第八章 第九節【決戦を前に】
「まだだ、カルザス! 今じゃない。落ち着け!」
ジョシュアの鋭い一言が、カフェの屋上の空気を揺らす。
カルザスは、逆上しそうになっていたことを自覚し、胸に手を当てて心を落ち着かせた。
「やっとわかってきたな。上出来だ」
沈黙が訪れる。給仕がコーヒーと軽食を静かに卓へ置く。
ジョシュアはカップに口をつけ、ふうっと息を吐いた。
「まあ、予想はしていたが……あっさりしすぎで、逆に毒気を抜かれたな」
「見たまんまじゃねえか」とイーストンは薄笑いを浮かべる。「レオ将軍なんざ、ただの能無しだ。俺たちも散々な目に遭ってる」
「黒十字の頭領は、本当に評判が悪いな。誰からもアホだバカだと貶されて……。そんな人間にだけはなりたくねえよ」
「真面目に何とかしようと思ってる隊員だっているさ。俺の良心など胡麻粒以下だが、それでも、あんなボンクラに振り回されるギルザの連中には同情するぜ」
イーストンは煙草の煙を豪快に吐き出す。
「よく言いますもんね。『敵は身内にあり』ってやつですか?」とギルが評する。
「じゃあ、メスカと黒十字が戦う理由はないと、結論づけていいんですか?」とカルザスの声がわずかに弾む。
「最後のピースが埋まったな」と頷くジョシュアは煙草を取り出した。「ドンパチが始まる前に、黒十字の女が真相に気づけばいいんだが、こればっかりは何とも言えんな」
「それはそうと、宮廷までやって来て、お前ら何かするつもりなんか? いくら何でも中には入れねえぞ。厳戒態勢みたいだからな」とイーストンは訝しむ。「え? まさか、武力衝突が始まったら飛び込んで止めようなんて考えてないだろうな」
カルザスの顔に、揺るぎない決意が浮かぶ。
「いけませんか? イーストンさんから見れば、馬鹿げた行動に見えるかもしれない。でも、俺は一人の商人として、メスカのターナ王女と契約を結んだんです。そのために、あきらめずに争いを止める道を探します」
イーストンは静かに混乱する。目の前の青年が何を言っているのか、理解が追いつかない。
「おい、兄ちゃん。何か勘違いしてないか? 俺たちは、金勘定のことばかり考えている意地汚い貿易商だ。なのに、国と国の喧嘩を止めるだと? 正義感も大概にしたほうがいい」
だが、カルザスは動じない。あとの二人もそれを咎め立てない。イーストンは、露骨に呆れかえった。
「これだから……コールマンの取り巻きは苦手だ」
「バクスター流とは正反対だろうな」とジョシュアが低く応じる。「俺たちは、利益が薄かろうが、一度交わした契約は守る。お前んとこの社長は、旨味がなければ理由をこしらえてバックレることも厭わねえ。それを悪いとは言わんが、グランブル貿易の流儀とは違うんだ」
どういう契約を結ぶかは、商人の個性だ。貿易商同士でそこを非難し合うのは品がない。イーストンは、相手を理解することを諦める。
そのとき、ジョシュアがにやりと呟く。
「そういうお前さんこそ、何しにクレイトンまで来てるんだ? アホ将軍と何か契約したわけでもあるまい」
イーストンは返す言葉に詰まった。
確かにそのとおりだ。ここに来た理由は、黒十字の動向を見物するため。それ以上でも以下でもない。
勝てば、バクスター・レンジ商会が売った武器の寄与を確認することができる。負けてあの癇に障るレオ将軍が恥をかくのであれば、それはそれで痛快だ。
そして、グランブル貿易の「契約」の顛末を見届けるのも悪くないと、無責任に考え始める。
「別に、お前らみたいな崇高な目的があるわけじゃねえよ」とイーストンは紫煙を吐き出す。「いや。一つ目的ができた。情報提供の対価を頂くために、仕事を依頼するぜ」
「は? 何だよ、気味悪いな」とジョシュアの鼻に皺が寄る。
「もし喧嘩を止めることになったら、レオ将軍に一泡吹かせてやってくれ。後ろから一発殴るだけでもいい。再起不能にしてくれたら、なお嬉しい」
「お前、将軍のこと大好きだな」
「そうだよ。俺の視界から消えるまでは、気になってしょうがねえや」
カフェの屋上で、この日初めて、ジョシュアとイーストンが笑い合った。ギルとカルザスも胸を撫で下ろす。
町並みは相変わらず静かで、じりじりと陽射しが強くなっていた。遮るもののないカフェの屋上の気温も、次第に上昇する。
一行は追加のコーヒーを注文して時間を潰した。テーブルのざらりとした感触が印象に残る。
さらに三十分ほど雑談を交わすうちに、イーストンに一つの疑問が浮かぶ。
「お前ら、今朝、俺がここにいるって、どうしてわかった?」
ジョシュアは滑らかになった口調で答える。
「グランブル貿易にはな、暑苦しい正義のヒーロー、メスカ王女の親衛隊長、異国風料理のシェフ、あとは尾行が得意な探偵がいるんだよ。まあ、実際は二人しかいねえけどな。でも、大したもんだろ?」
「まさかラムールから尾けてきたってか? 信じられねえ執念だな」とイーストンは呆れる。「面白えわ。その『グランブル貿易』の流儀とやら、見てみたくなったよ。邪魔はしねえように、この後も付き合ってやるよ」
「何で授業参観? こんなオッサンに見られても張り合いがねえよ」
「まあ、黒い将軍に一泡吹かせるっていう約束も守ってもらわなきゃな。しかと見せてもらうぜ」
イーストンが軽口を叩いたそのとき、南西の空に二機のヴァレリの姿が現れた。黒い二本のラインが船体を取り巻くように描かれている。見慣れないその意匠は、黒十字解放戦線の船と思われる。
プロペラとタービンの響きに、カルザスは強く拳を固めた。
さあ、いよいよ、始まる。




