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王女は、業に抗った  作者: 一石千月
第九章 大義なき戦いの果て
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第九章 第十二節【終わる戦い】

 カルザスに遅れ、プランタで宮廷上空を飛行するジョシュアは、本殿前へと急行した。ターナの悲痛な叫びはローター音に掻き消されることなく、はっきりと耳に届いた。視線を凝らすと、地面に倒れるカルザスと黒装束の女、そして近くにしゃがみ込むターナの姿が見える。ジョシュアは舌打ちし、高度を落として三人の近くにプランタを着地させた。

 三人のもとへ駆け寄る。サイカは覆いかぶさった彼の身体から這い出ようとしている。ターナは放心したまま座り込んでいる。カルザスの背には長い剣が突き刺さっていた。王女の絶叫に、メスカの衛兵も黒十字の隊員も動きを止め、宮廷に静寂が広がる。

 ジョシュアは顔をしかめ、広場に響き渡る声で叫んだ。

「黒十字のファビオ・ガルシアってのはどこにいる? ツラ出しやがれ! てめえら、喧嘩の相手間違えてんだよ、この野郎!」

 本殿側からファビオが姿を現す。

「お前、マイルのときの貿易商か」

「んなことはどうでもいい。一度しか言わねえから、耳の穴かっぽじって聞きやがれ!」と怒りを隠さず、ジョシュアは続ける。「メスカ王国のユージン陛下は、ギルザの民のために、何年もの間、かなりの額の支援をしてきたんだ。だが、お前らの能無し上司は、銃器やら手榴弾やら、高価な玩具ばかり買い漁った。有り金全部つぎ込んでな。目の前の仲間が飢えてるってのによ。しかも市価の何十倍も闇商人に払っている。証拠もある。見たけりゃ、いくらでも見せてやる」

 ファビオの表情は変わらない。ジョシュアの声がなお響く。

「この喧嘩に大義はねえ。てめえらにとって、王室ってのは、感謝こそすれど、刃を向ける相手じゃねえんだよ。戦うなら、本当の敵は誰か、ちゃんと見定めてからにしやがれ、ど畜生が!」

 すると、ファビオの横からレオが割って入る。

「なんだ、船乗り風情が適当なこと抜かすな。部外者が口を挟むんじゃねえ」

「ボンクラは引っ込んでろ。俺はそこの目つきの悪い兄ちゃんと話してんだ」とジョシュアが切り返す。

「誰がボンクラだ! このサヴォイ将軍に対して何たる無礼!」とレオが喚く。「ファビオ、さっさとそいつを捕らえろ。王女にも止めを刺せ!」

「おいファビオ、お前が黒十字の中で一番マトモだって聞いてる。頭の悪い上司の戯れ言に、いつまで付き合うんだ? 戦う相手を間違えて兵を消耗させるなんざ、軍師のやることじゃねえ。愚の骨頂だ」とジョシュアはさらに噛みつく。

「貴様のような貿易商が、なぜそんな話をする? わざわざしゃしゃり出てくる理由はなんだ? お門違いだろう」とファビオが冷たく問う。

「王女を守ると、カルザスが約束した。そのためには、この無駄な殺し合いを止めるしかない。だから、口を挟んだんだ。それのどこが悪い!」とジョシュアは強く反駁する。「命を張ってターナを守ったこいつの覚悟が、お前らにわかるか! 俺は、カルザスが信じたものを信じて守るだけだ!」

 ジョシュアはカルザスの出血の様子を一瞥し、これ以上時間をかけたくないとの思いが頭をよぎる。

「俺を信じろとは言わん。ただ、俺たちが黒十字を謀る理由なんざどこにもねえ。わかるだろ? 俺の首を賭けてもいい。剣を退いてくれ」

「今度は泣き落としか。忙しい奴だな」とレオは目を剥き、ジョシュアを蔑む。「そもそも、あれっぽっちの金でギルザを救った気になってるのが気に入らん。メスカの国王だから何だというのだ。結局は闇商人に金を流した暗君じゃないか」

 そしてファビオに向き直り、もう一度命じる。

「さっさとケリをつけろ。さもなくばお前も——」

 言葉の終わりを待たず、ファビオの右拳がレオの左頬にめり込んだ。鈍い打撃音と「うがっ」という呻き声が周囲に響く。眼鏡が吹き飛び、口から血飛沫が散る。

「てめえ……」とレオは左手で頬を押さえる。ファビオは間髪を入れず、左の拳で鳩尾に二発目を入れた。前屈みに倒れ込む。

 さらに、両腕を大きく振り上げ、冷徹な言葉を浴びせる。

「横槍入れんな。奴と話してんのは俺だ」

 続けて両腕を振り下ろし、首の付け根を後ろから打ち据える。黒十字の将軍は意識を失い、糸が切れたように崩れ落ちた。

 ファビオは手の甲で額の汗を拭い、声を張り上げて指示を出す。

「レスター、ヴィクトル! 将軍と、ついでにラルフとジョアンも縛り上げて、ヴァレリの空調室にでも転がしておけ。帰ってから、俺が責任を持って対処する」

 呼ばれた二人は困惑する。が、命令に従ってレオを引きずっていく。

 ファビオはジョシュアに視線を戻した。

「貴様の言葉を信じたわけじゃない。ただ、俺の知っている事実とも矛盾しない。安っぽい首には興味ねえが、証拠とやらも含めて改めて話を聞こう」

 ジョシュアはほくそ笑んだ。

「上等だ。大サービスしてやるよ」


 ファビオは広場全体に響く声で、黒十字の隊員に向かって指示を出した。

「同胞よ。将軍を代理して、第一隊副隊長より命令を下す。メスカ王国との協議は一旦中断する。我々としては、仕切り直しの上、再度の協議を申し入れる予定だ。直ちに退却の準備を進めよ」

 黒装束の面々が騒めきながら動き始める。

 そこへ白衣姿のバイロンが駆けつける。続いて宮廷勤務の医師二名が担架を運び込む。

「遅いじゃないか、ヤブ医者。カルザスの血が枯れちまう」

 ジョシュアは悪態をつくが、その表情には安堵が滲む。

「うるさい。本殿で輸血の準備をしていたんだ。クレイトン中の外科医にも応援を要請した」とバイロンは応じ、手早くカルザスの状況を確認する。「まだ剣は抜くな。このまま担架に乗せる。本殿に移動したら、止血と輸血を直ちに始める。急ごう」

 そしてファビオに向き直る。

「黒十字の怪我人も診る。本殿に行くよう指示を出してくれ」

 このとき初めて、ファビオの表情が変化した。かすかに緊張が解けた様子だ。

「構わないのか?」

「怪我人に敵も味方もあるか。医者として見捨てるわけにはいかん」とバイロンはサイカのほうを一瞥する。「この女性もすぐに連れて行ってくれ。クリアターコイズの反動で、身体はとっくに限界を超えているはずだ」

 ファビオはきつく拳を握りしめ、小さく頭を下げた。

「よろしく頼む」

 そして、ファビオはサイカに肩を貸した。強い憎悪に突き動かされていた彼女からは、意思も生命力もすっかり消え去っている。指一本動かすこともできず、引きずられるように本殿へ連れて行かれる。眼を覆っていた血の色も、すでに退いていた。

 ジョシュアはバイロンに向き直った。このときばかりは苦悶の色を隠さない。

「バイロン、ターナは俺が連れて行く。とにかく、カルザスを頼む。絶対に死なせないでやってくれ……」

 宮廷医は何も言わずに頷き、本殿のほうへ走り出した。

 その入口では、遅れて到着したギルが、黒十字と衛兵の区別なく交通整理をこなしていた。カルザスが運び込まれると、心配そうに様子を見守る。


 ジョシュアはそれを見届けると、表情を引き締める。

 ターナはまだしゃがみ込んだまま、視線を虚空に漂わせていた。青ざめた表情で、口元がかすかに震えている。

「ターナ」とジョシュアは呼びかける。

 その声に応じるように呟いた。

「私、何てことを……。カルザス……」

「ターナ」と繰り返す。

「ジョシュア、あなたの大事な人を……。私は……」

「ターナ!」

 怒気を込めた一声に、王女は身震いした。目が怯えている。

 ジョシュアは彼女の正面にしゃがみ込み、鋭い視線で見据える。

「おい、心配や後悔の前に、やるべきことがあんだろ。忠実な家臣どもを見てみな。どうしていいかわからねえから、呆けて動けなくなってる」

 ターナはようやく周囲を見渡す。王国の衛兵や家臣が立ち尽くしている。

「奴らに指示が出せるのは、お前だけだ。ちゃんと上司としてケジメをつけろ」

 言葉を返そうとするが、声が出ない。

 ジョシュアはターナの両肩を掴み、激しく揺さぶる。

「覚悟もねえなら、最初から喧嘩なんか買うな!」と怒鳴りつける。「こんだけの人間を巻き込んでおいて、落とし前なしで済むと思うなよ。最後くらい、しっかり締めやがれ! それこそが君主の役割ってもんだろうが!」

 痛烈な一喝が彼女の胸を抉った。泳いでいた視線が焦点を結んだ。ジョシュアが手を離すと、ターナはゆっくりと立ち上がった。肩幅に両脚を開き、背筋を真っ直ぐに伸ばす。

 そして、よく通る声で衛兵や家臣に告げる。

「王国の諸君。これまでの対応、ご苦労であった。黒十字解放戦線は協議の延期を表明している。一旦ここで散会とし、各自持ち場へ戻りなさい。怪我人は本殿で治療を受けるように。その他、当面は上長の指示に従って進めよ。本件に関する今後の方針は、私から追って命じる。以上!」

 堂々と命ずるや否や、膝の力が抜けたようにジョシュアの胸元へ倒れかかる。

「やればできるじゃねえか。さすが国を統べる君主だ」と王女を受け止めたジョシュアは優しく労う。

 ターナは小さな声で「ごめんなさい」と漏らし、涙をこぼす。

「やれやれ。とりあえずバイロンのところに行こう。お前さんもボロボロだろう。まずは治療だ」

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