猫には危険で、部屋は安全
筋肉猫はゆっくりと立ち上がると、深々と頭を下げた。一つため息をついて、ゲンちゃんの頭を不器用に撫でた。
「末永くお幸せににゃん。決してボディビルには手を出してはいけないにゃん」
もう一度僕に軽く会釈をすると、さっきまで自分を縛っていた縄を手に取った。
駄目だ、駄目だ。そんなものを持って樹海に入っちゃいけない!
そのとき、突然僕にあるアイデアが生まれた。そんなことしてどうするよ、とも思ったが、生まれてしまったのだ。だから僕はそれを口に出すことになった。
「ま、待って!」
ガタッと立ち上がる。みんな一斉に僕の方を注目した。最早後には引けない。
「あのさ、もしあれだったら、行くところがないんだったら、ダンジョンに住むのはどう?」
言ってしまった。
「お、おい勇者。なんてこと考えてんだよ」
「あそこだったら、化け猫がいたって違和感ないかと思って。丁度モンスター長屋が一部屋空いてたよね」
「そ、そうですよ!それがいいです。そうしましょうよ!」
妙子は賛成してくれたが。
「いや待てって。生徒たちが出入りするんだぜ。モンスターと思われて攻撃されるだろ。ダンジョンの魔法も化け猫に効くとは限らんぞ」
あ、そ、そうか。
いいアイデアだと思ったのに。くぅ〜、そんな落とし穴があったか。
「駄目かぁ…」
僕は座り込んで頭を抱えてしまった。う〜ん、困ったな…。
すると、妙な音が聞こえてきた。
「ウッフッフッフッフ〜〜」
ん?なんだ?どこかで聞いたことのあるような。
「ウッフッフッフ〜〜。おいしそうなにおいがするアル」
顔を上げると、それは化け狸だった。いや、かわいらしいタヌキ顔の美少女だった。
「クンクン。困てるにおいがプンプンするアル。ワタシ、困てるにおいは1km先からでも嗅ぎつけるできるアル。無学君はいつも何かしら困てるアル」
勇者科のクラスメイト、中国人留学生の王援歌さんだった。困っている人を見ると、とても萌えるらしい。この人も化け猫の仲間なのではなかろうか。
「また困てるアルな。今度は何で困てるアルか言うヨロシ」
「実はね…」
かくかくしかじか、と今までのことを説明する。
「さきの騒動はこの猫ちゃんが原因だたアルか」
王さんはしみじみと筋肉猫を眺めた。
「うまそうアル」
食べるのか。
筋肉猫はサッと机の下に隠れた。
「冗談アルヨ。流石に二本足の猫は食べないアル。猫ちゃん、出てくるアルヨ」
「恐ろしいお姉ちゃんだにゃん」
出てきた筋肉猫の顔は、鯖の背中のように青ざめていた。
「ダンジョンに住まわせてやろうと思ったんだけどね。あそこがモンスターにとって危険な所だというのを忘れていた」
僕がそう言うと、王さんはちょっと考えるふりをした。
「ちょと待ててほしいアル」
ひょいひょいと人混みを掻き分け、どこかに行ってしまった。
「またあいつか。何者だよ」
と、ネズミ君。三年間同じクラスの予定だが、三年で解明できる自信はない。
すぐに王さんは戻ってきた。
「朗報アルヨ。賀茂野さんに相談したら、そういうことなら自分の部屋を使てくれればいい言てくれたアル」
「えっ、ホント?」
賀茂野さんはダンジョンの一室にて、長年引きこもり生活を送っていたのだ。
「あそこだたら生徒に襲われる心配ないアル。鍵はまだ賀茂野さんが持てるアル。長年かけていろんな結界張り巡らせたそうアルから、解錠の魔法でも開かないアル」
お、お!やた!あ、いや、やった!流石は伝説の引きこもり、やることが違う。
「よ、良かったですねぇ、猫さん」
「ミャア〜」
妙子はまた鼈甲眼鏡をずらして涙を拭った。
「と、ということは?どういうことにゃん?」
「悪運の強い奴だぜ」
と、ネズミ君。
「あそこだったら、ジムもあるしね」
鉄子にも、筋肉を通じた奇妙な連帯感が生まれているようだった。
「君はダンジョンに住むことになったんだよ。もう樹海で首を括らなくてもいい」
「ホ、ホントですにゃん!??」
「本当だ。前に賀茂野さんという人が住んでいた部屋に入ってもらう。15m四方の広い部屋で、壁は分厚い石壁で防音にも優れている。今鉄子さんが言ったように近くにジムもある。小さいけれどシャワー室も日焼けマシーンもある。それからスーパーにも近い」
筋肉猫はしばらく茫然としていたが、やがてその目から涙が溢れ出した。
「うっ、ぐすっ、この体になって以来、初めて人に優しくしてもらったにゃん。あれ、おかしいにゃん。嬉しいのに涙が止まらないにゃん。きっとプロテインが目に入ったにゃん」
「うっ、うくっ、わ、わらひ、もう、らめれすっ」
「ォアァ〜アンゥア〜」
妙子も涙腺が崩壊してしまったようだ。ゲンちゃんも聞いたことのない鳴き方をした。トイレに行きたいのではあるまいな。
「やれやれ、奇妙な人たちです。物の怪に情けをかけるとは」
犬神氏は天を仰いだ。彼のナンパも崩壊だ。君と妙子とは水と油、紫式部と清少納言、犬と猫だ。
「でも妙子さんが支持するというのなら、考えを改めましょう。筋肉猫さんとやら、僕も陰ながら応援しますぞ」
変わり身早いな、こいつ。こんなところで持ち前のチャラさを発揮せんでもよろしい。他方でケルベロス(たち)は、鉄子軍団の子たちに捏ねくり回されていた。
「あ、ありがとですにゃん。恩に着るにゃん。これからはそのダンジョンとやらで生きていくにゃん」
「部屋の中は賀茂野さん、そのままにしてるらしいアルから、すぐにでも生活できるアルヨ」
「かたじけないにゃん」
「鍵はバッチシみたいだけど、出歩くのは夜の方がいいかもね。生徒たちに見つかると多分襲われるから」
「大丈夫ですにゃん。これでも吾輩は、食欲渦巻くあの中華街を生き延びてきたにゃん。血走った目でナタを持って路地をウロつく料理人からも、逃げおおせてきたにゃん」
やはり食べるのか。
「そうと決またら、どうするアルか?早速内見行くアルか?」
「そうだね…」
僕はパーティのみんなを見回した。まだダンジョンに行って帰ってくる時間は十分あったが、みんなの顔には疲労が滲んでいた。
「今日は休んで、また来週行こう」
台詞の前半に対して異論のある者はいなかったが、後半には少々問題があった。
「それはいいけどよ、どうすんだそいつ」
どうすんだ、と聞いときながら、ネズミ君は明確な答えを持っていた。それは僕がなんとなく思っていたことと同じだったのだが。
「勇者の部屋に閉じ込めておくしかないな」
やっぱりそうなる。ま、いいか。学園内を出歩かれるよりはマシだ。




