ろ手に扉を閉めて出ていった。
向こうに行きたそうにしていたランプの光は、諦めたようにこちら側に閉じ込められた。
「勇者、行こうぜ。今考えたってしょうがないら」
「う、うん」
ネズミ君はいつも目の前の現実を見る。
「あ〜、ややこしい話って、体に毒だわ。話の通じないモンスターばかりの方が、ありがたいかもしれないわね」
鉄子は一切理性を働かせずに、真実に辿り着く。
「ミャウ、ミャウ、ミャウ、ミャウ、フミャオウ〜」
「ゲンちゃん、ご飯もうちょっと我慢しよ。帰ってからおいしいの食べようね」
猫はいつも猫であり、美少女はどんなときでも美少女だ。
「よし、帰ろう」
心が解きほぐされたところで、帰路に着くよう号令をかける。
頭は悩ませるものだが、心は解すものだ。その通りにいかないから人間なのだけど。
「おっしゃ!帰ったらすぐ飯食うぞ。ノブさんの新メニュー期待してるぜ」
「ガッツリ系が充実してるのが、女子にはありがたいわぁ〜」
「今日は、ねこでんねんのマウス味だぞぉ」
「ミィヤゥ〜」
「そんなもん、食わせんな!」
願わくば、この仲間たちだけでも、いつも仲間であってほしい。僕らは商店を経由して、まっすぐに学園へと帰った。




