第九章 第一節【因縁の対峙】
メスカ王国宮廷の「星霜の間」の一角で、バイロンは緊張した面持ちで椅子に腰かけていた。
この大広間は、公式の式典や重要な会談に用いられる。磨き上げられた大理石の床は光を反射し、中央には巨大なテーブルが据えられている。天井は高く、等間隔に設けられた壁のステンドグラスが柔らかく陽光を通していた。
既に、黒十字解放戦線の面々は着席していた。レオ将軍を中心に、四隊の正副隊長がその両脇を固め、さらに後方には十数名の隊員が護衛と称して控えている。
向かいには、王国の十四名の執政官が二列に並んで座っている。さらに広間の内外に総勢五十名以上の衛兵が配されていた。黒十字側が武装解除を拒んだため、王国側の防御体制も分厚くせざるを得なかったのだ。
ターナが黒十字解放戦線との公式会談を打診するよう命じたのは、六日前だった。やや唐突ではあったが、執政官はじめ従者は迅速かつ周到に準備を重ね、混乱なくこの日を迎えた。
ただ、この六日間のターナの振る舞いに、バイロンは違和感を覚えていた。特に、外部からの立ち入りを早い段階で禁じた判断は、過度に神経質だと感じた。
無論、一か月前に父親を失っており、安全上の措置を徹底したいという意図は理解できる。国王代理として初の大仕事が、こうした有事対応であることも影響しているのだろう。
そうであっても、彼女の表情のぎこちなさが、バイロンには気になる。臣下との接触を避けているようにも見える。
彼は「少しリラックスしてはどうか」と声をかけたことがある。ターナはすぐさま取り繕ったような笑顔で「心配しないで。そういうところだけオスカーに似てるわよ!」と軽口を叩いた。しかし、その表情は虚勢を張っているようにしか見えなかった。
さらに、クリアターコイズによる『接触』や『発動』に不安があるのなら、セオドアに相談すべきだとバイロンは助言したが、ターナは一貫してそれを拒んだ。彼には研究に専念してほしい、自身の問題に巻き込むべきではない、というのが彼女の主張だった。しかし、そもそもセオドアに研究を依頼したのは、黒十字の問題を打開するためであったはずだ。手段と目的が逆転してしまっている。
そんな中、バイロンは黒十字の列の一番右端に座る小柄な女性を注視していた。深紅のリボンが異彩を放つ。彼女がユージンを狂気の表情で睨んでいたあのときの戦慄を忘れることができない。しかし、今の彼女は、まるで気配を消したかのように沈黙している。
開始予定時刻を三分過ぎたとき、重厚な音とともに奥の大扉が開いた。上級執政官ハビエルに付き添われたターナが立つ。濃いグレイの軍服に深いマルーンのマントをまとい、左腰にはブロードソードを下げている。ベージュブラウンの髪を下ろし、深碧の瞳で広間を一瞥した。場にいるすべての者が、その凛とした佇まいに目を奪われた。
ターナはゆっくりとテーブルに向かって歩みを進める。黒いロングブーツが大理石の床を叩き、コツ、コツと静寂を切り裂く。小柄な体躯でありながら、その姿は広間の空気そのものを支配し、王国側には計り知れない安心感を、黒十字側には思いもよらぬ畏怖を植え付けた。
列の中央にターナは立った。生臭い政治の現場にありがちな古めかしいマッチョイズムを嘲笑うかのように、この二十一歳の女性は性差の枠を超えた強烈な存在感を放っていた。
バイロンですらその姿に圧倒されていたが、同時にその装いに危うさを感じていた。
軍服も正装として認められるものの、それは原則として紛争当事者または仲裁者としての立場に限られる。今回、確かに黒十字は対立当事者だが、紛争中という認識ではない。それでも敢えて身に付けた軍服は、黒十字側に対する覚悟と牽制の意思を明瞭に示しているのだろう。ただ、一歩間違えれば、その態度は挑発と受け取られかねなかった。
ターナは黒十字の面々を左から右へとゆっくり見渡した。その眼差しに射られた隊員は、なぜこの若者にこれほどの威圧感を覚えるのか理解できず、明らかに動揺していた。
視線が右端の女で止まる。他の者とは異なり、国王代理を真正面から睨み返し、うっすらと口角を持ち上げていた。ターナは冷たい笑みを返す。
そして彼女は、ゆっくりと椅子に腰を下ろした。隣のハビエルから書類一式を受け取り、正面に座るレオ将軍に視線を向ける。
ターナは、ここで初めて口を開いた。いつもよりも低く、しかし倍音豊かな声が広間に響き渡る。
「黒十字解放戦線の者たちよ。遠方よりの旅路、さぞや骨が折れたことでしょう。御身らを、まずは労います。では——早速、会談を始めましょう」




