第六章 第三節【繭の中の石】
宮廷の地下を、緩やかな長いスロープが何度も折り返している。建物四階分の深さまで、それは続く。
ターナとバイロンは、無言のままそのスロープを降りていった。人がやっとすれ違えるほどの通路は、ほとんど使われることがなく、かすかに湿ったカビの匂いが漂う。二人の靴音が、乾いた空間に大きく響く。
最下層まで降りると、重厚な両開きの扉の前に、二人の従者が待機していた。ターナとバイロンに深く一礼し、扉を開く。
奥に広がる地下室の中央に石台がひとつ。その傍らには手術器具一式が整然と並んでいる。部屋の四隅には氷が高く積まれ、温度はかなり下がっている。がらんとした無機質な空間だ。
バイロンは、入口に掛けられた白衣二着を手に取り、一着をターナに渡した。自身も手早く袖を通す。
石台の上には柔らかなマットが敷かれ、ひとりの人物がうつ伏せに寝かされていた。肩から下は、白い布で覆われている。
その傍らで、車椅子に座った白衣姿の老医師がその遺体を見つめていた。ターナの姿に気づいて立ち上がろうとするが、彼女はそれを制する。
「オスカー、今日はよろしくお願いするわね」
「ターナ様。この度は何と申し上げたらよいのか……。謹んでお悔やみを申し上げます」
この一週間で何百回と聞いた言葉だが、彼女は誠実に謝意を示して、言葉を継ぐ。
「オスカー、体調は?」
「はい。万全を期すため、細心の注意を払いました。何しろ、これは宮廷医にとって最大の使命ですので。……私の人生は、この日のためにあったと言っても、過言ではありません」
バイロンは、苦い表情で目を背けた。父の誇張癖には慣れていたが、この任務が人生の目的であるかのような価値観には、いささかも共感できずにいる。
「父上、お身体に障ります。早速、始めましょうか」
万感の想いを語ろうとするオスカーを、その息子はやんわりと遮った。
石台の上の人体は、動くことなく静かに横たわっている。オスカーは、これを見据えたままゆっくりと立ち上がる。車椅子が軋む。ゴム手袋を装着し、アルコールを含む消毒液に手を浸して揉み込む。
「これより、ユージン陛下の御体より、クリアターコイズを摘出いたします」
オスカーは、術式を開始する旨の宣言をした。
遺体の右肩から首元にかけて、左手でそっと撫で、皮膚の下に意識を集中させるようにして圧を加える。そして、空いた右手でメスを握った。それまでのかすかな震えは、ぴたりと止まっていた。
「陛下の石は右肩背部にあります。深くはありませんが、皮下にしっかりと沈んでいます。死後硬直は解けましたが、この部屋で冷やしており、皮下脂肪が固くなっています。そのため、切開にやや力を要します」
オスカーは、体幹に添う方向に滑らかにメスを入れた。長年の外科医としての経験が、その動きを無駄なく美しく見せている。
「血液をすでに抜いておりますので、死斑もなく、皮膚に目立った傷みもありません。手術痕を最小限に抑えたいので、十字に切ってから石を取り出し、縫合することになります」
オスカーは切開した皮膚を押し広げる。
「ありました……これです」
現れたのは、繭のような白い塊だった。
「これは……神経組織?」とバイロンは興味深く見つめる。
「異形成だな。何層にも重なって、石を包んでいる」
バイロンとターナにとって、人体に埋まったクリアターコイズを見るのは初めてのことだった。一方、先代マルス王の崩御時に、オスカーは同様の場面に立ち会っていた。そのとき執刀を担ったのは、彼の父であるコリンズ・ダイだ。
マイヤー家の歴代の嫡流は、クリアターコイズを体内に埋めて『同化』する。そして、亡くなった後にそれを摘出するのが、宮廷医にとっての重要な務めとされてきた。
オスカーは、繭の表面に小さく切れ目を入れ、果実の皮を剥くように中の石を露出させる。石は、クリーム色の薄膜でぴったり覆われており、青色がわずかに透けて見えた。遺体から取り出され、傍らの金属製バットに静かに移された。人肌よりやや熱めの塩水が張ってある。
半ば儀式化したこの作業は、技術的に困難なものではない。だが、オスカーにとっては重大だ。滞りなく摘出を終え、彼は静かに緊張を緩めた。
しかし、クリアターコイズを見つめるオスカーの顔に違和感が走る。
「父上、何か……?」とバイロンが声をかける。
「うむ。マルス様のときは、もっと違う色合いだったと記憶しているのだが……」
オスカーは、石を塩水の中で軽く揺らす。表面に張りついた膜が水分を含み、崩れるように剥がれ始める。
すると、その手が止まり、両目が大きく見開かれた。手から石が滑り落ちてバットの底にコツンとぶつかる。喉の奥から呻きが漏れ、彼は震える足取りで後ずさった。
「オスカー?」とただならぬ様子にターナは訝しむ。
バイロンも異変を察し、急ぎバットを覗き込む。その瞬間、顔が青ざめる。
オスカーはその場に膝をつき、顔を覆って泣き崩れてしまった。
「何ということだ。おお……。さぞかし苦しかったことでしょう、陛下。お労しや……!」
その青く透明な鉱石の内部には、漆黒の渦が幾重にも埋め込まれていた。大きな渦は四方八方に枝分かれし、絡み合い、その中に無数の小さな渦を含んでいた。そして、それらもさらに小さな渦で構成されていた。立体的なフラクタルの幾何学模様というべきか。
ターナも、その不気味な異形を見て絶句した。
それは、慈愛、希望、寛容を全否定するかのようなグロテスクさを、無遠慮に見せつけていた。ただ、憎悪と絶望だけを押しつけ、目を背けさせるに足る禍々しさであった。
何より、これはユージンの最期の苦悶そのものだと、誰もが理解した。
「ターナ、もう見るな!」
その忠告が終わらないうちに、ターナは膝をつき、その場に崩れ落ちた。視界が歪み、胸が圧迫される。バイロンが駆け寄る。
「どうか、どうか、この忌まわしき鎖を解き、ユージン様を安らぎの中へお返しください……」
オスカーは、この呪いからユージンが救われるよう、両手を合わせて、ただただ祈り続けた。




