第八章 第五節【震える焦燥】
普段なら賑やかなアライアル号の食堂。しかしこの夕刻、ジョシュアとカルザスは無言のまま椅子に腰を沈めていた。ウェインとセオドアから相次いで語られた情報に戸惑うものの、何とか整理しようと苦慮している。
重苦しい空気を破るように、ジョシュアが呟く。
「古本屋の仮説が正しければ、危険を察知したターナは、件の女と対峙することを承知で黒十字との会談をセットした」
「やっぱり、決着をつけるつもりで……」
カルザスの声は震えていた。
「そう考えるのが素直だな。残念だが」
ジョシュアはテーブルの端を見つめていた。
「でも、ターナだって、意識の上で戦うことはできないのかな?」
「そのへんの話は、さっぱりわからん。本人に聞いてみるしかないわ」
「それができないから、困ってるんじゃないですか!」
ジョシュアは食べかけのサンドイッチを口にする。だが、すぐに何かに気づいたようにその目を鋭く見開いた。
「カルザス、一つ大事なことを忘れてないか? 石を埋めた連中は、一個小隊を狩り尽くすだけの実力を備えてるんだろ? 黒十字の女の強さを、俺たちも見たじゃないか」
行政局襲撃の際、深紅のリボンの女が血の色の眼をして、二十名近くの相手を苦もなく倒した戦慄の光景が、カルザスの脳裏に蘇った。
「じゃあ、ターナは……」
「まあ、姫君も『同化』してるんだから、同じように戦えるのかもしれん。でも、物理的な喧嘩にせよ、周りの者は実力差がありすぎて、誰も助太刀できない。結局、二人だけの正真正銘の殴り合いだ」
そこまで言うと、口元を覆って考えをさらに巡らせる。
「そうか。すべて覚悟の上で、ターナは黒十字を呼びつけたってことか。相手を翻意できなければ、殺すか死ぬかの二択だ」
カルザスもようやく、そのギリギリの決断を理解する。約一週間前に「会えて嬉しい」とはにかんだターナを思い出し、胸が痛んだ。
「ちっ。独りで突っ走るなとあれほど言ったのに。バカ王女が……」とジョシュアはストレートな本音を吐いた。十日前、セオドアの店でターナと盛大に口喧嘩したことを思い出し、苛立ちが湧き上がった。
次の瞬間、船の食堂を飛び出そうとするカルザスを、ジョシュアは一喝する。
「待て! 行ってどうするつもりだ?」
カルザスは反射的に立ち止まり、泣きそうな顔で振り返る。
「どうしたらいいか、わからないけど……居ても立ってもいられないよ」
「アホか、落ち着け!」とジョシュアは大声で制止する。「お前はいっつもそうだ。少しは学習しろや。バカ王女も言ってただろ。その頭は何のためについてるんだ? 知恵を絞り尽くすためだろうがよ!」
その剣幕に驚き、カルザスの足が止まる。ただ、狼狽えた表情は変わらない。
「そこに座れ。とにかく、俺の話を聞け」とジョシュアは声の調子を少しだけ落として諭す。「宮廷に行くと決めたにしても、俺も一緒に行ってやる。だから、慌てるな!」
促されてカルザスは椅子に戻り、腰を下ろす。
「これ以上吸えないくらい息を吸って、肺の中身を全部吐き出せ」
三回ほど深呼吸をする。最後に喉がむず痒くなり、何度か咳き込んだ。
ジョシュアはレモン水をコップに注ぐ。カルザスは一口飲み、やっと平静を取り戻した。
「ターナが黒十字の女から逃げられないと腹を括ったのは、百歩譲って理解できる。ただ、黒十字が王族を殺そうとするのはなぜだ? そこが腑に落ちねえ」
カルザスはジョシュアの言葉を汲み切れない。
「君主を抹殺したところで、国が消えるわけじゃない。跡取りがいなくなっても、別の諸侯が代わりに立つだけだ。下手すりゃ、そいつが黒十字を敵視して本気で叩き潰すかもしれん」
思索を巡らせるジョシュアは、努めて冷静さを保つ。
「ギルザは貧困に喘いでいるんだ。叩けば金を吐き出す限り、ユージン様が国王を続けるほうがよかったはずだ。なのに、なぜ殺した?」
その思考に追いつき、カルザスがようやく問いを挟む。
「黒十字の女が、独断でユージン様に手をかけた?」
「もしかしたら、何らかの私怨があるのかもしれん。しかし、それだけの理由でパトロンを失うのは、やっぱり割に合わん。金を渡されて救われてるギルザの民もいるはずだ」
「おかしいですよね」とカルザスはふと気づいた。「資金援助があっても、結局ギルザは飢えたまま。町の襲撃も繰り返されていた。やっぱり納得できない」
二人は、目を合わせる。一つの結論に辿り着こうとしている。
「だとすれば、もっともらしい答えは限られている……」とカルザスは呻いた。
「ああ。黒十字の女は——」とジョシュアは躊躇いながらも明瞭に語った。「解放戦線が王室から金を受け取っていることを知らなかった……」




