第九章 第三節【血染めの瞳】
「もういい。話し合ってどうなるものでもない。よくわかった」
サイカはターナを凝視する。その目には剥き出しの敵意が宿っていた。
「お前は黙っていろ。余計なことはするな!」
狼狽するレオは、そう叫んだ。会談打ち切りの二の舞は避けたいと焦る。
だが、サイカは怒声を浴びせ返した。
「お前こそ、もう喋るな! この役立たずが! あとはアタシのやり方でやらせてもらう!」
レオは刃向かえない。サイカとの喧嘩は、そもそも成立しないのだ。
メスカの執政官一同は、唖然としてこの様子を受け止めていた。少女の面影を残す小柄な影が、黒十字の首領を一喝する姿は、誰の目にも尋常ではなかった。
しかしターナは、一切動じることなくその様子を見守っていた。
サイカはターナに向き直ると、憎悪を込めた声を発する。
「理屈っぽい能書きばかりだな。どうしたら、そのお喋りな口を閉じてくれる? お前の首を落とせば静かになるか?」
ターナは苦笑する。
「のっけからずいぶんな言い草ですね。あなた方にとって悪い提案ではないんですが。聞く耳も持たずに、私を潰すと」
「承認を渋るのなら、やむを得ん。ギルザでは今も飢えて苦しむ者がいるのに、お前らは晩餐会で腹を満たしている。その責任は万死に値する」
「そう見えるのであれば、不徳の致すところです。ただ、こう見えてもマイヤー家は広い国土を治め、多くの民の暮らしを支えています。その責務に相応な立場と振る舞いを許されていると、私は理解しています」
「その割に、先代はあっさり死んじまったな。その責務とやらは、どこへ行ったんだ?」
「発端を作っておいて、それでは筋が通らないでしょう」とターナは辟易する。「それに、さっきから何度も私に『接触』を試みているようですが……。うねうねと、しつこいですね」
「そうか、やはり気づいていたか。隙間を頑なに塞いでいたようだからな」
宮廷に入ってから、サイカは『叡智の海』を経由して意識の『接触』を試みていた。だが、ターナは丹念に経路を絞り、その侵入を拒んでいた。
「他人の心をこじ開けるなんて、嫌がる女を押し倒す男と同じ——」
ふいに、過去の屈辱の記憶が蘇る。それを振り払うように語気を強めた。
「そんな奴を好き好んで招き入れるわけがないでしょう」
「これだから、純潔ぶった女は嫌いだ。お高く止まりやがって」
「あいにく、あなたの期待するようなアバズレではありません」と見下すような視線を送る。「そんなにヤりたいのなら、ほかを当たってください。青臭いガキの妄想に付き合っている暇はありません」
上流階級らしからぬ汚い言葉に、サイカは一瞬だけ戸惑いを見せたが、すぐに残忍な笑みを浮かべた。
「意外と下品だな。王女といっても、所詮はクソを腹に溜め込んだ獣というわけか」
「これから殺し合おうという相手に、品性もへったくれもないでしょう。それとも『そんなあなたを愛します』とでも慰めて、あなたを抱きしめるとでも思いましたか?」
「要らないな。反吐が出る。その前に、こいつでお前を真っ二つにしてやる」とサイカが右手で剣の柄を握った。
ターナの黒眼から、ふっと光が消えた。覚悟を決めたように口調を低く落とし、王族の品位を捨てる。
「敵意と憎悪しかない者と通じ合うのは、所詮叶わぬ幻想か……。ならば、仕方あるまい」と口元が歪む。「お前と違って、私はメスカ一千万の命を背負っている。腹の括り方が違う」
大広間全体に緊張が飽和する。
「さあ、かかってこいよ。クリアターコイズに手を出したこと、後悔させてやる!」
言い終わるより早く、サイカは巨大なテーブルに飛び乗り、一直線に斬りかかった。
ターナはすぐさまマントを外し、相手の視界を覆うようにかざした。サイカの剣がマントを真っ二つに裂く。その一瞬の隙に、ターナはテーブル沿いに左へ疾走しながら剣を抜いた。追うサイカに向けて薙ぐように剣を振り、さらに加速する。
衛兵が「ターナ様!」と叫び、援護しようとする。
「退け! お前たちでは手に負えん! 私一人でやる!」とターナは大声で彼らを制する。
黒十字側もファビオやレスターが加勢しようとしたが、サイカが鬼の形相で怒鳴った。
「アタシの獲物だ! 手を出すな!」
『発動』のため、既にその両眼は赤く染まっていた。
サイカはテーブルの上を端に向かって駆け、左斜め上からターナに向かって剣を振り下ろす。ターナはその軌道を見切ってしゃがみ込み、斬撃をかわす。サイカの剣は爆音とともにテーブルを叩き割った。
ターナは回転して身を翻し、そのまま立ち上がって再び走る。広間の扉を蹴り開け、廊下を抜けて外へと飛び出した。そこは手入れの行き届いた芝生の広場だった。
サイカもこれに次いで外に出た。
「逃げ足だけは速いな。さっきの威勢はどうした? アタシを殺すんじゃなかったのか?」
ターナはサイカと正対する。
「そんな具合に雑に暴れて、家具を壊されちゃ敵わない。どうせ弁償する気もないんだろう?」と剣を握り直す。「ここで存分に暴れさせてやるよ。お前の墓場だからな」
その眼はサイカと同様、血の色に覆われていた。『発動』したターナは瞳孔を見開き、その口元には不敵な笑みを浮かべる。




