第六章 第七節【誓いと決壊】
ターナ、バイロン、カルザスが談議する部屋は、テーブルと椅子、キャビネットと掛時計が備えられているだけの簡素な作りとなっている。大きなアーチ型の窓の外には、芝生で整えられた中庭が広がる。壁と天井はアイボリーで統一されており、陽光が明るく反射している。かすかにピンクがかった床が、部屋を暖かく染めていた。
三人は、話題を『発動』に切り換える。クリアターコイズは『同化者』の身体能力を飛躍的に引き上げ、一個小隊に匹敵する戦闘力を実現する。この際、白眼が真っ赤に染まるという特徴的な変化が生じる。
ターナは、黒十字解放戦線の『同化者』についてカルザスに尋ねた。約一か月前、パスカル造船工業本社の屋上で見た「赤い眼の女」。二十名近くの自警団を事も無げにねじ伏せた人外の威力。記憶を呼び起こされ、カルザスの背筋は再び震えた。
「なるほど。ゴルソン博士の主張に重なるわね」とターナは冷静に評価する。「汎大陸中に散らばる古い伝承が、ついに現実のものとして表舞台に現れた。衝撃的ね」
「古くより、クリアターコイズによって実力を備えた者は存在したようだ。ただ、石の効果を制御できずに、早々に身の破滅に至ると聞く。今のところ、歴史上『同化者』と推定される者は非常に限られている。いずれも証拠が不十分なので、反対説も根強い」とバイロンが評する。
「たぶん、黒十字の『同化者』は、オルティス博士が細かく管理しているんだと思う。特に『発動』をコントロールするのは、『同化者』本人といえども容易じゃないもの」
「どういうこと?」とカルザスは尋ねる。
「『同化者』が危機的状況に陥ったときや、恐怖や怒りが閾値を超えたとき、箍が外れるように『発動』する。石の作用で意識が変容して、自分で身体を動かしている感覚が乏しくなるの」
その言葉を、カルザスは不思議な気分で聞き、さらに問う。
「ターナもそんな状態になったことあるの?」
「少なくとも一度」と一瞬の間を置き、重たげに言葉を継ぐ。「ある伯爵の邸宅で晩餐会が開かれた夜だった。その伯爵の一人息子に力ずくで押し倒されたの。暴れたら、頬に一発平手打ちされて……」
カルザスはたちまち顔色を変える。
「その痛みと怒りで『発動』したの。気がついたら、そいつの鳩尾に膝を入れて、肋を三本と両手の中指の骨を折っていた」
「嫌な話させちゃったね。ごめん……」
「大丈夫よ。事実を語っているだけだから」
そうは言っても、ターナの表情には影が差す。深く傷ついているのは明らかだった。カルザスの胸の奥に、強い怒りが湧く。
「貴族って言っても、ちゃんとした人ばかりじゃないんだな……」
「身分と人柄は無関係よ。難しい話じゃないわ」とターナは断定する。「でも、そいつも含めて一族郎党、父が国外追放に処したの」
「ユージン様は、怒りが頂点に達して『発動』しかけた」とバイロンも頷いた。「それをターナが必死に止めたんだ。後にも先にも、あんなに激高されたユージン様を、私は見たことがない」
「その後始末も大変だったのよ。事が表沙汰になれば面倒なことになるもの。父は私の仕出かしたことを隠したまま、貴族のパワーバランスを調整するのに、裏でずいぶん手を焼いたみたい」とターナは肩をすくめて続ける。「そんなこともあって、私は『発動』しないよう注意を払ってるの。できるだけ精神の平衡を保つよう心がけてる」
しかし、カルザスにとって事の顛末など大した意味を持たなかった。伯爵の息子に対する怒りが収まらない。
「でも、ターナが傷ついた事実に変わりはないよ。本当に酷い。『同化』してなかったら、どうなってたか……」
ターナは、カルザスの真っ直ぐな正義感に心を揺さぶられた。
——そう、この人はこういう人だ。マイルでも自分を顧みずに子どもたちを助けたのよね。
「ありがとう。心配してくれて。でも、これからはきっとカルザスが私を守ってくれるのよね」
ターナは、何気ない言葉を口にした。
それに対し、カルザスは一瞬固まる。コーレル夫妻の店からの帰り、ローラに「ターナを守らないの?」と問われた記憶が蘇る。
——自分には、その資格があるのか?
カルザスが黙り込む様子を、ターナは直ちに察した。彼を困らせるのは本意ではない。
「なーんてね。重たいよね、そんなこと王女に言われても……」
しかし、ターナに気を遣わせるのは、カルザスにとっても心苦しい。その言葉がむしろ彼を動かす。
「この二週間、ずっと考えていた」と拙くても言葉にする。「今日、ターナが『同化者』だと確認できて、腹を括れた。何ができるかわからないけど、俺は君の支えになりたい」
その真剣な眼差しにターナは驚いた。話題が思わぬ方向に動き出し、息を呑む。
「学者としてのセオ爺とその論敵、黒十字の侵攻と赤い眼の女、陛下の崩御、そして、ターナが『同化者』であること……。クリアターコイズを起点にして全部つながってしまった。今後、ターナに難題が次々に押し寄せるに違いない。今でさえ、王室の役目をすべて背負って、とてつもなく無理をしてると思うんだ」
「それほどでもないわよ。宮廷が総出で対応してるし、何とかなると思うわ……」
「でも、ローラが言ってたんだ。国王の後継者に代えは利かないから、ターナの負担は筆舌に尽くしがたいって。だって、お父さんが突然亡くなったんだよ。今は気が張ってるだろうけど、俺は心配なんだ」
自分を突き動かすものに、カルザスは気づき始めている。
「俺がターナの助けになるかどうか、正直なところわからない。身分も、知識も、腕力だって、君には遠く及ばない。クリアターコイズのことはもっと勉強したいと思ってるけど、すぐに役には立てそうもない。でも、それでも……」とカルザスは意を決する。「俺は、ターナの笑顔を守りたい。この間のパーティのときみたいに。だから、もし苦しかったら、俺にぶつけてよ。もやもやした気持ちが、多少は楽になるかもしれないからさ」
ターナは、じっとカルザスの顔を見つめていた。咄嗟に言葉が出ない。その代わりに、右頬を一筋の涙がつたう。
カルザスは驚く。
「あれ? 何で?」とターナは戸惑う。
口元が震え、たちまち視界が涙で歪む。堪え切れずに両手で顔を覆う。嗚咽がこぼれる。
カルザスは慌ててハンカチを取り出し、そっと差し出した。ターナは左手でそれを受け取り、目元を押さえた。
「そっか、私、辛かったんだ。しんどかったんだ。誰かに助けてほしかったんだ……」
ターナは、堰を切ったように激しく泣きじゃくった。父を失って以来、どこかに置き忘れていた感情を取り戻し、解放する。
カルザスは何も言わず、そんなターナの隣に寄り添った。寄り添い続けた。
バイロンは、音を立てずにゆっくりと立ち上がり、応接室を出た。扉を閉めると、廊下に残された静寂を穏やかに噛み締めた。




