第八章 第六節【商人の核心】
バンと音を立て、カルザスが立ち上がる。
「それを知らせればいいんですかっ?」
ジョシュアは姿勢を崩すことなく、情が先走る部下に向かって、じとっと視線を上げる。
「誰に、何を、どうやって?」
カルザスは、二の句が継げない。
「座れ」
その一言に怒気が混じる。カルザスは我に返り、再び椅子に腰を下ろした。
「確かに、黒十字の女が暴走していると仮定すれば、現状をすべて説明できる。ただ、証明できていない」とジョシュアは渋い表情で、椅子の背にもたれる。「先代国王が何かやらかして、黒十字を丸ごと怒らせたのかもしれん。あるいは、組織全体がとち狂っている可能性だってありうる」
ジョシュアは懐から、くしゃくしゃになった煙草の箱を取り出す。
「悪いな。食堂で吸ったら匂いがついちまうが、一本だけ。落ち着かせてくれ」
カルザスは黙って頷く。ジョシュアはマッチで火をつけ、煙を深く吸い込む。
「こういうときこそ、研ぎ澄ませ」と噛んで含める。「お前に煙草は不要だが、小さな違和感や感覚に意識を向けろ。そして、何をすべきか熟慮しろ」
カルザスは、ジョシュアの迫力に圧倒された。人生で数々の修羅場や危機を乗り越えた男の言葉には、鉛のような重さが伴っている。
「仮に、黒十字が組織立って支援元の王室を叩こうとしているとしよう。件の女もそれを知って、自ら兵器として暴れるわけだ。かたや、ターナが王国を守りたいのであれば、返り討ちにして黒十字を殲滅するしかない。こんなのは国家間の戦争と同じだ」
ジョシュアは煙をゆっくりと上に吐き出す。
「そうであれば、俺たちの出番はどこにもねえ。もしお前が『それでもターナを助けたい』って暴走するようだったら、俺は首を絞めてでも止めて、空調室に閉じ込めるさ。そんな価値のない戦いに、大事な船員を関わらせるわけにはいかねえ」
カルザスははっとして、上司の顔を見た。
「大義のねえ戦いは、絶対に許さねえ。これは説得じゃない。命令だ」
そう。ジョシュアはいつもそうだ。部下を危険から守る決断に、一切の躊躇を見せない。
「もし、黒十字の女が組織の金回りのことをまったく知らずに、ターナを殺そうとしていたとしよう」とジョシュアはゆっくりと言葉を選ぶ。「そのときは、斬り合う理由がないと伝えることで、大義のない戦いを止めることはできるかもしれん。ギルザの民の本当の敵は、マイヤー家ではないとな」
「それだったら、俺たちが仲裁する意味はあると?」
「これ以上、無駄な犠牲を出さないという一点において、価値はあるだろうな」とそれでも渋面を崩さない。「だが、それを根本から支える大事な理由がある。お前、何だと思う?」
「え?」とカルザスは質問の意図が読み取れない。
「わかんねえかなあ? いいか、俺たちは政治家じゃない。だから、思想や政策で動く必要はない」とジョシュアは声をわずかに和らげる。「じゃあ、俺たちは何に基づいて動く?」
「俺たちは貿易商。だから……契約だ!」
「気づくのが遅えよ、青二才が!」
目線を外して苦笑する。
「お前はターナと約束したんだろ。姫君の石の問題を解決する力になるってな。残念ながら俺とギルも巻き込まれた。その約束を守るために、グランブル貿易は動くんだ」
これほどジョシュアを頼もしく思えた瞬間はなかった。単なる思い込みや激情ではない。筋の通った動機付けが、カルザスの背を強く押す。
「つまり、黒十字とメスカが敵対する理由がないことを証明すればいいんですね」とカルザスは腰を浮かせるが、同時に疑念を抱く。「でも、どうやって?」
ジョシュアは短くなった煙草を灰皿に押し付けて火を消す。滲み出す疲労を払い落とすかのように立ち上がった。
「船長?」
「今日はここまでだ。捗ったじゃねえか。その件、少し俺に預けてくれ。気は進まんが、できることはある」
そう呟いて、ジョシュアは食堂の扉に向かった。振り返ると、カルザスが煮え切らない表情で一点を見つめている。
船長は、にやりと笑って下品におちゃらけた。
「そのサンドイッチ、さっさと食わねえと腹壊すぞ。もう夏だからな。首尾よく姫君を助けたとしても、下痢気味じゃあさすがに締まらねえぜ」




