第七章 第三節【銃声と札束】
同じ日の夜、ジブ帝国エルジオ南端の町モルカの酒場で、レオは人を待っていた。待ち合わせ時刻から三十分が過ぎ、右足の貧乏揺すりが止まらない。ジンの注がれていたコップは、とっくに空になっていた。
給仕の男が酒の追加を勧めたが、不機嫌そうな顔で手を振って断る。その男は、レオの独特の黒装束を眺めると、露骨に顔をしかめた。舌打ちとともに毒づく。
「呑まねえなら帰れ、蛮族が」
その言葉が耳に入り、レオの顔が一気に赤く染まった。拳を握って立ち上がろうとしたそのとき、目の前に色黒の口髭男が立ち塞がる。皮肉を込めた笑みを浮かべている。
「怖い顔をして、どうした? 将軍殿」
口を挟んだのがイーストンであることに気づくと、うんざりした様子で腰を下ろした。
「貴様が遅いからだろう。俺は短気なんだ」
「こうしてわざわざ、会談の場所をお膳立てしてやったんだ。礼の一つでも口にしたらどうだ?」
「冗談はよせ。だいたい、何でこんな場末の酒場なんだ。俺は国家元首だぞ。もう少し、わきまえてもらいたいものだな」
「それはそれは。しばらく会わないうちに、ずいぶんと偉くなったもんだな」
「おい、調子に乗るなよ」
レオが再び立ち上がろうとしたその瞬間、背後から肩を押さえつけられる。苛立ちが頂点に達した彼は、その肩の手を振り払った。
すると、目許だけを穿った黒頭巾に、濃いベージュのストローハットを被った男が視界に入った。異様な出で立ちに驚き、のけ反りそうになった。
「レオ・サヴォイ殿。初めてお目にかかる。バクスター・レンジだ。取引では世話になっている」
覆面でくぐもっているにもかかわらず、その大柄な男の声はよく響いた。表情はまったく窺うことができない。
「お、驚かすな! 心臓が止まる」とレオは左胸を押さえて抗議する。
「悪い悪い。こんな格好だからな。俺は子どもの頃からシャイでね。人に顔を見せられないんだ」
その言葉とは裏腹に、バクスターは派手に笑い、レオの向かいにどかりと腰を下ろす。濃いグレイのワークウェアに黒の長いブーツ姿。足下にアタッシュケースと長い筒状の袋が置かれている。
その隣に、サイズの合っていないスーツ姿のイーストンが着席し、給仕を呼んで三人分の酒を注文した。
「社長は多忙でな。普段はなかなか取引先と話す機会を作れない。お前さんは大口だから、俺から頼み込んだってわけだ」
恩着せがましく語るイーストンに、バクスターが豪快に被せる。
「はっはっは。レオ殿に失礼だよ。そもそも、副社長に会うのも久しぶりだからな。それにしても太ったな。クッキーはもうちっと控えたほうがいいぞ」
歓談を始める二人に対して、レオは不愉快そうに口を挟む。
「それはそうと、最近、取引が滞ってるじゃないか。そこの副社長ははぐらかしてばかりで、発注した品も全然用意しない。俺は国家元首だぞ。最優先で調達してもらわないと筋が通らない。社長なら、そこに座ってるボンクラをちゃんと教育してくれ」
バクスターは身じろぎもせず、覆面の奥からレオを見据える。
「それは済まんな。不便をかけている。ただな、非合法なブツの取引ってのは、そう計画どおりにはいかんもんだ。そこんとこは察してくれ」
「大声で余計なことを言うな!」
「大丈夫さ。何でこんな柄の悪い店を選んだか、わかるだろう? そういう商談の常識だ」
「とにかく」とレオは話を戻す。「例のやつを二十挺って頼んだはずだ。入手が難しかろうが、這ってでも掻き集めるのがそっちの仕事だろう。言い訳するな」
バクスターは身動き一つしない。イーストンは、小さく首を横に振る。
店内は、安酒の匂いと騒めきが充満していた。どこにでもある場末の酒場だ。給仕が蒸留酒のグラスを三つ、テーブルに置いた。
唐突にバクスターが大笑いする。
「こいつは聞きしに勝るバカさ加減だな! イーストンの言うとおりだ。気に入ったよ」
嘲笑されていることにレオが気づくまで、少し時間がかかった。そして、その意味を理解した頃に、バクスターは足元の筒を掴んでいた。
「二十挺まとめては無理だが、努力はしよう」とその声は店に響く。「お前さんらと仲良くやって、俺たちも稼ぎたいからな。そこで、挨拶代わりのプレゼントを用意してきた。受け取ってくれ」
そして、大柄な肩幅ほどの長さの小銃を、筒から引き抜いた。レオだけではなく、イーストンも目を剥く。
「き、貴様……。衆人の前で、何をしている!」
「なかなかの品だぞ。よければ、試し射ちしてやろうか」
青ざめるレオの額に、バクスターは銃口を向ける。
「やめろ! 国家元首に向かってこんな真似して、ただで済むと……」
「じっとしてろ。喋るな。動いたら、脳味噌が爆ぜるぜ!」
その声は低く、乾いていた。そして、躊躇いなく引き金を絞る。
銃声が店内に響き渡った。
レオの後方に横たわるカウンター奥のキャビネットが破壊され、並んでいた酒類やグラスが粉々に砕け散った。爆音に客の喧騒は止み、たちまち悲鳴が轟いた。
バクスターは立ち上がり、銃を右肩に担いで場を見渡す。
「善良な客人よ、騒がしてすまねえな! 今、話つけるから、ちょいと静かにしてくれ!」
大きな張りのある声で客を鎮める。カウンターの内側で茫然と立ち尽くす店主に向かって、アタッシュケースを手にゆっくり歩く。
「ああ! 何てことだ! 店がめちゃくちゃだ!」と、店主は頭を抱えて喚く。
バクスターはアタッシュケースをカウンターにどんと置くと、中身を店主に見せる。文字どおり、溢れんばかりの札束が詰められていた。
「旦那、騒がせて悪かったな。これはほんの気持ちだ。店を直すなり、世界一周旅行するなり、好きに使ってくれ」
店主は絶句した。
「こ、こんなにたくさん! これだけありゃ、もう一件、店が建つ」
「いいねえ、旦那。あんたは、乱暴者が銃をぶっ放して運が悪いと思っていただろう。でも真実は違う。運がいいんだよ。せいぜい事業を拡大して、ボロ儲けするんだな」
「あ、ありがとうございます。こいつは、俺にもまだツキがある」
「はっはっは。わかりゃいいんだよ。世の中ってのは、そういうもんだ」
バクスターは振り返り、青ざめた客を見渡す。
「客人よ、今宵は全部俺の奢りだ。吃驚させて悪かったが、このあとはタダ酒で朝まで盛り上がってくれ。お前さんらも、なかなか運がいいと思うぜ!」
そう言うと、懐からさらに二つの札束を取り出し、店主に投げ渡す。
「今晩の客、全員分の飲み代だ」
わずかな沈黙の後、カウンターの端から歓声が上がった。客は騒めきを取り戻し、酒宴が再開される。
バクスターは、その様子を確認すると、ゆっくりと踵を返した。そして、恐怖のあまり失禁したレオに顔を近づける。その頭頂部を弾丸がかすめ、軌道に沿って髪の毛が焦げていた。硫黄独特の匂いとアンモニア臭が入り混じる。
「お前さんは、運が悪いと思ってるだろう。だがな、今からそうではないということを教えてやるよ」とバクスターは穏やかな口調で語りかける。「いいか、見方ひとつで世界は変わる。お前は幸運だ。なぜなら、頭が焦げただけで、バクスター・レンジ商会と今後も取引できるんだ。こんなに運のいい話はないぞ」
「そんな……馬鹿な!」
レオは喚いたが、視線は泳いでいた。
「わからん奴だな」とその声に溜め息が交じる。「こいつをもう一発ぶっ放して、お前の目と目の間に、もう一個穴を開けるのは簡単だ。だがな、お前のその情けない顔を見てたら、これ以上いたぶるのも馬鹿馬鹿しくなった。太客を潰すのは、正しい商いじゃねえしな」
バクスターは小銃をテーブルに投げるように置く。
「これが、例の二十挺のうちの一挺だ。代金は要らねえ。残りは調達でき次第、連絡する。それまでは、余計なことするな」
そう言うと、店の出口に向かった。イーストンは慌ててその後を追う。
レオは涙目で二人の後ろ姿を睨みつける。そして、おもむろに小銃を掴み、去ろうとする男に向けて構える。すぐに引き金を引くが、カチリと音がするだけで、銃からは何も発射されなかった。
気配を察したバクスターは、振り返って大股で引き返した。レオの顔から血の気が引く。
「ほんっとに救いようがねえな」とレオの襟首を掴む。「弾丸を残した銃を置いて、丸腰で背中向けるバカがどこにいる?」
レオの眼鏡がずり落ちる。観念した表情で視線を落とす。
「国家元首と認めさせたいなら、もう少し賢く立ち回れ。俺はお前たちと実りある取引をしたいんだ。大事なことだから忘れんな」
諭すように念押ししたバクスターは、今度こそ店を後にした。覆面の下で鼻歌を口ずさんでいる様子からは、必ずしも機嫌を損ねたわけではなさそうだ。
モルカの目抜き通りに出ると、南へと歩みを進める。ざわざわとした空気の中、バクスターはイーストンに声をかけた。
「ちと、やり過ぎたかな? まあこれで、しばらくは静かになるだろう」
「いやあ、社長のやり方は、俺には真似できませんよ。鮮やかだけど、ちょっと怖いな」
「お前はお前のやり方で構わんよ。普段はきめの細かい仕事してるからな。問題ない」とバクスターの目が少しだけ笑ったようだ。「前にも言ったが、嫌になったら、いつ独立してもいいんだぜ。俺は去る者は追わねえし、お前さんの仕事を邪魔するつもりもないよ」
「今のところは満足してますよ。俺は参謀タイプですからね」とイーストンは肩をすくめる。
「そう決めつける必要はないさ。お前みたいな社長の下で働きたいと思う奴も、多いと思うぜ」
「まあ、考えておきますよ、独立」
「それじゃ、再会を祝して呑み直すか。たまにはそんな夜も悪くねえ」
夜風の中、バクスターの豪快な高笑いが通りに響いた。




