羊を追うのは報われなくて、寂しさは募る
一応、僕たちは、いや〜ん、しっしっを繰り返し、虫除け魔法を習得した。はずである。
というのは、この時期まだそんなに虫がいないため、魔法の効果が現れたかどうかがわかりにくいのだ。
特殊なファンタジア学園ではあるが、僕らが魔法を使える場所というと演習場とダンジョンの中しかない。まさかダンジョンで使う機会はないだろうから、実際に使うとなると異世界に行ってからということになる。
それまで僕は覚えているだろうか?独出君がしっしっとやるたび、彼のお尻でウサギの尻尾が揺れていたことだけは、脳裏に焼きついて離れなかった。
午後は課外活動に勤しむ生徒が多いため、学園内は閑散としている。ちょっぴりしんみりした感じもあるが、僕はこのくらいが好きかもしれない。
ぶらぶらと歩いているうちに牧草地の方までやってきた。僕は暇があるとよくここに来る。とぼけた顔で草をはむ羊を見ていると癒される気がするのだ。
羊の群れは首を下ろしてめいめいが食事中であった。よく考えたら、彼らは自分が踏み付けたものを口に入れている。愛しいものほど、傷つけたくなるのかもしれない。
ファンタジア学園の羊は顔の白いメリノ種である。毛がモコモコの個体と、すっきりした個体とが入り混じっていた。
すると、ヴイーンという音が聞こえてきた。そちらを見ると、羊飼い科の生徒たちが、バリカンで一匹ずつ羊の毛を刈っていた。
「やあ、無学さん。今日は課外活動はお休みですか」
声をかけてきたのは、熱高清太君だった。今日はブレザーを脱いで、オフホワイトのサマーセーター姿。色白でぽっちゃりめの彼は、遠目で見れば羊の群れの一員に見えなくもない。もしも羊を主食とする怪獣が街に現れたら、間違えられて食べられるかもしれない。
「うん。熱高君は?まだ授業の一環?」
彼はやれやれといった笑顔を見せてくれた。
「今日中に全頭刈ってしまうんです。午前中だけで終わらなくて」
「大変だね、羊飼いも」
「ええ、羊の世話が色々とありますからね。羊たちは僕らの都合なんて考えてくれないし、急に仕事が入ることもあります」
「そうなんだ」
「でも僕は幸せですよ。王さんは待っててくれますから。中には、羊飼いだけ置いていってしまうパーティもあるんです。いたところで羊の世話をするぐらいしか能力がないですから。戦闘能力もないし、異世界に行ってもそんなに活躍できなくて、足手まといになることが多いんですよね」
と、半ば自虐的に彼は語った。
実は僕は気になっていたのだ。羊飼いというのはどうやって冒険するのか?まさか羊の群れと一緒に行動するわけにもいかないだろうに、なんて思ってはいたが、やっぱりあんまり活躍できないんだ。羊飼いも悲しい存在であるようだ。
「でも、こんなに学園の役に立っている科はないと思っています。僕らが着ている制服もここの羊の毛でできていますし。無学さんは知っていました?ここのウールは、ファンタジアメリノといって、市場に流通しているんですよ。軽くて保温性と通気性に優れた高品質のウールなんです」
そう言って彼は自慢げにセーターを引っ張ってみせた。羊飼いも悲喜交々である。
「うん。僕も一着持っている」
宝箱から獲ったものがあるからね。僕のは秋冬物だけど。
「さあ、もう一息頑張るか。夕飯までに終わらせないと」
と、熱高君はバリカンを手に羊の群れに混じった。
「頑張って」
一応、月並みな言葉をかけておいた。
さて、僕も行くとしよう。
その夜はパーティで食事をした。一週間の労をねぎらい、来週の計画を立てる。今週の頭には筋肉猫を送っていった。そこから三日間は忙しかった。
明日から二日間の休養日は自由行動である。
実家からも通えるネズミ君は帰ることが多いし、寮にいるときはいるときで盗賊科や附属から来た生徒たちとつるんでいる。
鉄子は戦士科と武闘家科を裏で束ねる女番長として色々やることがあるらしい(知りたいとは思わないが)。
妙子は妙子でゲンちゃんと遊んだり、ナンパされたりで忙しい。次から次へと群がってくる男子どもを、彼女は適当にあしらっているのか、はたまたその状況を楽しんでいるのか、いつも屈託のない笑顔を振りまいている。
いずれにせよ、僕には縁遠い世界の話である。同じ学校に入学したからとて、同じ経験をするとは限らない。それはまるで、24色のクレヨンの中からおみくじのように一本引くようなものだ。妙子はきっと赤とかピンクを引いて、僕は灰色か黄土色あたりを引いている。おそらく何度引いたとしても、同じなのだろう。
僕は最近部屋にこもりがちだ。外に出ても、学園の牧場で羊を見たりするぐらいしかやることがないし、彼らは数えているとすぐに眠くなってしまう。
そんなわけで今週末も、お弁当を買うために購買部に行く以外は、部屋の中で過ごすことに決定した。
でも、ふと寂しさを感じる。友人というのはいないときには寂しくないが、いても会えないときには寂しさが募る。不在とは無のことではなく、在の空白のことなのだ。
それでも、ここに来てから色々と刺激が強すぎて退屈したことがない。故郷である大都会東京は、僕にとっては空虚な街であった。おそらく富士駅前でアンケートを取れば、圧倒的に東京の方が刺激的であるという結果が得られるとは思うが、何故だろう。やはりおみくじのせいか。
今週も色々とあった。カエルに剣を取られたり、金魚がハンマーになったり、クラスメイトの尻にウサギの尻尾が生えたり。更にはウーパールーパーに羊ときたか。
動物だらけだが、一千万都市の片隅で生活している悲しい少年よりも、彼らの方がエキサイティングな人生を送っているのだ、きっと。
刺激的といえば、最近の児童文学が大変に刺激の強いものである、ということもわかった。
妙子は憧れの人に会えて感激していたが、僕は自分の子供にあんな本を読ませたいとは思わない。
やはり子供にとって最適な本は、教科書を置いて他にはない。
なんてことを色々と考えているうちに夜になった。日が落ちると、シャツ一枚では肌寒さを感じる。どこかの宝箱に、サマーセーターが入ってはいないだろうか。
でも、すぐに夏になるのだろう。ここは自然が多い分、蚊も多そうだ。ゴキブリだってきっと出る。そのときは、虫除けには道具の力を頼ろう。




