第七章 第二節【参謀の本音】
サイカは、ガスパルによる検査を受けるため、武道場に隣接する建物へと消えた。
エスも、用件を終えたとばかりに、挨拶もなく立ち去ろうとする。ヴィクトルが見送りのため、慌ててその後を追った。
「ファビオ兄、サイカは本当に大丈夫なのか?」とレスターは真剣な面持ちで問うた。「サイカは確かに、自分から希望して石を取り込んだ。だから、あいつのやりたいようにすればいいと思う。でも、あの石はどこまでも得体が知れない。やっぱり、俺は不安なんだ」
『同化』して以来、サイカは一層寡黙になった。追い詰められたように塞ぎ込むこともしばしばだ。レスターは、そんな彼女の変化をずっと気にかけていた。
「お前の言うとおりだ。これはサイカが選んだ道だ。だからこそ、俺たちの役目はサイカを守ることであって、止めることじゃない。そこをよく見極めろ」
ファビオは噛んで含めるように諭す。だが、レスターは苦々しげに呟く。
「どいつもこいつも、サイカを利用してるんだ。吟遊詩人も、石の学者も、レオだってそうだ。ギルザのみんなが困らずに暮らしてほしいって、あいつは願ってるだけなのに」
まだ若いことを差し引いても、愚直に過ぎる——ファビオはレスターをそう評価する。ただ、それが羨ましくもあり、汚れた自分を見つめ直すきっかけになることもある。
そして、レスターがサイカに寄せる想いも痛いほど理解している。しかし、その気持ちに彼女が気づいているかどうかは、ファビオにもよくわからなかった。
ヴィクトルが疲れた表情で戻って来た。エスの不作法に徒労を滲ませている。ファビオはそんな弟を労った。
懐から煙草を取り出して火をつけ、煙を燻らせる。
「ファビオ兄、メスカとの交渉はどうなったんだ? キーダイの件から十日も経つけど、奴ら、何か言ってきたのか?」
そう尋ねるレスターは、再び苛立ちを露わにする。
「喪中だからな。焦っても仕方がないだろう。レオの貧乏揺すりは止まらんようだがな」
「連中、このまま有耶無耶にするんじゃないだろうな」
「それはないさ。ああいう古い国は、格式だの伝統だの、ややこしいのが多いんだよ。それに、俺たちを敵だと見なしている以上、いずれ沈黙は終わる」
レスターは納得できない表情だ。
「こっちから揺さぶる手はないのか?」
「焦るな。急いては事を仕損じる。俺たちはじっくりとタンデスに根を張ればいい。長引いて損はないんだ」
黒十字解放戦線は、着々とコロキスの実効支配を進めていた。製造業の拠点が多く集まるこの町は、経済的な合理性を重んじる空気が色濃い。ファビオは、そうした商人の日常を乱さぬよう気を配っていた。
税額を上げたくてレオはうずうずしている様子だが、ファビオは粘り強くそれを抑え、市民の不満を最小限に留めている。それでも、黒十字解放戦線はそれなりに資金を集め始めており、その一部はギルザの貧しい人々へと送られている。
空に放たれた煙草の甘酸っぱい香りは、すぐに希釈される。
レスター以上に難しい顔をするヴィクトルが、ファビオに声をかける。
「……兄貴は、レオが今のままでいいと思ってるのか? あんな無能が、何で黒十字のリーダーなんだ? 俺の知る限り、第一隊のほとんどが奴に愛想を尽かしている。さっさと兄貴が大将になればいいのに」
「レオは解放戦線の創設に尽力した」とファビオはたしなめる。「ギルザの民を救うために、真っ先に立ち上がったのは奴だ。その功績は否定できない」
「周りに担ぎ上げられて、勘違いしただけだろ! 最近だって、ラルフやジョアンが金魚の糞みたいにくっついて胡麻をするから、ますます増長してるじゃないか」
レスターは、第二隊隊長ラルフ・リンクと第三隊隊長ジョアン・スタイナーの名前を忌々しげに挙げる。
「そのくせ、自分の地位を脅かす奴を嗅ぎつけては、あの手この手で排除しちまう。だから、俺もヴィクトルも、ファビオ兄のことが心配なんだ……」
「今ここで声を荒げても意味はない」とファビオは、静かだが強い口調で続ける。「しばらく待て。まだ、機が熟していない。いずれレオが『未来の障害』になると確信すれば、そのときは容赦しない」
慎重な兄貴分が、踏み込んだ発言をするのは珍しい。レスターとヴィクトルは、やや意外そうな表情を浮かべた。
ファビオは、短くなった煙草の火を消し、しばらく考えるような素振りを見せる。
「気づいてるか? この一年、妙に将軍の羽振りがいい」
「……え?」
「襲撃でそれほど稼げるわけでもないのに、高価な銃器を手に入れては、まるで玩具のように振り回してるようだ」
「それって……」
「目立たんように調べてはいるが、なかなか尻尾を掴ませてくれない。そういうつまらんところに限って、長けている」とファビオは呟く。「時間はかかるかもしれんが、必ず奴の化けの皮を剥ぐ。相変わらず、ギルザで俺たちの仲間は飢えてるんだ。放っておくわけにはいかん」
レスターとヴィクトルは目を合わせ、表情を緩める。レオの問題に対して、ファビオが思慮を重ねていることに安堵する。
「それに、レオの不細工な衣装のことも気になる。あの軍服紛いの黒装束、何着も新調してる。差し当たって、そのあたりから崩し始めるとするか?」
珍しくそう戯けるファビオに、若い二人の隊員は不覚にも吹き出してしまった。
ファビオは眩しそうに空を見上げる。目を細めて呟く。
「長生きしたけりゃ、あまり調子に乗るなよ、将軍殿」




