第六章 第二節【壊れた感情】
ターナは、幼い頃に父と交わした会話を、ぼんやりと思い出していた。自室のベッドに腰を下ろし、焦点の合わない目を、壁と天井の境目に向けている。その記憶は断片的で曖昧だったが、父の大きなシルエットは、今もなお鮮明に脳裏に刻まれていた。
ユージンが変わり果てた姿で帰還してから、十日が経った日の昼下がりのことだ。
朝から激しい雨が降り続いていた。湿気を含んだ重い空気が、ターナの身体と心を押し潰すように覆っていた。彼女はただそこに在り、静かに肺の空気を交換し続けていた。
国王崩御の報を聞いたターナは、その瞬間こそ絶句したものの、すぐに自分の立場と責任を理解した。狼狽えることなく執政官や側近を集め、各自の任務を冷静に指示し、力強く彼らを奮い立たせた。落胆する宮廷の者もその意味を十分に悟り、王女に余計な心労をかけないよう、能動的に行動した。
王室八百年の慣例に倣い、二日後に崩御の事実を公表し、五日後に国葬を挙行することとなった。ユージンの死因は「急病」とされ、その精神崩壊や自死といった真実は伏せられた。その安定した治世が、さらに十年、二十年続くと信じられていたからこそ、王国は大きな驚きと深い悲しみに包まれた。
公表の三日後、国葬は厳かに執り行われた。宮廷正門を入って左手に広く設けられた参列スペースには、汎大陸中の貴族や領主はもちろんのこと、実業家、学者、芸術家など、各界の要人が続々と訪れ、祭壇に眠るユージンに別れを告げた。ジブ皇帝モーリス・カイトも、沈痛な面持ちで参列していた。
無言の帰還以降、マイヤー家の後継者として、ターナは連日の賓客対応に追われた。王妃クララは、初日こそ気丈に振る舞ったものの、その後は深い喪失感に苛まれ、床に臥してしまった。ターナは、文字どおり一人きりで、王国の顔としてすべての弔問に応じ続けた。
執政会議は、当初一週間を予定していた弔問期間を、四日間に短縮した。ターナにかかる負担が、あまりにも大きかったからだ。しかし彼女は、最後まで綻びを見せることなく、誠実に対応し続けた。
もとより理知的で、慈悲深いと評されていたターナは、今回の一連の事態を通して、その名声を一層高めた。この先五十年、彼女が王として治めれば、メスカ王国は安泰だと、参列者は口々に語った。
この日、昼近くにようやく目を覚ましたターナは、誰にも邪魔されず、ゆったりと静寂に身を委ねていた。こんなふうに平穏に過ごすのは、実に久しぶりだった。身体の疲労もさることながら、過度の気遣いや緊張が、どれほど深く心身を削っていたか。それを今、まざまざと実感していた。
父の最期を伝えられたとき、ターナはただただ、やりきれない思いに沈んだ。無念であったに違いない。王国のため、そして家族のために費やすはずだった時間が、こうもあっけなく奪われてしまったのだから。
ただ、彼女は思う。後悔に苛まれ、その痛みを背負って生きていくのは、先に逝った者ではなく、残された者のほうだ。——いつだって、そうなのだ。
その一方で、大切な父を失ったという現実に、きちんと感情を結びつけられずにいた。悲哀や不安は確かにそこにあるのに、自分とはどこか切り離され、漂っていた。麻痺してしまったこの感覚は、いずれ我が身に戻ってくるのだろうか……。
朝から、そんな思いがぐるぐると巡っていることに、ターナは改めて気づく。瞼を閉じ、深呼吸を繰り返した。少しだけ心が落ち着く。
そのとき、部屋の扉がノックされた。
ターナはゆっくりと立ち上がり、部屋を横切って扉を開ける。そこには、黒に近いほど濃いベージュのスーツを着たバイロンが立っていた。
「そろそろ始めようか」
「ええ。何も持たなくていいのかしら?」
「そうだな。白衣は下にあるから、大丈夫だ」
「了解。じゃあ、行きましょう」
ターナは、チャコールグレイのパンツスーツに身を包み、いつもより濃いメイクを施していた。目の下の隈と肌の荒れを隠すうち、ファンデーションは厚く、リップの色は強くなった。定番のシトラスの香水は、ユージンの崩御以来、ずっと控えている。
扉を閉め、二人は宮廷本殿の端へと歩き出した。雨音は一層激しくなっていた。




