第十章 第五節【励ましと陰】
「みんなとお喋りしてたら、やっと元気が出てきたわ!」
ターナの胸をずっと占めていた重苦しい霧は、すっかり晴れ渡っていた。心がこれほど軽くなるのは、ずいぶん久しぶりのような気がする。
イーストンがバクスターから引導を渡された、その翌日の昼下がり。メスカ王国宮廷本殿の一室では、こじんまりとしたランチ会が開かれていた。
テーブルを囲むのは、ローラ、ミーシャ、ナミ、そしてターナの四人。落ち込むターナを励まそうと、ローラが女子だけの集まりを企画したのだ。ミーシャは夜明け前から仕込んだオードブルを持ち込み、宮廷からはサラダとパンが用意された。華やかに彩られた食卓からはオイルとビネガーの香りが漂い、四人の食欲をそそった。
この日のターナは、パステルピンクのチュールワンピースに身を包んでいた。そのガーリーな装いに合わせたオレンジ系の甘いフレグランスも珍しい。三人の来訪者は「可愛い」を連呼し、ミーシャに至っては、感激と興奮のあまり涙をこぼす始末だった。
ローラの飛行艇で宮廷を訪れた三人は、先にカルザスを見舞った。順調に回復している彼の姿を見て、三人は盛大に茶化した。
「すごいね。冴えない貿易商が、一躍、王国を救ったヒーローだもんね。刺された甲斐もあるってもんだよ」とローラ。ワークウェアの上着を脱いで、インディゴのカットソーが軽快だ。
「やだあ。身を挺して守るなんて、きゅんきゅんするよ! ターナと二人でいたら、部屋中にハートが飛び交ってるんじゃない?」とナミ。言葉でははしゃいでいるが、シルバーグレイのブラウスにノワールのスカンツで端正にまとめている。
「これからランチだけど、あんたはまだ食べちゃだめなんだろ? 残念だねえ。そもそも女子会だしねえ。傷口が開かないよう、大人しくしてるこったね」とミーシャ。エメラルドグリーンのブラウスにベージュのワイドパンツで夏らしさを演出する。
この面子を相手にしたら、カルザスがやり込められるのは火を見るより明らかだった。散々からかわれた彼は、部屋を出ていこうとする三人に向かって、悔し紛れに叫んだ。
「あんたら、雁首揃えて何しに来たんだよ!」
「ターナ様の激励に決まってんだろ」とミーシャ。
「カルザスは『ついで』だよ」とナミ。
「また元気になったら、遊んであげるわ」とローラ。
食事会は大いに盛り上がり、あっという間に二時間が経過した。料理はすっかり平らげられ、四人は満足げな表情だ。
オレンジジュースをぐっと飲み干したナミが、上機嫌に立ち上がる。
「私は、そろそろ行くわね。今日は楽しかったよ」
「あれ? 私の船で送ってあげるのに」とローラが訝しむ。
「ギルが迎えに来てるの。正門の詰所で待ってもらってるんだ。この後、買い物して帰ろうって」
「熱いねえ。デートとは羨ましい限りじゃないか」とミーシャが囃す。
照れるナミは、ぺこりと頭を下げて礼を言う。
「ローラ、行きの船は快適だったよ。ミーシャ、エスカベッシュは最高だったわ」
そして、ターナに向き直ってもう一度励ます。
「カルザスは心配しなくても大丈夫だよ。だから、早く自分の身体を治してね」
「うん。今日はありがとう!」
ターナはナミを見送るため、連れ立って正門へ向かった。
残されたミーシャは、食器を片付け始める。ジュースに口をつけるローラは、その様子をぼんやり眺めていた。
「あんたとバートの大喧嘩の話。懐かしかったねえ」
「カルザスの怪我のいきさつを聞いて、ふっと思い出したのさ」
「キレたミーシャが刃物を振り回して、バートの左腕を傷つけた……と」とローラは低い声で続けた。「でも、白々しい嘘も混じってた。実際は、痴話喧嘩なんて生易しいもんじゃない。私の記憶では、もっとえげつない惨劇だったはずよ」
ミーシャの手が止まる。かすかに、部屋の空気が重くなった。
「嘘なんかじゃないさ。余計な背景を省いただけだよ」
「互いに愛し合っていた男女が、組織の一方的な都合で、正真正銘の殺し合いを強いられた。真相を聞いたら、顔が強張っちゃうものね」
「そんなアタシたちを、あんたは命懸けで逃がしてくれた。バートともども、一生頭が上がらないのさ」
「恩を売ったつもりはないって、昔から言ってるのに」とローラは目を細め、柔らかく微笑んだ。
「今でも、バートの左の握力は右の三分の一以下なんだ。アタシのせいさ。でも、バートは今に至るまで、一度もそれを咎めたことがない」と口角を上げる。「アタシが惚れ込んだのもあるけど、足抜けしたときに、一生添い遂げる覚悟が固まったんだ」
「羨ましいね……」
「あ、ごめん。無神経だったね……」とミーシャは目を逸らした。「あんたはリチャードを亡くしたものね。あんなにお似合いだったのに」
沈黙が二人の間に流れた。ローラは立ち上がり、テーブル沿いをゆっくりと歩く。ミーシャは気まずそうに視線を落とした。
「連中はまだ、あんたたちを追ってるの?」とローラは静かに話題を変えた。
「ネルフィで今の店を開いてからは、すっかり見かけなくなった。五年くらいになるかね。でも、いつまで経っても安心できやしない。今でも悪い夢を見るんだ。これは、死ぬまで続くんだろうね」
「そんなもんだよ。私だって、背後を気にする癖が抜けない」
「ローラを襲う馬鹿はいないだろうよ。返り討ちにされるのが関の山さ。アタシらみたいな下っ端とは訳が違う」
「今はまだ、生き延びる執念が残ってるからね」とローラの眼差しが、ふいに鋭くなる。「でも、そいつに決着がつけば、残りの人生に価値なんかないわ。こんなしょぼい命、欲しけりゃいくらでもくれてやるさ」
そのとき、バタンと扉が開く。ターナが戻ってきた。
「ごめんね。遅くなっちゃった!」
ローラとミーシャは、一瞬でにこやかな顔つきに戻る。
「今日は無理を言って申し訳ありませんでした。でも、ターナ様が元気そうで本当によかった!」とローラが声の調子を明るく上げる。
「みんなが元気をくれたおかげよ」
「女子会はやっぱり楽しいですね。むさ苦しい男ども抜きで喋り尽くすのも、たまにはいいと思いましたよ!」とミーシャも豪快に笑った。
「お料理も美味しかった。また、お店にも行くわね、ミーシャ!」
二人は不穏な話題を胸の奥へしまい込んだ。そして、ターナの屈託のない笑顔が戻ってきたことを、心から喜んだ。




