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風に舞い散る勇者の如し  作者: いもたると
第三部

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151/206

海は広くて、労務環境は酷い

「ほっほっほ。お若いの、闇に当てられたようじゃの」

 シルバーフィッシュは笑った。

 闇に当てられる、か。ありそうなことだ。

「あんまり闇に慣れすぎると、地上に出て行けなくなるわい。儂らみたいにな。ほっほっほ」

 気をつけよう。異世界には行きたいけど、モンスターにはなりたくない。

 ダークゾーンを抜けた先は玄室になっていた。そこの扉を開けて次に進む。

「ここも隠し扉か?」

 ネズミ君の声に振り返ると、今通ったはずの扉はどこにも見当たらなかった。見た目も手触りも、完全にただの石壁だ。

 シルバーフィッシュは僕らを無視して、右側にある扉を示した。

「ここを開けて進めば、便所キリンのいるフロアに出られる。じゃが、一つ航海といこうかの」

 ほっほっほと笑って、扉とは反対方向へと歩みを進めるシルバーフィッシュの後を付いて行く。ここはしばらく通路であった。

「航海?なんだそりゃ。じーさん、それよりここがどの辺にあるか教えてくれよ」

「ほっほっ、盗賊よ。お主はせっかちよのう」

 シルバーフィッシュは頭の上で手をヒラヒラさせた。

 すると、ボッボッボッと、図書館で見た、人魂みたいな青白い光がいくつも現れた。これはこの老人が操る鬼火か何かであったか。

「良く見えるようにしてやったから、ちゃんと己の目で確かめてみなされ」

「何だよ、一体…。ん、おおお!?」

 あり得ないといったように驚くネズミ君。すぐに僕らにも同じ驚きが訪れた。

「うわぁ〜、広いわね……」

 鉄子はそれきり言葉を失ってしまった。

「ニャア…」

「ひゃあ…」

 飼い主はペットに似てくるというのは本当らしい。妙子は、ゲンちゃんと同じ形に口を開けたまま固まった。

 黒い地面が波打っている。

 ザザア、ザザアと胎教によさそうな音。

 カルキ臭とは違う、生きた自然の、生臭いにおい。

「海だね…」

 思わずそう呟いたが、すぐに何を馬鹿なこと言っているんだろうと思った。

「そんなわけないか」

「いや、海だぜ」

 常識に屈したつもりだったが、すぐにパーティきっての常識人によって否定された。

 ネズミ君は床と水面の境目まで行ってしゃがみ、指をつけたり、それを舐めたり、においを嗅いだりした。

「間違いない。海だ。駿河湾の専門家が言うんだから間違いない」

「まさか」

「フジツボも付いてるし、ブイもある。それにこの潮風…。お茶の淹れ方を忘れたって、静岡県民がこの風を忘れることはない」

 そうかい?静岡といえば、海よりお茶だけど?でも、確かに海の側で感じるような風が、僕の頰にも当たっていた。ブイらしき丸い物体も、所々浮かんでいるのが見える。波に揺られてか、規則正しく上下していた。

「ほっほっほ、驚いたかの?プールじゃないぞよ。サイズはミニチュアじゃが、本物の海じゃ。地下迷宮にある、正真正銘の本物の海じゃ」

 シルバーフィッシュが誇ったように言った。

 常識的に考えれば、地下にある建造物に海があるわけはない。これはプールと考えるべきだ。だが、ダンジョンでは時に常識が非常識になる。あるいはこの両者は元々表裏一体なのかもしれない。昨日の常識は今日の非常識。僕らが立っている地面は案外、当てにならない。

「あの音は、こういうことだったんですね」

 妙子が言った。ザザザザ、という波の音は、まさしく閉じ込められていたときに聞いた音だ。ということは、さっきの場所に近いのかな?

「ささ、早く乗り込みなされ。今からそなたたちを感動の船旅へと案内して進ぜよう」

 そこは、船着場のようになっていた。桟橋を備えていて、小型のボートを係留していた。いや、それは小型の船と言った方が適切かもしれない。サイズ的には少人数のパーティが乗るのにちょうどいいが、外観はまったくの船であった。

 まるで大型の帆船をそのまま何分の一かに縮尺したかのようだ。大きな一枚布の帆が張られている。帆には、真ん中がすぼんだ赤い十字架の模様がついていた。それは歴史の教科書で見た、コロンブスのサンタ・マリア号に似ていた。

 船には左右に4本ずつ、短い櫂が付いていた。

 全員が乗り込むと、シルバーフィッシュは碇を上げた。

「本来なら自分たちで漕いでもらわねばならんが、今日は儂が運転してやろう」

 老人は何やら口の中でムニャムニャ呟いた。

 すると、背後からブワアア…、とたっぷりした風が吹いて、帆が膨らんだ。そろそろと船が進み始める。

「凄えな、じーさん。ただの図書館司書かと思ったら、そこそこの魔法使いじゃん」

 ネズミ君が驚く。

「ただの図書館司書とは何事じゃ。魔法使いになるより難しいぞぇ。サービス残業も多いしのう…」

 この学園の労務環境がどうなっているかはわからないが、真面目な人ほど損をしそうなイメージはある。

「ここにも人面魚はいるのかしら?あれは淡水魚だったかしらね」

 鉄子が水面を見つめてポツリと呟いた。水を見ると人面魚の公式が、僕らの中にできあがっている。

「ここのダンジョンにいるのは淡水生だけじゃが、異世界には海水生のものもおる。回遊するものもおるし、深海にも住んでいる。あいつらは繁殖力が強いし、何でも食べる。その上、ずる賢いときてるから、どこにでもおるわな」

 なるほど、人面だけあって、人類の特色を備えているわけだ。

「お爺さん、あの棒は何ですか?」

 妙子が指差した方角には、竹竿みたいな棒が海面から何本も生えていた。

「あれはダイタラボウのくちばしじゃよ」

「ダイタラボウ?ですか?」

「海中に本体があってな。近付くと引きずり込まれるから注意なされよ、お嬢さん」

 ひええ、とお嬢様はゲンちゃんを抱きしめた。

「ほっほっほ。そう心配なさるな。くちばしを掴んでやれば、おとなしくなるでの。ダイタラボウの髪の毛は、うまい海苔になるから、時々引っ掴んで海から上げて、毛を刈ってやる。また海に放り込んでおけば、半年ぐらいで毛が生える」

 ダイタラボウがどんな姿か知らないが、くちばしを掴まれて髪を刈られるところを想像して悲しくなった。

 異世界は広い。広いということは、悲しい生き物もそれだけいるということだ。

 異世界が無限にあるように、悲しさにも底はない。

 船は途中、二度ほど向きを変えて進んだ。二度目のターンをして程なく、船着場に到着した。

 海の真ん中に、数ブロック分の足場があって、遠くからでも昇りの螺旋階段が見えていた。まるで海から立ち昇る竜巻のようだ。

 帆を押す風が徐々に弱まり、船は桟橋のちょうどいいところで止まった。

「ほっほっほ。どうじゃったかの、船旅は?」

 シルバーフィッシュは碇を下ろした。

「景色がよかったら、最高だったわよ」

 鉄子がヒョイと大股で降りる。やっぱり人間には陸地の方がいい。たとえそれが石のブロックであっても。

「お爺さん、ありがとうございました」

 礼儀正しく妙子はぺこりと頭を下げた。

「よっ、じーさん、センキュ」

 ネズミ君も降りる。僕も降りよう。

「ありがとう、シルバーフィッシュさん」

「ほっほっ、礼には及ばん」

 老人が頭上で手を振ると、青い鬼火は消え、真っ黒な海が不気味に広がった。

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