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王女は、業に抗った  作者: 一石千月
第十章 後始末は茹だる暑さとともに
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第十章 第六節【恩讐の先に】

 メスカ王国宮廷の会議室の一つ。大きめのテーブルと椅子六脚が向かい合わせに並ぶ。朝から分厚い雲が空を覆い、白を基調とした室内は薄暗い。それでも、季節柄、気温と湿度は容赦なく上がっていた。

 ターナ、ハビエル、バイロンの三人が扉を開け、ゆっくりと中へ入った。

 テーブルの長辺には、サイカとファビオが並んで座っていた。扉の音に、二人の肩がびくりと揺れる。

 ローラ主催の女子会の翌日、昼過ぎのことだ。『同化者』の二人が剣を交えた日から、ちょうど一週間が経っている。

 ターナは、白いノースリーブのVネックブラウスに、ラベンダーのフレアスカートを合わせていた。裾からはベージュのパンプスが覗く。この日も、包帯を巻いた右腕を三角巾で吊っていた。

 ハビエルは半袖のシャツにスラックス姿。バイロンも同じような軽装だったが、その上に白衣を重ねている。

 三人は黒十字側の対面に並び、静かに席に着いた。


 来訪者に視線を配るターナが、口火を切る。

「黒十字解放戦線第一隊隊長、サイカ・ノヴァク殿。副隊長、ファビオ・ガルシア殿。本日はお呼び立てして、大変恐縮です」

 サイカは、七分丈のカットソーとバレルレッグパンツを身に着けていた。黒ずくめの出で立ちはいつもどおりだが、可動式の装具で膨らんだ右腕を三角巾で吊っている姿は痛々しい。図らずも、ターナの姿と重なって見えた。いつもの深紅のリボンはなく、長い黒髪を下ろしている。

 隣のファビオは、長袖Tシャツにカーゴパンツ姿だった。厚い胸板が目立つ。彼もまた、黒一色である。

「まずは、サイカさん。怪我の具合はいかがですか? 不便をかけていませんか?」とターナが穏やかに尋ねる。

 サイカの顔からは生気が失せていた。小さく縮こまり、怯えた視線が宙を泳ぐ。

 彼女は、一週間前の戦闘について、いずれ問い質されることを覚悟していた。右肘の手術を受け、宮廷の一室で療養を続けていても、時が経つにつれ不安は膨らむばかりだった。さらに、メスカ国王がギルザの民を支援していたとファビオから聞かされ、自らの過ちに苛まれていた。

「不便など……とても、よくしてもらって……あの、感謝しています」

 そう答えるのが精一杯だった。

 ターナは問いかける相手を変えた。

「バイロン。サイカさんの治療経過を教えてもらえる?」

「手術後の炎症は落ち着いてきた。昨日から、リハビリ用の装具を着けてもらっている。徐々に可動域を広げる必要があるからな」とバイロンは冷静に説明する。「あと一か月前後は、宮廷で治療に専念してもらう予定だ。まあ、若いから回復も早いだろう」

 頷いたターナは、戸惑うサイカに向き直った。

「あなたは少し、ゆっくりしたほうがいいわ。慣れない場所で落ち着かないでしょうけど、今はとにかく身体を治しましょう」

 続いてファビオに声をかける。

「サイカさんの見舞いや、コロキスでの対応もあり、大変だと思います。無理はされていませんか?」

「いえ……この程度で音を上げるわけにはいきません。若い隊員も手伝ってくれています。大丈夫です」

 ファビオもまた、困惑した表情だった。

「レオ・サヴォイ将軍の処遇は?」

「当面は行政局にて拘束しています。それから、パディラのオフィスから相当数の銃器と火器が見つかりました。ユージン陛下からの支援金でレオが購入したものです」

「なるほど。ハビエル、帳簿はどうだった?」

「はい。陛下ご自身の財産から、高額の使途不明金が毎年費消されていたことを確認しました」

「事実が、少しずつ出揃ってきたわね」とターナは黒十字の二人を見つめた。「あなたたちは、将軍が武器を買っていたことを知らなかったのでしょう?」

 ファビオは無言で頷き、渋い表情のまま続けた。

「妙にレオの羽振りがよかったので、以前から不審に思っていました。ただ、詳細を突き止めるのは難しかった」

「巧妙に隠していたというわけね」

「取り巻きもいましたので、私自身は派手に動けずにいました」

「ただ、今回は機を逃すことなく、結果的に上手く事が運んだとも言えませんか? 残酷な見方だけれど」

「しかし、その間もギルザは飢え続けていた。何かできることはなかったのか——悔やまれます」

 ファビオの痛切な本音が、会議室の空気を切り裂いた。


 その言葉をきっかけに、俯いていたサイカの肩が小さく震えた。堪えきれずに嗚咽が漏れる。

 ファビオは心配そうに、隣に座る隊長を見やった。

 やがてサイカは、絞り出すように言葉を紡ぎ始めた。

「仲間が……食事もままならなかった。だから、アタシは戦うと決めた。なのに……貧しいのは、レオのせいだった。ユージン陛下は、手を差し伸べてくれていたのに。アタシが……殺したも同然だ。何てことを、してしまったんだ……」

 ターナは表情を変えず、その様子を見つめていた。

「アタシは、処刑されても仕方がない。でも、それで陛下が生き返るわけじゃない。取り返しがつかないんだ」と声が乱れる。「ファビオ兄ちゃん、アタシはどう責任を取ればいい? アタシの命だけじゃ、とても足りないよ!」

 ファビオの顔が苦悶に歪んだ。結局、サイカを守ることはできないのかと、やりきれない思いが心身を貫く。

 彼が言葉をかけるより早く、ターナが強張った声で口を挟む。

「まず、正直に言うわ。泣きたいのは、私だって同じよ。あなたの『接触』が引き金で、私は実の父を失ったのだから」

 それは、王の後継者としてではなく、一人の人間としての、生々しく偽りのない本音だった。あまりにも鋭利な言葉に、黒十字の二人の顔が引きつった。ハビエルとバイロンも、痛ましさに耐えるように黙って視線を落とした。


 敢えて沈黙して、ターナは自らの感情を整えた。そして、再び丁寧な口調で見解を述べ始める。

「この件については、父にも重大な落ち度があったと考えています。黒十字解放戦線に金銭を渡しっ放しにしたことは、まずかったと言わざるを得ません。使途を報告させ、もっと手厚く対応すべきでした」

 ファビオは神妙に耳を傾ける。サイカは顔を上げられない。

「あるいは、少なくとも支援の事実を公表すべきだったと思います。それだけでも、無駄な費消を抑える効果はあったはずです」

 その瞬間、ターナを強い吐き気が襲った。

 小さく呻き、左手で口元を押さえ、視線を落とす。

「どうした? まさか……」とバイロンが驚いて腰を浮かす。

 ターナは慌てず呼吸を整えたが、顔をしかめて呟く。

「『干渉』ね……。つまり、公表は間違いだって言うの?」

 バイロンは絶句する。ハビエルとファビオは、状況を掴めず呆然としていた。

 やがてターナは、すべてを悟ったように小さく頷いた。擦れた声で考えを伝える。

「これは憶測だけれど、支援金を渡した後、父はサヴォイ将軍に収支簿の提出を求めたのではないかしら。ところが、将軍は拒絶した。闇商人から武器を買ったなど、言えるはずがないもの。それどころか、逆に支援の事実を公表すると、父を脅した……」

 いくらか落ち着きを取り戻したサイカも、涙に濡れた顔を上げていた。

「黒十字が都合のいい事実だけを公開すれば、王国は夜盗に金を渡したとして国内外から非難に晒され、ひいては国益を害する。クリアターコイズは、そう判断して『干渉』したのでしょうね。結局、父はそれに躊躇し、その後も使途を定めずに金を渡し続けた。そう考えるのが、一番自然です」

「確かに、レオならやりかねない」と険しい面持ちのファビオが呟いた。

「ただ、そうだとしても、黙って金を渡し続けるべきではなかった」

 苦々しげに、そしてきっぱりと断じた。

「これだから、石とは反りが合わない。私は……好きになれない」

 ターナはゆっくりと立ち上がり、全開にされた窓辺へ歩み寄った。左手で窓枠に触れ、流れ込むぬるい風を浴びる。

「サイカさん。あなたを処罰することはできません。私もあなたも、隠されていた事実を知っていれば、あの日戦わずに済んだ。こうして仲良く右腕を吊ることもなかったでしょう」とターナは冷静に続けた。「関わった人々の小さな落ち度が重なって、こんな事態になった。もちろん、レオ将軍は然るべき責めを負うべきです。ただ、あなたにまで、それを求めるつもりはありません」

 サイカは目を丸くしてターナを見つめた。ファビオも固唾を呑んで聞き入っている。

「これからギルザの民が立ち直るために、あなたは必要な人材です。どんな形でもいい。そのために全力を尽くしてください。それが最大の贖罪です。そして、東大陸の安定にとっても、一番の近道です」

 ターナのその言葉を待っていたかのように、雲間から陽光が差し込み、室内に薄く広がった。王女のベージュブラウンの髪が美しく輝く。

「サイカさん。もう少し私に付き合ってもらえますか?」とターナは穏やかな口調で続けた。「ガスパル・オルティス博士からどんな指導を受けたのかは知りませんが、あなたはクリアターコイズのことをまだ十分に理解していません。ですので、これから『叡智の海』に連れていってあげます。私の見込みが正しければ、あなたは憎悪の連鎖から抜け出せる。救われるはずです」

 サイカは何かを言いかけたが、紡ぐべき言葉が見つからない。

「あ、あの……」

「今は何も言わないで。私の部屋へ行きましょう」

 ターナはさらに、バイロンに向き直った。

「申し訳ないけれど、自室で待機してもらえる? もし、私たち二人が夜になっても戻ってこなかったら……あ、でも、その場合はどうしたらいいのかしらね?」

「勘弁してくれよ」と察したように苦笑する。「私にできることなんて、目を覚ますためにひっぱたくくらいしかない。何としてでも、自力で戻ってきてくれ」


 話についていけないファビオに、ターナは向き直った。

「それから、あなたに話があるという貿易商が、そこで待っています。この部屋を使って構わないので、会ってもらえますか?」

 ハビエルが扉を開けると、ジョシュアが面倒くさそうな顔で姿を見せた。

「よお、参謀殿。クーデターは成功したそうだな。それにしても、相変わらず目つき悪いな」

「え? お前……」とファビオは唖然とする。「何でこんなところに」

「おいおい。愚鈍な上司の取引記録をお前さんに見せてやるって、約束しただろ? グランブル貿易は、契約を大切にする信用第一の会社だからな。鬱陶しいことこの上ないのが本音だが、あそこで喧嘩を止めた副隊長殿に敬意を表して、こうして参上仕った。文句あるか?」

 ファビオは呆気にとられていたが、ついに声を上げて笑った。

「そうだったな。危うく忘れるところだった」と緊張を解き、反撃に転ずる。「目つきのことは、もう言うな。これでも結構、気にしてるんだ。てめえこそ、その見苦しい無精髭、何とかしろ。ちゃんと剃ったこと、ねえのか?」

「うっせえな。これはダンディズムなんだよ。理解できねえかなあ」

 呆れ返るターナは、笑顔で毒を吐いた。

「もう、好きにして。後は、イケてないおっさん二人で勝手に楽しんだらいいわ!」

 そして、サイカの背中に優しく手を添える。

「さあ、場所を変えましょう。怖がることはないわ」

 そう促された彼女は不安を隠せないまま、それでも素直に立ち上がった。

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