第九章 第五節【相討ち上等】
「ルキノ! いたずらに衛兵を動かすな。混乱の鎮静化に専念せよ!」
ハビエルは、衛兵長ルキノ・ネルソンに向かって大声で指示を出した。
「執政官は直ちに退避を。これはターナ様の強いご意向だ!」
彼の視界には、ターナとサイカの姿が映っていた。その動きは、もはや人間のそれではない。衛兵の加勢を禁じる理由に、納得せざるを得なかった。
幾度となく、剣と剣が交差する鈍い金属音が響く。火花が散り、鉄の匂いが夏の芝の香りを濁らせる。
目まぐるしく入れ替わる攻撃と防御。それぞれの動きは常軌を逸していた。単に速いだけではない。一太刀ごとの重さも桁外れだ。訓練を受けた宮廷の衛兵や黒十字の隊士でさえ、この二人の足下にも及ばないであろう。仲裁や加勢は自殺行為に等しい。
しかも驚くべきことに、その動きは洗練され、一切の無駄が削がれていた。相手の剣を最小限の動きでかわし、攻撃動作も徹頭徹尾合理的だ。あたかも剣を用いた異国の舞踏のようであり、皮肉なまでに美しくもあった。
瞬きする暇もない中、ターナは自らの思考や感情が、クリアターコイズの向こう側から徐々に侵食されるのを自覚していた。そこには、人としての思いやり、迷い、不安といった要素が欠けている。曖昧さがないことで、個々の判断は異常なまでに迅速かつ明確となる。そしてそれは、動作の一挙手一投足にまで正確に反映される。
その代償として、肉体には莫大な負荷がかかっていた。急激な動作、瞬発的な力の解放。それは、筋肉や腱に限界を強いる行為である。しかしターナは、痛みをあまり感じていない。『発動』とはリミッターを外すことと喝破したセオドアの見解は、まさに的を射ていた。
二人の実力は拮抗していた。双方ともかすり傷は負っているが、致命的なダメージには至っていない。体格差のため体力はターナが上回るものの、サイカのほうが戦い慣れており、緩急をつけた巧者の立ち回りを実践している。どちらかの動きや判断にミスが生じれば、あっという間に均衡が崩れかねないと、ターナは分析していた。
サイカの剣が下からすくい上げられる。ターナは後方へ跳躍してこれを回避し、三歩のステップで体勢を整え、間合いを取った。二人とも、さほど疲労の色をみせていないものの、『発動』していなければとっくに倒れ込んでいてもおかしくない。
ターナの視線の先に、黒十字隊員とメスカ衛兵の小競り合いが目に入る。同じような衝突が、あちこちで起こり始めている。怒号、剣戟、混乱の音が耳を打った。
「想像以上にやるな。籠の中で座っているだけではないということか」とサイカが口を開いた。
「石に振り回されない程度には鍛えている。お前ほどではないかもしれんがな」とターナが応じる。
「ほう。アタシが鍛えているとわかるのか?」
「剣を交えればわかる。それにしても『同化』したのは最近だろう? 短期間でそこまで石に馴染んだとは、見事というべきだ」
「こちらこそ驚きだ。メスカの王女が筋骨隆々なんて噂、聞いたこともない」
「ノースリーブが似合わなくなるほど筋肉をつけるつもりはない」とターナは軽口を叩く。「身体の内側の筋肉を鍛えるんだ。よければ今度、教えてやる」
サイカが歪んだ笑みを浮かべた。
「遠慮する。お前はここで死ぬんだ。『今度』なんて決して来ない」
「確かにそうだ。屍に手解きをする意味などないな」
サイカが剣を構える。ターナも間合いを図る。再び、意識がじわりと変容する。
その瞬間、ターナは背中の石に、声なき言葉を投げかけた。
——クリアターコイズよ。私を守ることで自分を守るのだろう? ならば、お前は何が最善だと思う? 私の身体を使って、実践してみろ。さあ!
サイカが距離を詰め、右手の剣を上段から振り下ろす。ターナは両手で剣を構え、真っ向からそれを受け止めた。その衝撃を吸収しながら右手を放し、サイカの左頬めがけて右拳を振る。サイカは咄嗟に左手でそれを払い、軌道を逸らす。
だが次の瞬間、サイカは相手の右腕の隙を見逃さず、左手で素早く前腕を掴む。肘に近い尺骨めがけて、自身の左膝を強かに叩きつけた。鈍い音が鳴り、ターナがわずかに顔をしかめる。
しかしその瞬間、ターナは剣を手放した左手でサイカの右腕を引き寄せ、捻り上げる。同時に、右膝でサイカの右肘を極め、体重をかける。
サイカは自らの身体の位置を落として衝撃を逃そうとするが、わずかに後手を踏んだ。その右肘が地面に叩きつけられ、ターナの右膝が衝撃を与える。ブツッという嫌な音が鳴る。
間髪を入れず、サイカは空いた左拳で敵の顔面を狙う。だがターナは、すかさず後転気味に身体を引き離し、左手で剣を拾い上げて距離を取る。
サイカは右手をだらりと垂らして立ち上がった。力が入らない。右肘の靱帯が断裂した模様だ。
一方、ターナも右肘の下に左手を触れると、刺すような痛みが走った。少なくとも、尺骨にヒビが入ったと見られる。
ターナのクリアターコイズは、相討ちで構わないから相手にダメージを与えるのが最善と評価したようだ。自分の右腕と引き換えに、相手の右腕を壊す。結果は上々ということだ。
——私の痛みはお構いなしか……。
内心でこぼすターナに、サイカは毒づいた。
「えげつないな。利き腕を一本ずつ潰し合って、泥仕合に持ち込むとはな」
「少なくとも、手詰まりは解消されたな。どちらに傾くかは、わからんが」
二人は、それぞれ左手に剣を持ち直し、ゆっくりと構えを取った。
まだ決着はついていない。再開だ。




