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王女は、業に抗った  作者: 一石千月
第六章 クリアターコイズと口喧嘩
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第六章 第十一節【譲れぬ意地】

 空は宵闇に塗り替えられ、明るい星から順に姿を現し始めていた。東の空に浮かぶ満月が、夜の帳を柔らかく照らしている。

 セオドアの古書店の隅で、カルザスは椅子に腰かけ、窓の外を見上げていた。口にしたワインの量は控えめでも、快適な酔いが広がる。ときおり、ジョシュアとギルの爆笑が店内に響き渡る。

 カルザスは、セオドアが研究を断念した際の胸中に、思いを馳せた。心血を注いできたはずの彼の無念が、これによって少しでも報われるのなら、自分のしたことも無駄ではなかったと思える。

「どうしたの、カルザス?」とターナが声をかけた。

「あ、うん。ちょっと魂が抜けてた」と我に返る。「何というか、うまく話がまとまってよかったなって」

「本当ね。セオドアが私たちを受け入れてくれて、ほっとしたわ」

 ターナはそっと椅子を引き寄せ、カルザスの隣に腰を下ろす。上品なワンピースとシトラスの香りが、周囲の空気を浄化するようだ。

「今回ばかりは、どう転ぶか自信がなかったの。でも、カルザスがセオドアに信頼されていたからこそ、首尾よく事が運んだのよね」

「それはわからないけど」とかすかに照れる。「少しでも役に立てたのなら、よかった」

「そんな……。プランタのときもそうだけど、いつもカルザスには助けられてばかりだわ」とターナは真っ直ぐに視線を向ける。「それに引き換え私は……。ごめんなさいね。いずれちゃんとお返ししなきゃ」

 そんなことを気にしていたのかと、カルザスは不思議な気分になる。何かをしてもらうことなど望んでいない。ただこうして、気兼ねなく話ができるだけで満足だ。

 そのとき、四日前のバイロンの言葉がふと脳裏をよぎる。

——君は、ターナの横に存在するだけで、十分価値があるんだよ。

 逆もまた然りということに、カルザスは気づく。その瞬間、腑に落ちた。

「いや、俺はもう十分、ターナからもらってるよ」

「えっ? 私、何かしたっけ?」

 カルザスは悪戯っぽく目を細め、彼女の反応を覗き込んだ。

「教えない! でもターナなら、きっとそのうち気づくよ」

 怪訝そうな表情を浮かべたが、すぐに笑顔で反撃に出る。

「何それー! 教えてくれないの? 気になるじゃない!」

「やだ。教えない。自分で考えてみて」

「えー! わかんないよー。意地悪!」

 ターナはカルザスの長袖Tシャツの左肘を握って、ぐっと引き寄せる。

 その様子に気づいたジョシュアが、にやにやと二人を茶化した。

「おうおう、お二人さん、みんなの前でいちゃいちゃですかい?」

「そうよ! 悪い?」とターナはカルザスの左腕にぎゅっとしがみつく。

「ついに居直っちまった」とへらへら笑うジョシュアは、標的を変える。「おいカーリー、感触を楽しむなって言ってんだろうがよ。こりゃ、近いうちに王室スキャンダルだな」

「わけのわかんないこと言わないでくださいよ。それから、カーリーは止めてって」

 ターナはジョシュアに向き直る。

「何だかんだで、ジョシュアとギルを巻き込むことになっちゃったわね」

「王女様との契約だ。死ぬ気で守るさ」

 戯けた一言であっても、商人としての自負が込められている。

「ただ、所詮は零細企業だ。できることは限られてる」とジョシュアはグラスに残ったワインをぐっと空ける。「まあ、強いて言えば、下世話な情報集めはお手のもんかな。貿易商が運ぶのは、荷物ばかりじゃないってな」

 ギルの用意した料理はすでに平らげられ、二本目のワインも残り少ない。

「ありがたい話だわ。でも、絶対に無理はしないで」とターナは表情を引き締めて説いた。「最近、大陸中で不穏な動きが増えているの。あなたたちも厄介な場面に出くわすかもしれない。だから、もし危険を察知したら、余計なことは考えずに逃げて。これだけは、本心からのお願い。必要な後始末は、私が何とかするから」

 その最後の一言に、ジョシュアの表情が変わった。

「何か勘違いしてるようだな。貿易商なめんなよ」と右手の人さし指をターナに向ける。「確かに、逃げると決めたら躊躇すべきじゃない。だがよ、尻拭いを王女にさせるわけにはいかんだろう。俺たちはそこまで落ちぶれちゃいねえ。落とし前は自分でつけるさ。黒幕は宮廷の奥で踏ん反り返っていやがれ」

「冗談じゃないわ!」とターナは気色ばんだ。「あなたたちを手駒のように動かす気なんて、さらさらないわよ。収拾がつかなくなる前に、私に任せてって言ってるの。格好つけるのはいいけど、自分に酔って判断を間違えないで」

「酔ってねえ!」とジョシュアも語気を強める。「俺は真剣だぜ。汚ねえ古本屋で見当違いな能書垂れるバカ王女かもしれんが、てめえが背負う荷物の重さぐらい自覚しねえか。どんなに醜態を曝しても、最後まで生き残らなきゃならねえ人間なんだよ」

「止めなさい!」

 ターナは凄まじい形相で睨み付け、低く大きな声で一喝した。王女としての威厳が放たれている。

「私の責任云々なんて、あなたに説教される筋合いなんかないわ。言われなくても、飽きるほど承知してる。でもね、あなたたちを犠牲にするような役目だったら、私には務まらないわ」と、ターナはむしろゆっくり丁寧に言葉を紡いだ。「じゃあ、こうしましょう。あなたたちが逃げた先で、後始末を私と一緒にやればいい。ジョシュアの意見も聞くし、必要なことはお願いするわ」

「お気遣い痛み入るが、ターナには他にも山ほど仕事があるだろう。こっちにはギルもカルザスもいるんだ。然るべきやり方で十分対応できるさ」とジョシュアもいくぶん冷静になるが、見解は曲げない。「俺たちグランブル貿易はな、逃げるときも踏み込むときも、一蓮托生と決めてるんだ」

 その言葉を聞いたターナは、ふっと寂しそうに視線を落とした。そして、自らの不満がここにあることに気づく。

「つまり、『俺たち』の中に私は入ってないってことね」

 その本意をジョシュアは察した。しかし、それを叶えるのは、容易なことではない。

「そうじゃねえ。人にはそれぞれ役割ってもんがあるからな。泥臭え貿易商に相応しい行動と責任ってやつだ」

「答えになってないわ!」とターナは視線を外さない。「ここにいる全員が、お互いのために何かをしようとしてる。一緒に戦って、一緒に逃げて、最後は一緒に後始末するってことじゃないの? 私なりに力を尽くして、大切なあなたたちを守って、何がいけないの?」

「わかんねえ奴だな! いいか、よく聞け。てめえに代わりはいねえんだ。俺たちとは違う」と言うと、カルザスに顔を向ける。「このバカはなあ、それを百も承知で腹括ったんだ。てめえを支えるってな。だったら、グランブル貿易も覚悟決めるしかねえだろ!」

 ターナは、胸を掻きむしられる思いで唇を噛む。しかし、目を閉じて乱れを整えると、声量を落として言い聞かせるように言葉を絞り出す。

「カルザスとあなたたちの覚悟……。それを聞いてしまった以上、私だって、力の限りあなたたちを守るのよ。私の誇りに賭けて、これだけは譲れない」

 ターナの強情なまでの反論に、ジョシュアは呆れた表情で反論を探す。

「じゃあ……俺たちを救うために、国を滅ぼしても構わねえってのか?」

「子どもの喧嘩みたいなこと言わないで! 極端な例で揚げ足取って、全否定する議論になんか付き合ってられないわ!」とターナは血相を変えてまくし立てる。「グランブル貿易も、王国も、どっちも守るの。そのために、死に物狂いで考えるのよ。あんたのその軽い頭は、何のためについてるの? 脳味噌使って、考えるためでしょうが!」

 ジョシュアはターナの剣幕と暴言に、さすがにたじろいだ。

「あんたは仲間を助けたい。私は、あんたたちを守りたい。そして、誰も国を壊したくなんてない。利害が一致してるのに、どうして喧嘩になるの? あんたが私を仲間だと思ってくれたら、全部解決するのよ!」

 沈黙が店内を満たした。彼女の痛々しいほどの想いを浴びたジョシュアは、言い返す気力を削がれてしまった。

「わかったよ。わかった! 仲間なんだろ。ああもう、面倒くせえ女だ」と観念する。「でもな、ターナこそ無茶や勝手はやめてくれ。てめえのせいで俺たちの寿命が縮むのはごめんだ。ややこしいことがあったら、ちゃんと相談しろ。庶民なりのアイデアってもんも、あるかもしれねえからな」

「わかればいいのよ」とようやく表情を和らげた。「私に口喧嘩で勝とうなんて、千年早いわ。覚えておいて」

「おい、バイロン先生よ」とジョシュアがしかめっ面を向ける。「お前さんのご主人様は、とんでもなく気の強いじゃじゃ馬だな。毎日、取り扱いが大変だろう。同情するぜ」

 バイロンも呆気にとられていたが、笑みを浮かべて答える。

「そうとも。普段は何てことないが、油断してると牙をむく。どうしてこんな風に育ってしまったのか」

「バイロン!」とターナは不服そうに睨みつける。

「だが、実に仕え甲斐のある主だ。見てのとおり、いざというときの胆力は誰にも負けない。それだけは保証する」

「なるほど、違いない」とジョシュアは首をすくめて同意しつつ、カルザスの後頭部をぺしりと叩く。「おめえは、何ぼーっとしてんだ。言い出しっぺなんだから、しっかりしねえか!」

「わかってますって。船長こそ、絡み酒は止めてくださいよ」

「うるせえ。こうやって、お前に世の理を教えてやってんだよ。張らなきゃいけねえ意地もあるっつーことだ。覚えとけ!」

 ジョシュアの機嫌はいつの間にか直っている。げらげら笑ってカルザスの肩に腕を回し、ギルとセオドアのほうへと戻っていった。

「仲間か……」とターナはワイングラスを見つめ、ぼそりと呟いた。「そうよ。私は、孤独なんかじゃない。難しい話じゃないわ」

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