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王女は、業に抗った  作者: 一石千月
第一章 無鉄砲な正義感
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第一章 第五節【無謀な横槍】

 夕陽は西の山に沈み、マイルの市場は薄暮から宵闇へと少しずつ染め替えられていく。事務所や店舗は次々と営業を終え、代わりに酒場や食堂が灯りを点し始めた。

 アライアル号への荷入れを終えたグランブル貿易の三人——ジョシュア、ギル、カルザスは、夕食を市場で軽めに済ませることにした。ただ、町を離れる前夜は、酒を飲まないことに決めている。翌日の船の操縦には、緊張感を持って臨むべし——という船長の方針があるからだ。

 三人は、馴染みの大衆食堂の前に立った。ソースと油の混ざった匂いが、薄く染み込んでいる。

「昼に結構食べたから、あんまり腹減ってないですね」とギルが呟く。

「うちのシェフの料理は美味いからな。食いすぎた上に、カルザスの話で胃もたれしちまった」

「だったら、しつこく聞かないでくださいよ!」

 うんざり顔のカルザスが食堂の扉に手をかけたそのとき、人の悲鳴が西の方角から響き渡った。三人は驚き、そちらを振り向く。さらに、蹄の音や怒声が重なる。やがて、馬に乗った黒ずくめの人影が六つ、夕闇を突き破るように現れた。砂塵で視界が悪くなる。

 そのうちの一人が、大声で叫んだ。

「さあ、マイルの者ども。少しばかり儲けを分けてもらいに来た! 大人しく金目の物を渡せば危害は加えねえ。だが、逆らえば痛い目に遭うぜ!」

 市場の商人らは店を放り出し、蜘蛛の子を散らすように逃げ始めた。

 グランブル貿易の三人は、呆然としてその光景を見つめた。生で略奪の現場に遭遇するのは、ジョシュアですら初めてのことだった。

「船長、どうします……? これ、洒落になってないですよ!」とギルが怯える。

「どうもこうも、逃げるしかねえだろ。巻き添え食ったら面倒なことになる」

 ジョシュアはきっぱりと言い放った。

 カルザスも青ざめたが、逃げるべきか迷っていた。

「でも、このままじゃ、店の人たちが……」

「じゃあ、どうしようってんだ?」とジョシュアは吐き捨てた。「商売人ってのはな、こういう最悪の事態も織り込んだ上で、利益を取ってんだよ。見ろ、抵抗してる奴なんて一人もいねえ」

「行こうぜ、カルザス。あれ、黒十字だろ。触らぬ神に祟りなしだぜ」

 ギルが焦る。一刻も早くこの場から立ち去りたい様子だ。

 カルザスも逃げようと腹を括ったその瞬間、子どもの甲高い悲鳴が三人の耳を襲った。五歳くらいの女の子と男の子が、二頭の馬に取り囲まれていた。恐怖に震えて泣き叫ぶ。

 黒ずくめの二人は、子どもが逃げられないよう馬を操り、槍の柄で肩口を小突いては嘲笑した。略奪目的ではない。泣き声が大きくなるたびに、二人の男は愉快そうに笑った。

 ジョシュアは顔をしかめたが、構わずその場を立ち去ろうとした。

 すると、間髪を入れず、一人の人影が音もなく横切った。その影は一直線に駆け、馬の腹に渾身の体当たりを喰らわせた。

 驚いた馬が跳ね上がり、乗っていた男は地面に叩きつけられる。

 その人影はカルザスだった。彼は右肩を押さえて立ち上がると、子どもらを背にかばい、黒十字の隊員に怒鳴った。

「何やってんだ、てめえら! 盗るもん盗ったら、とっとと帰れ! 子どもを泣かすな!」

 一瞬、場の空気が凍りついた。

 ギルは及び腰だったが、この隙に子どもらを手招きする。これに気づいた女の子が、男の子の手を取って、走り去った。

 馬上の隊員は呆気にとられていたが、我に返り、右手の槍をカルザスに向けた。

「何だ、小僧? 俺たちに喧嘩売ろうってのか? ちゃんと相手見てからもの言いな!」

 落馬した男が立ち上がり、カルザスの胸ぐらを乱暴に掴んだ。

「お前、殺してやろうか! 俺たちが黒十字だとわかってんのか?」

 言い終わらぬうちに、拳を振り上げる。

 カルザスは、左頬を殴りつけられた。勢いで吹き飛ばされるが、辛うじて踏みとどまる。口の中に血の味が広がった。

 騒ぎに気づいた黒十字の二名が馬を寄せる。そのうちの一人は、第一隊副隊長のファビオだ。冷たい目でカルザスを見下ろすと、低く言葉を放った。

「ずいぶんと威勢のいいガキだな。あまり怒らせるなよ。こっちも忙しいんだ」

 その横に従うレスターは馬を下り、怒気を露わに剣を抜き放つ。

「おい、仕事の邪魔だ。望みどおり、死なせてやる!」

「盗みが仕事? 笑わせるな!」とカルザスは叫んだ。「だから、蛮族って呼ばれるんだ!」

 その言葉が引き金だった。ギルザの民が忌み嫌う「蛮族」という言葉に、レスターは一瞬で理性を失い、怒号とともに剣を打ち下ろした。

 だが、それを受け止める者が現れた。鋭い衝撃音が轟き、鉄の匂いが周囲に広がる。落馬した男の剣を奪い、間一髪でカルザスを救ったのは、ジョシュアだった。

「おいおい、丸腰の相手を斬るのは、さすがに筋が通らないんでないの?」

 レスターは、青筋を立てて力を込めるが、剣は動かない。その隙を見逃すことなく、ジョシュアは彼の剣を叩き落とした。さらにレスターの左腕を取って肘の関節を極める。黒十字の隊員は、その素早い身のこなしに慄然とする。

 その体勢のまま、呆気にとられているカルザスの横に移動した。

「お前さ、明日から一か月、トイレ掃除。追加な」

「へ……?」

 言葉を失ったカルザスを横目に、ジョシュアは黒十字の隊員を冷静に見回した。そして、ファビオに視線を止める。

「お前さんが大将か」と左の瞼を大きく開けて睨みつける。「あんたの手下が、馬の上から市場の子どもをいたぶってたんだけどな。黒十字ってのは、そういう悪趣味な教育をしてんのか?」

 ファビオの目が一瞬光る。ジョシュアは、なおも言葉を重ねた。

「うちのこのバカがよほど頭に来たみたいでね」とカルザスを顎で指す。「仕事の邪魔なのか知らんが、先に種蒔いたのは、あんたのアホな手下だ。そこらへんに目配りできてないようじゃ、上司失格だぜ」

 ファビオは、表情を変えることなく応じた。

「そういうお前も、隣の小僧を好きに暴れさせているじゃないか。人のこと言えんな」

「なるほど。確かに俺の監督責任だ。お互い様ってとこか」とジョシュアはあっさり認めた。

「船長!」

 カルザスは愕然としたが、ジョシュアは気にも留めない。

「ならば、ここが落としどころだ。これ以上ぎゃあぎゃあ言うなら、こいつの腕、折っちゃうよ」

 そう力を込めると、レスターは苦悶の表情を浮かべる。

 と同時に、西の方角から、さらに大きな喧騒と剣戟が轟いた。

 ジョシュアは薄く笑みを浮かべる。

「よう、大将。もうすぐ帝国の忠実な犬どもが来るぜ。そろそろ、お開きにしたほうがいいんじゃねえか?」

 ファビオは口元をわずかに歪めた。国境警備隊が向かっていることを察する。

「面白い奴だな。何者だ、お前」

「メスカのグランブル貿易さ。取引したきゃ、いつでも声をかけてくれよ」

「ふん。お前にだけは頼まねえよ」

 そう吐き捨てると、隊員に向かって怒鳴った。

「撤収だ! 直ちに、目標に向かえ!」

 黒十字の面々は一斉に馬を操り、駆け去っていった。レスターと落馬していた隊員も、慌てて馬に飛び乗って後を追った。


 ジョシュアはカルザスの腕を掴み、ギルと三人でアライアル号へ向かって走ろうとした。騒ぎを起こしてしまった以上、早々にこの場を離れる必要があった。

 ところが、オープンカフェのベンチに座る一人の男を認めると、ジョシュアは顔を強ばらせた。騒動を眺めながら、ニヤニヤと煙草を燻らせている。

「あれは……バクスターんとこの副社長じゃねえか。こんなところで何してやがる」

 足を止めるジョシュアの腕を、ギルが焦って引っ張る。

「船長、早く行きましょう!」

 慌てて三人は走り始めたが、ジョシュアは怒りを飲み込むことはできない。

「あの野郎、高みの見物かよ。……何を企んでいやがる!」

 だが、今はそれどころではない。三人は、必死に停泊所まで駆け抜けた。


 アライアル号に乗り込むと、すぐに出港準備に取りかかった。予定を変更し、マイルを夜のうちに離脱することにする。

 タービンが稼働すると、アライアル号は夜空に浮かび上がり、東へ向かって静かに航路をとった。

 カルザスは、船に戻るなりジョシュアにどやしつけられ、問答無用で狭い空調室に閉じ込められた。殴られた左頬が一晩中痛んだ。もちろん、翌日からのトイレ掃除も、免れようがなかった。

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