第七章 第十二節【詩人と皇帝】
その者は、薄いベージュ色の擦り切れたマントに全身を包み、つばの広いモスグリーンの帽子を目深に被っていた。消炭色の布で鼻から下を覆い、傍目からもその表情を窺うことはできない。エアリーショートのマロンベージュヘアが帽子から覗く。焦茶のロングブーツはそこかしこが擦り切れていた。向かい合う大柄なモーリスと変わらない背格好だ。
テーブルには、フロック加工された掌大のアクセサリーケースが開けられていた。その中央には、透明な青色の石が鮮やかな光を放つ。対称性の高いティアドロップは、小指の先ほどの大きさだ。
「人を惑わせる美しさだな。よく見つけてくれた」
「礼を言われる筋合いはありませんな」とマント姿は低音を響かせる。「お互いの利害が一致しただけのこと。モーリス・カイト皇帝であれば、かの聖なる石を効果的に使い、世界に変化をもたらすと見込んでのことです」
ターナが憎悪からの襲撃を受けた同じ日の夕刻。ジブ帝国エルジオの宮殿の一室では、二人の密やかな声が地を這うように響いていた。
「欲を言えば、もう少し早く見つけなくてはなりませんでしたな。ご期待を裏切ったのであれば、陳謝申し上げる」
「困難な仕事だということは理解している。結果オーライということでよかろう」
モーリスの表情は淡々としていた。興奮も敬意も垣間見えない。
そして、マント姿もまた、皇帝の反応にはまったく興味を示さない。
マント姿は立ち上がると、挨拶一つなく部屋を出ようとする。モーリスがその背中に問いかけた。
「……また前回とは違う者を寄越してきたのか」
その者は足を止め、振り返った。
「些末なことを。ずっと申し上げているとおり、吟遊詩人エスは世界を変えるという『概念』ですぞ。誰が行動しているかを問うことには、何の意味もありませぬ」
「同じ身なりで、同じ名を名乗る者が、汎大陸中に何十人もいるのだろう。組織的に動けば、そなたらの理念も実現しやすくなるのではないか」
「吟遊詩人エスの理念とは、世界を変える引き金を引き続けることのみ」とマント姿の答えはすれ違う。「揺さぶる対象は常に変わる。協力する者も、敵対する者も」
「つまり、明日には俺を後ろから刺すかもしれんということか」とモーリスは侮蔑を込めて応ずる。「それは、別のエスかもしれんし、そなた自身かもしれん。歴史の隙間を蠢く吟遊詩人とは、よく言ったものだな」
「エスが何人いるかなど、本質ではありません」
その言葉を残し、マント姿は音もなく部屋を後にした。
モーリスはケースの蓋を静かに閉じ、それを左の上着ポケットへと捻じ込んだ。
天井を仰ぐようにして呟く。
「何にせよ、手札を一枚入手できた。これで、いつでも『同化』が可能となった。あとは、黒十字の小娘の動き次第だな」




